ep.102 決断の時だ

「役立たずどもが。いつまで時間をかけるつもりだ」


 ビザールは謁見の間にてひどく苛立っていた。やかた襲撃の一報を受けてからすぐに宿舎へ兵を差し向けたが、とうにもぬけの殻だったのだ。彼からすればただの小童こわっぱにしてやられたことが許せず、無能な部下たちはあとで殺処分にする所存しょぞんでいた。


「落ち着いてください。もうすぐ見つかりますから」

「ルドル。何か隠しているな?」

「いえ、何も。全てお話ししているはずですが」


 ルドルは嘘をついていた。館に駆けつけたことは報告したが、センリたちと鉢合わせたことについては一切触れていない。


「もし見つからなかった時は実験に使うなり家畜の餌にするなりお好きにしてもらって結構です」


 平然とした態度でそこまで言われればビザールもそれ以上は追及しない。腐っても長年ともに歩んだ親子ということだろうか。自白を促す魔術を利用する気配はなかった。


 ふと、城の中に異物が混入したことに双方が気づいた。ほどなくして謁見の間の扉が凄まじい勢いで蹴破られた。


「――邪魔するぞ」


 大胆不敵だいたんふてきな振る舞い。なんとセンリはセズナとともに敵の根城ねじろに乗り込んできた。どうせ見つかるならと思い切って。まさか姉が来るとは全くもって思っていなかったルドルは内心激しく動揺した。


「面白い。寝返るつもりか」

「父上。これは何かの間違いです」


 ルドルが庇うようにして前に立つ。が、肝心の父は「邪魔だ」と言って手でどけた。


「聞いて。あなたはずっと囚われてきた。私やみんなのために。その生まれに苦しめられながら、自分自身に罪深いと言い聞かせて生きてきた。でも、もうおしまいにするのよ。今ここでその呪縛を絶って」

「何を言っているのかは分かりませんが、お断りします。今すぐお引き取りを」


 姉の説得にも応じず弟は強い口調で拒絶した。


「末裔にそそのかされたか」

「お前は黙ってろ」


 センリは手を振って喋るビザールの首を飛ばした。胴体が倒れて、美しい絨毯に赤い飛沫しぶきを散らしながら頭が転がる。しかしすぐに引き寄せあって結合し、むくりと立ち上がった。


「痛いではないか」

「ふん。痛みすら忘れたくせによく言う」

「痛みは残っている。ただ疎くなった。付随する恐怖もいつしか消えてなくなった」

「わりには震えていたみたいだが。昔でも思い出したか?」

「…………」


 実際には震えていなかった。かまをかけてみただけ。余裕を持って対応すると思いきやビザールは三流のやからよろしく顔をしかめた。


「いい気になるな。私が本気を出せばお前など一瞬で消し去れる」

「やってみろ」


 煽られるとビザールは片手で果実をしぼるような動きをした。直後、それと同質の押し潰す力がセンリの全身を包み込んだ。頑強な鋼鉄の大壁を瞬時に屑鉄へ変えてしまうほどの烈々れつれつたる圧力。


 通常なら動くどころかとても耐えられはしないが、その状況下で男は嘲笑あざわらった。


「……クク。まさかこれが本気だなんて冗談はないよな?」


 センリは切り返しの如く相手と同じ動きをした。ビザールの身体が螺旋状にねじれ、雑巾を絞る要領で盛大に血を放出した。


 無残な姿になったビザールは自己修復してから再び立ち上がる。


「話に聞いた通り治癒魔術にはひいでているようだが、それ以外はたいしたことないな。それとも長く生きすぎて腐ったのか」


 ここへ来るまでの間にセズナからビザールのことについて知っていることを聞いていた。挑発するセンリに対して当人は強者の余裕を見せた上で、おごそかに言葉を返す。


「この私がむざむざとそれを置き去りにしていたと思うか……?」


 長い年月を経てこの世に根付いた人間の愉悦ゆえつとも鬱憤うっぷんとも取れない狂気に満ち満ちた表情。身の毛もよだつ声が体の芯へ響く。くすぶっていた怒りがかすんだ記憶の奥底から音を立てて這い上がってくる。


