ep.63 ここからお前の人生が始まる
今夜は特別な夜。ありったけの魔力を祈りに変えて神への捧げ物とする。
「――っ」
唐突な眩暈に一瞬ふらつく火の巫女。力の使いすぎか体の衰えか。膝立ちという無理な体勢のまま何時間もこうしてずっと祈り続けていた。
鎮座する神の依代は満足げにドクンと大きく脈動してみせた。
途中何度もふらつきに襲われたが、どうにかお勤めを終えて、火の巫女は出口の扉へと向かう。
その扉に手をかけようとした時、何もしていないはずなのに勝手に扉が開いた。
普段火の巫女しか触れることがない祭壇の扉がなぜか開いたのだ。
「……センリ様?」
唯一考えられるとすれば一度侵入を許してしまった彼。顔を覗かせるとそこには、
「……どうしてここへ」
「来ては駄目かしら」
目を赤く泣き腫らしたアルテが立っていた。よく見ればうしろにセンリたちもいる。
「それに他のみなさんも……。申し訳ありませんが、ここは火の巫女以外は本来立ち入り禁止なんです。なのでどうかお引き取りを」
セレネはアルテを押しやった。実の姉妹といえども今は巫女の役目を全うしている最中。親しげにようこそとは言えない。
「けち臭いことを言うな」
「あっ……」
横からセレネを押しのけてセンリが通りゆく。
「ごめん。確かめたいことがあるの」
アルテはそう告げてセンリの後を追う。
「さあ、何を見せてくれる」
クロハはその先で待つものに期待を膨らませて横を通りすぎた。
「こんな初めましてになってごめんなさい。ちゃんとした自己紹介はいずれ改めて。それと守衛さんたちは外でお休みになられています。しばらくはそのままでしょう」
エスカは立ち止まって少し話してから後に続いた。
「……神様。どうかお怒りにならないで」
疲れきった顔でため息をついたセレネは開いた扉を閉め直し、踵を返した。
祭壇には台座があって、そこに見上げるほどに大きな漆黒渦巻く石が安置されていた。
「これが……神様の依代……」
初めて本物を目の当たりにしたアルテは恐れから唾を飲んだ。
「やはりこの大きさだともう手遅れだな」
歩み寄ったセンリが小さく息を吐く。
「実際にこの目で見るまでは確信が持てませんでした。まさかこの世界にそんなものが実在しているなんて……」
「うむ。読ませてもろうたあの手紙の内容と合致する。いやはや、人間とは業の深い生き物よのう……」
エスカとクロハも歩み寄って依代を見上げている。
「あの、みなさん。いったい何の話を……」
火の巫女セレネは困惑していた。ただでさえ無関係な人間の侵入を許してしまっているこの状況でさらに蚊帳の外に置かれて話が勝手に進んでいく。
「驚くなよ。セレネ。ついに神の正体が分かった」
センリはゆっくりと振り返ってわずかに口角を上げた。
「はい……?」
セレネは首を傾げて眉根を寄せる。当然の反応。まだ確かなことを聞かされていないアルテも耳を傾ける。
「よく聞け。この神の正体は、瘴気の卵。魔族の王と対した先の大戦において封印された強大な魔物の遺物だ。長年溜め込んできた魔力のせいで力を取り戻しつつある。今日明日に封印が解けてもおかしくはない」
七賢者の末裔ネフライの調査結果。語られた可能性にセレネは拒絶反応を示した。
「いっ、いくらセンリ様とはいえ巫女としてそれを信じるわけには……」
もしそれが真実ならこれまでの栄えある伝統の歴史が根底から崩れてしまう。巫女たちが何のために祈り、何のためにその人生を捧げてきたのか分からなくなる。
「その巫女というのも誰かの策略によって歪曲されたものだ。かつての姿とはかけ離れている」
「…………」
「よく考えてみろ。今まで神が何をもたらした? むしろ脅して街中の温泉を枯らすような蛮行に走っていたはずだ」
「…………」
セレネの息がだんだん荒くなる。昔から薄々感じていたことだった。でも信じまいと心の片隅に追いやっていた。
「この大きな石、あんたの力で壊せないの?」
アルテが振り向いて尋ねる。そのことについてエスカやクロハも興味を持っていた。
「壊せるか壊せないかで言えば壊せる」
