ep.103 次の千年は

「実に醜悪しゅうあくな、お似合いの姿になったじゃないか」


 よく見ればその身体から溶け込めなかった人間の顔や手足が突き出ている。


「醜さと美しさは表裏一体ひょうりいったいである。それは信仰の是非と変わらぬ」


 ビザールは拳を振るった。センリはかわしたが、代わりに周囲の民家が吹き飛び、人々も巻き込まれていく。


 誰もその化け物が敬愛する司教であることには気づかず。ついに闇の化身が現れたと、逃げずに膝立ちで神へ祈りを捧げている。


「馬鹿どもが」


 センリは舌打ちした。このまま堂々と街中で戦われても困ると、応戦するふりをして攻撃を避けながら被害の少ないほうへ誘導していく。ところが、


 ビザールは大きく息を吸った。不味いとセンリが思った矢先、圧縮された空気のかたまりが口から弾けて辺り一帯を一切合切いっさいがっさいに吹き飛ばした。中心地区を囲っていた壁も一部が派手に崩壊する。


 更地になった光景を見てなぜか満足げなビザール。


「邪魔なものは取り払った」

「曲がりなりにもここはお前の国だろ」


 建物の屋上に降り立ってセンリが言う。すると彼はその長い鼻でケタケタと笑った。


「朽ちたら植えればいい。街も、人も。それだけであろう?」

「……俺自身も狂っているが、やはり上には上がいるようだ」

「この国は私のためにある。さらに言えばこの世界も。その権利を有するのが我々七賢者という存在だ。魔術師なら誰しもが目指す最果ての境地に到達し、聖地に選ばれたこの世の統治者である」


 自らをそう断定するテペランの賢者。さすがはおごたかぶる規模が違った。


 まばたきの暗転。出し抜けに視界から消えたビザールが追って目の前に現れ、膨大な魔力が集中した拳を斜め上からセンリに打ちつけた。


「――ッ!」


 魔術障壁は張ったが遅く油断した。放たれた矢のように真っ直ぐ伸びて民家や建物を次々に突き破っていく。まじろぐ速さで視界が入れ替わり、方向感覚が歪められる。誰かの悲鳴が聞こえた気もするがそれもすぐに遠い彼方へ流れていく。


 ようやく止まって、民家の瓦礫に埋もれていたセンリは身を起こした。ひたいから一筋の血が流れ落ちる。


「……ああ、神様、私たちをお救いください。神様、私たちをお救いください」

「祈る暇があったら逃げやがれ……!」


 叱咤しったしても一心不乱いっしんふらんに祈り続ける家の住人。神様頼りで自ら動こうとしない。この国に根差した鋼の信仰は堅固けんごであるが故に支配者階級にとっては都合の良いものになっていた。