 嵐の前の静けさに似た、何かが始まる本能的な予感が押し寄せる。


「待ってください。早まっては」


 とっさにルドルが止めに入った。それでもビザールは応答せず、口をつぐんだまま異質さを感じさせるたたずまいで勇者の一族の末裔を見据えている。


 噴火の直前。決壊の手前。もはや押しとどめることはできず。幕が切って落とされる。


「決断の時だ。どちらにつく?」


 センリが問いかけた同時に、卒然そつぜんと揺れ始めた城。いや、大地そのものが振動している。


「……私は」


 父を取るか姉を取るか。重大な決心。されど迷う暇は残されていない。


「ルドル!」


 名を強く呼んでセズナは手を差し伸べた。しかし彼はその手を取らない。ずっとそばにいたからこそ男の本当の恐ろしさを知っている。その手を取ってしまえば全てが終わると信じている。


「ルドルッ! お願いッ!」

「…………」


 二度目も応答せず。その場から動かず視線を彷徨さまよわせている。何度も試したことはあった。呪縛から抜け出そうと。でも無理だった。だから諦めたのだ。希望などないというのに、それでも必死な姉の姿を見てどこか心が揺らぐ。


「ルドルッ!! 来てッ!!」

「…………」


 彼は思う。そもそも自分はけがれた生まれ。きっと本当の意味での家族はおらず、存在を認められず、ただ罪を背負いながら、罪にふくして朽ちていく運命だと。それが神の下した定めなのだと受け入れた。が、目の前の彼女は諦めずに訴える。


「思い出して! あなたはあなたで、私の大切な家族ってことを……ッ!」


 真摯しんし慈愛じあいの声が存在を認めて優しく包み込めば、


「……ッ」


 その堅固けんごな心のからやわく、もろくなった。だがまだ足りない。


「ブチ壊してやれ! 不躾ぶしつけな神の下したクソッたれな運命なんてものは……ッ!」


 続けざま凶暴な破壊の声が神の定めに激しく杭を打ちつけてやれば、


「……ッ!」


 いよいよ殻に大きな亀裂が入った。あともう一歩で。



「――ルドル、お姉ちゃんを信じてッ!!」



 駄目押しの叫びが、殻を真っ二つに割り、ついに本当の心を貫いた。男は後ろ髪を引く鋼の因縁から抜け出し、絡みついた鋼の呪縛を荒々しく引きちぎる。


「……父上。あなたには心から感謝しています。この私を見捨てず、ここまで立派に育て上げてくれたこと。たとえどのような経緯であったとしても」


 ルドルは震えた声で喋りながらゆっくりとした足取りでセズナのもとへ。


「ですが、申し訳ありません。たった一度だけ。この命に替えて、あなたにそむくことをお許しください」


 そして彼女の手を取り、最後に振り返った。


「……悔いて死にさらせ」


 父はそう言い残したあとどろりと溶けて、ただの肉塊になった。


 続けて外からけたたましい鐘の音が聞こえてくる。それは中心地区内に建つ巨大な鐘塔しょうとうからだった。センリたちは外が見える場所へと急ぐ。


 地震のように小気味悪く揺れる街。怪訝に人々が見守る中、塔の根もとから勢いよく何かが突き破ってきた。それはうねりながら、塔の外周をぐるりと渦を描くようにして天高くへ昇っていく。


 人々が一斉に悲鳴を上げる。その正体は、原型を留めずに混ざり合った人間の身体、その集合体だった。


 輝かしい祈りの鐘塔はなげうめく悲痛の人柱ひとばしらへと変貌を遂げる。目にした敬虔けいけんな教徒を片っ端から絶望のどん底へと突き落とした。


 塔の天辺てっぺん怨念おんえんつぼみが生まれ、それが今まさに咲き誇ろうとしていた。人の手の形をした花弁が外側へと押し出されるようにして開き、八重咲やえざきとなる。


 中心の柱頭ちゅうとうおぼしきところから粘着質なぬめりとともに這い出た。人の形をした何か。


「――ぉぉあぉぉアオぉぉアオぉアあぁおぉオぉーッ!!」


 それは街中に響き渡る高らかな産声を上げた。


 人の臓物から創り出された獣頭人身じゅうとうじんしんの化け物。伸縮自在の長い鼻、垂れた大きな耳、口の両端から突き上げる曲牙。太く毛深い手足に出っ張った腹。


 その後、城を出て街まで駆けつけたセンリたちを見つけるや否や、重そうな体からは想像もつかない速さで飛びだした。


 目の前に着地する化け物。地を割る衝撃でセズナとルドルが建物の瓦礫とともに吹き飛ばされた。


 見上げてなお届かない顔。少なくとも大人の男5人以上の背丈はあるだろうか。


「さあ、破壊の勇者よ。『あの日』の決着をつけよう」


 化け物は喋った。それこそが不死身のビザール本人だった。

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