ep.111 とても素敵な名前だと思います

 数日遅れてアガスティア隊が到着した頃には森は一定の落ち着きを取り戻していた。センリを探す途中で出会ったエルフになぜか連れられて隊ごと集落に招かれた。詳しい事情も知らぬままに。


 ぞろぞろとヒトの集団が入ってくることにエルフたちは気まずそうにしていたが、あからさまな不快感を示すことはなかった。驚く様子がなかったのは予め通達されていたからかもしれない。


 隊は集落の端の今は使われていない場所に滞在することを許され、代表者が女王の屋敷へと招待された。エスカに加えて今度はクロハとオルベールも。


 一行はどこか寂しげな巨樹の裏手に回り、一本道を進んで屋敷の母屋おもやへ。


 以前と変わらぬ女王の寝室に通されて「あっ」とエスカが声を上げた。


 そこにはずっと探していたセンリがいたのだ。他にもセズナやハヴァマ、マズルの姿も見受けられる。そして、


「ようこそ。アガスティアのみなさん」


 女王フィヨルダが来客を迎えた。ベッドで上半身を起こし、にこやかに微笑む彼女の腕には赤子が抱かれている。


「まあ、お産まれになったんですね……!」


 エスカは途端に目を輝かせて祝福した。


「ええ。一時はひどく案じましたが、こうして無事に。彼には見届け人になっていただきました。契約のあかしとして。また命の恩人としても」


 そうしてフィヨルダがセンリを見やった。当人は腕を組んだまま壁にもたれかかって何ともない顔をしている。


「こういう機会ですから、あなた方にもぜひ来ていただきたくて」

「光栄です」


 エスカは軽く一礼した。こんな場面にお呼ばれすることはまずありえない。クロハとオルベールは母と子の美しい光景にただただ目を奪われていた。


「あの、もしよろしければ、この子の名付け親になっていただけませんか?」

「俺に……?」


 女王に意外な提案をされてセンリは思わず眉を上げた。


「きっとこれも何かの縁だと思うのです。どうかこの子に相応しい名前を」


 そばに立つ王配のマズルも静かにうなずいている。


『……どうか、この世界を……憎まないで……』


 脳裏によぎった誰かの言葉。センリは目を伏せてしばらく考えたあとに、


「――イデア」


 一音一音、発する時の響きを確かめながら答えた。


「イデア……。想像していたよりもずっと美しい響きの名前ですね。どのような意味が込められているのか伺ってもよろしいですか?」

「……この世界を不朽ふきゅうの愛で包み込む、そんな理想が込められている」


 途端に周囲は驚いた。まさか彼の口からそんな言葉が出てくるとは夢にも思わなかったからだ。


「驚きました。まさかセンリさんがそんなふうに考えてくださったなんて。とても素敵な名前だと思います」


 エスカは心の底から嬉しそうに顔がほころびた。クロハは楽しげに口を尖らせていて、オルベールは小さく何度も頷いていた。


「ふふっ。もしかすると将来はこの森だけに留まらないかもしれませんね。たとえば、種族の垣根かきねを越えていくような……」

「時代は移り変わる。それとともに我らの生き方も少しずつ変わっていくのだろう」


 女王と王配おうはいが互いに我が子を見やった。イデアと名付けられた彼女はひだまりの表情ですやすやと寝息を立てていた。


 夫婦を残して屋敷を後にした一行は道を引き返した。巨樹に差し掛かったところで何気なくセンリが切り出した。元長老ヴァフスルーの話を。


「やつは結局死んだんだったな」

「……ああ。様子を見にいった者が亡くなったヴァフスルーを発見した。状況からして毒を飲んで自害したようだ」


 ハヴァマの表情は悲しみというよりも悔しさがにじみ出ていた。近しい者としてもっと言ってやりたいことがあったのだろう。


「後任の件、どうするつもりなの?」

「受けるしかあるまい。狩人かりうどには私から直々に話をつけたい気持ちもある」


 セズナに聞かれてハヴァマが答える。空いた長老の地位に推薦されたのはまだ若くも周囲から信頼を集める彼だった。実力も申し分ないと。


「真相を究明するために調査隊も新たに発足ほっそくした。まずは全ての禁足地きんそくちを巡るつもりだ。糾弾きゅうだん裁断さいだんはそのあとでおこなわれる」


 取り回しが早くすでに事は進んでいるようだった。


瘴気しょうきの件についても忘れないでね」

「ああ。それに関してだが、お前に渡しておきたいものがある」


 ハヴァマは懐から取り出した簡易な帳面ちょうめんをセズナに手渡した。


「これは……?」

「ヴァフスルーの日記、の写しだ。原本は証拠として保管しているのでな。一通り目を通したが、これはお前に渡すべきだと思った」

「分かった。あとで読んでみる」

「気が落ち着いた頃にでも読むといい。……それで」


 ハヴァマはアガスティア隊のほうへ向き直った。


「お前たちはいつまでここにいる?」

「遠回しに早く出ていけってことか?」

「そういう意味ではない。まったく。やはりこの男とは気が合わん」


 皮肉るセンリに対してハヴァマは少々おかんむり。怒る前にエスカがすかさず口を挟む。


「3日間です。あまり長く居座ってもご迷惑になるかと思うので」

「なんだ、たったそれだけか。もっと長くいるものと思っていたが」


 それを聞いてハヴァマは意外そうな表情を浮かべた。エルフの感覚からすれば性急な日取りだったのかもしれない。


 森の深いところに位置する集落も同様に魔素の濃度が高めなので、歓迎されようが普通のヒトがそもそも長く留まれる場所ではなかった。


「そのお気持ちだけでじゅうぶんです。私たちとしては一刻も早くアドラシオに戻らなければなりませんので」


 司教が消え、領主が消えた。その責任を担うためにもアガスティア隊は戻らなければならなかった。たとえ危険を伴っていたとしても。


「……果たしてどうなっておるかのう。乱世になっておらねばよいが」


 舵取り役が不在で無法状態になっているのではと心配するクロハ。


「鋼の教えがある限りおそらくは大丈夫かと思いますが。それよりも心配なのは流行り病のことです」


 対してオルベールは鋼の信仰には信頼を置き、病の拡大を気にしていた。


「ルドル……司祭様ならどうにかしてくれるはず」


 セズナが弟の名を出した。あれ以降、何の連絡もなく安否すらも分からない。顔には出さないがずっと心配している様子だった。


「どれ、次の補給地から首都の城へ使者隊を送ってみましょうか」

「いい考えですね。そうしましょう。先遣隊として送り、合流地点を決めた上で私たち本隊も遅れて移動。そうすれば時間の損失を最小限に抑えることができますし」


 エスカはオルベールの案に賛成した。


「旅立ちの際は係りの者に言いつけろ。足りぬ物資くらいは支援してやらんでもない」


 ハヴァマはそう言って独り別の方向へと体の舵を取った。


「あの、ハヴァマ」


 セズナが彼の背中に語りかけると、


「言わずともいい」


 兄のようでもあり父のような一面も見せる男は振り返らずに返事をして、


「ただ、たまには顔を見せろ。フィヨルダ様もお喜びになる」


 彼女の心中を察した言葉をその場に置いていった。

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