 ふっと頭上に気配が移った。と思えば空から巨体が降ってきた。祈ることすら許さぬと何もかも破壊し尽くす気勢。か弱い声が霧散し、衝撃で地面に大きな窪みが形成された。


「お前の絶望をかてに……さあさあ、次の千年は如何にして過ごそうか」


 窪みの中心でセンリを踏みつけるビザール。あいだに張られた障壁がその重みのせいで激しく振動している。


 センリは感じた。これまで出会った者の中でも最強に近い格だと。やはり七賢者の名は飾りじゃないのだ。


「次の千年は訪れない。お前は、ここで滅する……!」


 センリは障壁を解除して漆黒の煌めきを叩き込む。相手の肉体に触れた途端、波紋が広がり一部を虚空こくうえぐり取った。それだけだった。すぐに修復して元通りになる。


「本気を出せ。張り合いがないではないか。恐れているのか? その力に呑み込まれるのを。かつての王のように。それともすでに絶望したか、この力の差に」

「……舐めるなよ。この程度の絶望なら腐るほど見てきた」


 指先から腕まで取り巻く黒雲、壊れた魔素の残滓。内に潜む眩耀げんようが加速し、眼前の敵を目がけて掌が振り切られる。


 肉に埋没した掌から螺旋状に枝分かれする破壊の刃が次元ごと斬り刻み、治癒する間もなく虚無きょむの彼方へとほうむり去っていく。


 ビザールは不敵に笑っていた。残された目と口だけで。音もなく渦に呑まれたその背後の空に、大きな影を捉えた。


 嘆きの塔から打ち出された巨大な肉塊が目の前に着弾。即座に形を変えて元通りの姿になった。これぞ七賢者の一柱ひとはしら御業みわざ。絶望を駆り立てる無二むにの強度。


「戦いの最適解は葬る力ではなく、死なぬこと。それが分からん愚鈍ぐどんばかりで当時は苛立ちを募らせたものだ。特にお前たちの先祖は頑固で理解しようとしなかった」


 ビザールは以前よりも鮮明に過去を思い出していた。負の感情に紐付けられた記憶を。


「理解できなかったのはその理念ではなく、お前の頭のほうじゃないのか?」


 男の脳裏に昔の場面がよぎった。目もとにしわを寄せて沸々と忘れかけていた怒りを取り戻していく。


「――天元てんげんひつぎ、誕生せしむくろ地殻ちかく


 ビザールの足もとに突如として巨大な魔方陣まほうじんが出現。特大級の魔術が来ると予期してセンリは素早く退避する。


輪転りんてんの起伏は怒涛どとうとなりて逆巻さかまく運命と位置づけよ。生者の行進は絶え果て昇天す」


 詠唱を終えて、持ち上げたその太い足で力強く大地を踏み下ろした。


 さすれば奥から手前へ、バキバキと音を立てながら地層が持ち上がって丸まり、波と化した。横さま広範囲にずらりと並んで一挙に向かってくる。


 たった一人のために放たれた大地の波浪はろうは両翼の角度を変えながら行進。人も、街も、何もかもを巻き込みながら巨大化して執拗に目標を追い続ける。もはや如何なる祈りも通じない。


 下手に動き回っても意味がないと感じてセンリは立ち止まり、自身に身体能力強化の魔術をかけた。


 刻一刻こくいっこくと大波が迫る。絶好の位置まで引き寄せてから地を蹴り、一息に飛び越えた。


 着地してすぐ塔のほうへ駆けだす。天辺てっぺんに咲いた花を破壊して様子を見るつもりのようだ。合わせて波が反転し、再び動きだす。


 センリは走りながら右手を構えた。詠唱破棄の魔術。周囲から土石や屑鉄を集めて一気に圧縮。硬化させて、


「――ッ」


 大きく踏み込んだ。大槍と成した土塊つちくれが塔の最上目がけて勢いよく放たれる。


「馬鹿め」


 当然それを見過ごすはずはなく。ビザールは片手を伸ばして、その先の大槍を撃ち落とした。はずだったが、破裂音とともに破片が飛散。塔を狙って雨のように降り注ぐ。


 面した外皮に次々と突き刺さり、塔は悲痛の叫びを上げた。地の底へ堕とされた者たちが口々に泣き喚き、街中に響き渡る。


「そんなもの……」


 小細工でしかないとビザールが嘲笑あざわらった数秒後、センリがパチンと指を鳴らした。その合図でなんと刺さった破片が上から順に起爆していった。


 塔がぐらついて各所から黒煙が上がったが、決定打には至らず。それを見てあきれるビザールの隙を突き、センリは疾風の力を借りていつの間にか急接近していた。


 滑り込むようにして相手の土手っ腹へ破壊の力を叩き込む。さきほどと同じ光景。全身が砕け散って無と化す。背後に迫っていた波も停止した。


 ここからが時間との勝負。かき寄せる手の仕草で、巨大な波の一部を強引に切り離して近くへ引き寄せる。そのまま巨人の手腕を造り上げて、かつての波の如く塔に突進させた。


 大地の御手みては術者の手に連動して、塔の中頃をガッチリと掴んだ。


「捕らえたぞ……!」にわかに眼帯の裏が痛む。


 ありったけの力で押し込みながら果実をもぎ取るようにして、


「はらわた、ブチまけやがれェッ……!」


 低く腹の底から叫びながら手首をひねり、一思いにみきをへし折ってみせた。


「……ッ」


 どうにか間に合った、と顔をしかめたままセンリはふっと息を吐く。


 真っ二つに折れて塔が崩れ落ちる中、天辺の花は最後に肉塊を放出した。下半分は奥側へ倒れ、上半分は手前側へ横倒しになった。


 繁殖の花はしおれている。しかしながら幹から切り離されただけではまだ完全には死んでいない。


 遅れて着弾した肉塊が再び化け物の姿へと変わる。人間の顔ではないのに憤りの感情がひしひしと伝わってきた。


「ここまで虚仮こけにされた気分を味わったのはあの時以来だ……」


 ビザールはそう話す。当然何のことか分からないセンリは挑発した。鋼のように見えた余裕を崩していくのも作戦の内。いくら神のように見えても本質はただの人であると。


 七賢者としての自負心。敵前逃亡は選択肢になく。ビザールは終始見下していた視線を今一度、水平まで上げて今生こんじょうの敵対者と見なした。


 目の前の男に遠い過去の面影を重ねて。

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