「じゃあ……!」
「だがあまりに育ちすぎた。この大きさで無理に破壊しようとすれば、その瞬間に溜め込んだ全ての魔力が弾けて、おそらくこの王都が消し飛ぶだろう。さすがの俺でも一度に多くは庇いきれない」
「そんな……」
返答を受けてアルテはあからさまに落胆する。エスカやクロハも期待していただけに反動は大きかった。
「全ての民を王都から迅速に避難させる……というのは難しいですね」
「うーむ。いっそのこと我らとその周りだけで逃げてしまうか。好ましくはないがのう」
今後の対応についてエスカとクロハで意見が食い違う。そこへセンリが割り込んだ。
「被害を最小限に抑える方法はある。あえて復活させ、その本体を叩き潰すことだ」
その場にいる全員が驚愕した。
「そ、そんなことが可能なんですか……?」
「さあな。だがその役割は俺が担う。邪魔が入らない直接対決なら問題ない」
エスカの問いに淡々と答えるセンリ。
「こいつ自身も俺たちが強硬手段に出ないことを知っている。どうせ何もできないと高を括っている。だからこうして何もしてこない」
視線を向けられた漆黒渦巻く依代が沈黙で答える。
「我らは手のひらの上でまんまと踊らされているわけじゃな」
クロハはふうと息を吐いて腕を組んだ。
「ただこちらも、じっと指を咥えて見ているわけじゃない。明日の祭事行列でセレネをさらい、陰で糸を引くやつらを表に引っ張り出す」
この長きにわたる壮大な計画を考えた黒幕が誰なのか。それはセンリが一番知りたいことだった。
「偽りの神も陰の糸繰り師も、俺の前に立ち塞がるというのなら、その息の根を止めてやる」
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深夜になった。街は未だにお祭り騒ぎで人々は愉快に寝ずの晩を過ごしている。
あの後、センリたちはセレネを神殿に残して再び繁華街に戻った。落ち着かない気持ちを癒すように女たちは前夜祭を心ゆくまで楽しんだ。
多くが寝静まった城の中。寝床から抜けだしたセンリはいつもの温泉に向かった。
「……センリ様」
待っていたと言わんばかりにセレネが振り向く。その顔は憂いに満ちていた。
「正直もうどうしたらいいか分からないんです。あれが本当に真実だとしたらこれまでの日々はいったいなんだったんだろうって。いざ巫女のお役目を失ったら、私には何が残されるんだろうって。あれだけ外に憧れていたのに、今は踏みだす勇気がありません」
「迷ったら心の赴くままに動け。そして流れに身を任せろ」
「……心の……赴くままに……」
「何が残される。何をすればいい。そんな高尚な考えは捨て置け。明日を勝ち取ることだけ考えろ」
「…………」
セレネの中で何かが揺れ動く。代わり映えのない明日に麻痺して狭く限られた日々を享受していた。遠い先の物語を考えることなんて一度もなかった。
「ここからお前の人生が始まる。いや、生まれたからには始めなければならないんだ」
不要な忌み子として産まれ落ち、自分自身の生きる価値を巫女の役目に依存していた。真っ直ぐな言葉が突き刺さり、セレネは大きく深呼吸をした。
「……まだ頭の中で色々なことが飛び交っています。でも……違う明日を見てみたい。みんなと同じ景色を見てみたい」
セレネは思わず涙ぐむ。けれどここで泣きださないのは芯が強いからだろう。
「センリ様。どうかお願いです。私をさらってください。そして、これから生まれてくる子たちがこんな辛い思いをしなくてもいいように、この悪しき伝統に終止符を打ちましょう」
月夜に映える火の巫女。流れ落ちるその雫は昨日への決別を示していた。
「その言葉が聞きたかった」
センリはそれを見て不敵に笑う。これで全ての準備が整ったと言わんばかりに。
「センリ様……っ!」
セレネは勢いよく抱きついた。センリは人の重さを受け止めてその背中に手を回した。
この夜は以前にも増して暑く、熱い夜となった。
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