ep.50 いったいいつまで救い続ければいい?
「どうした?」センリが口を挟むと、
「……センリ。俺、やっぱり無理だ。人殺しなんて……」
サンパツは振り向いてそう答えた。感情が複雑に入り組んだ顔をして、その手から弩を滑り落とす。
「人を殺したあとの顔じゃ妻とはもう楽しく笑い合えないし、その手じゃ子供を抱き締められない……気がするんだ」
「……そうか」
最初から期待していなかったとでも言いたげな顔で落ちた弩を拾ったセンリ。そのまま何のためらいもなく女に向けて矢を放った。
矢は頭部に命中して女は絶命。流れだす血とともに黒い蒸気が溢れ出した。
「セッ、センリ、お前……」
「これで幕引きだ」
そう言って振り向くセンリ。向こうでもすでに方が付いていた。お客様はみんな激しい暴行の末に肉塊となり地面に転がっていた。
「もうここに用はない。帰るぞ」
「あ、ああ……」
傷ついた足を引きずるようにして手に入れた革袋を拾い集めるサンパツ。すでに出口のほうに向かって歩いていくセンリの後を追いかける。
「おい! 待てよ!」
途中で後方から呼び止める声が。そこには返り血を浴びて殺気立つ参加者たちがいた。彼らはセンリたちのほうへと近づいてくる。
「あんただろ。護衛のやつらを簡単にやってのけたのは」
「……だったらなんだ?」センリが振り返る。
「どうしてその力をもっと前に使わなかった。もっと早く使ってさえいれば、みんなは死なずに済んだのに……!」
「金だって何の苦労もなく持って帰れた……!」
「なんで黙ったまま助けなかったんだよ……!」
参加者たちから糾弾されるセンリ。そこに感謝の言葉は一欠片もない。
「ま、待てよ! 言いすぎじゃないか? センリが何もしてくれなかったら、みんな死んでたんだぞ!」
サンパツはみんなをなだめようとして前に出たが、見るからに年少の彼の言葉に耳を貸すものはいない。
「あっ、センリ……」
サンパツを押しのけてセンリは彼らの前に立った。すると何かされるのではと参加者たちは怯えて後ずさった。
「1人の次は2人、さらに3人。4人。5人。6人。7人。8人。9人。10人。……なあ、いったいいつまで救い続ければいい?」
力ある者は全てを救え、という道理は言わば終わりのない呪縛のようなもの。
「俺の人生は無償の慈善活動じゃない。生きているのなら、自分の力で抗ってみせろ」
そう言い残して立ち去るセンリとそれに慌ててついていくサンパツ。
舞台袖の扉。大臣が逃げようとしたその場所から施設の中へ入り、隅に隠れていた案内人を取っ捕まえて街へ馬車を出すように促した。
急遽用意された馬車の荷台に乗り込んだ2人は御者に指示を出して馬を走らせる。
「なあ、どうして俺を助けてくれたんだ? 本当はそのつもりなんてなかったんだろ」
他が死んでいく中、サンパツだけは直前で死を免れた。それが彼にとっての例外であることに本人は気づいていた。
覆い布に開いたたくさんの穴。そこから光の筋が差し込む。センリは体勢を変えてから静かに口を開いた。
「……その昔、見返りも求めずに人々を救い続けた愚かな一族がいた。呆れるほどにお人好しなそいつらは手の平を返されてもなお救い続けたが、そのせいで滅びの末路を辿った」
「……それって」
「結局ちっぽけな人間如きが全てを救おうなどいうのはおこがましい行為なのさ。救えるのは、握ったその手からこぼれ落ちない分量だけだ。始めはお前もそこからこぼれ落ちた粒の一つだったが……、あの音色には拾い直すだけの価値があると思った。ただそれだけさ」
「……センリ。そう言ってくれて嬉しいよ。あれは死んだ母さんから教わった自慢の特技なのさ。なんでも火の神様に捧げる旋律とかで昔から語り継がれてるんだ」
それを聞いてセンリの眉根が寄った。
「お前たちは流浪の民なんじゃないのか?」
「ほとんどはそうだよ。でも中には元々火山の近くに住んでいて、そこから移住してきた人たちもいる。確か俺の母さんの家族がそんな感じだったと思う」
「……面白い話だな」
「ずっと昔は小さな集落で暮らしてたみたいだけど。たぶんこの国ができる前かな」
イグニアの建国以前から火の神信仰があったことにセンリは興味を示した。
「なら火の神殿についても何か聞いていないのか?」
「火の神殿? ああ、あれか。まだ母さんが生きてる時に一度聞いたことがあるけど知らないみたいだった。……でもそれの感謝祭は楽しかったなあ。その日はみんな浮かれてて俺たちが出てきても貧乏人だの移民だのと文句を言うやつはほとんどいなかったし」
懐かしい記憶の残り香を嗅ぐサンパツの顔はどこか悲しげだった。
「4年に1度の感謝祭か。歴史的な資料としてこの目で確かめてみたかったが」
「何言ってるんだよ、センリ。その4年に1度が今年だろ。確かもうすぐだったはず。他の地区のやつらはもう準備を始めてるよ」
「なんだと?」センリは目を見開く。
「良かったら一緒に行こうぜ。露店や大道芸ですごく賑わうし、城から神殿まで続く祭事行列も見られる。まあ、もう巫女様を直に拝むことはできなくなったけどさ」
「参加はするが、一緒に行けるかは分からないな。やることがある」
もっと言えば感謝祭が始まる前に確かめなければならないことが山積みだった。
「そうか。忙しそうだもんな。気が向いたらでいいよ」
「祭りのことを考える前にまずはその金のことを心配するんだな。周りに知れれば立ち所に奪われるだろう」
「言われなくても分かってるよ……。こんな大金見せびらかしたら次の日にはもう盗まれてるさ。だから別の場所へ移住するまではちゃんと隠しておく」
同じ地区の住民を疑いたくない気持ちの上に覆い被さるあの暴虐的な光景と誹謗中傷の嵐。人は命や金が絡むと豹変することをまざまざと見せつけられたようで、サンパツは臆病になっていた。
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街へ到着する頃には辺りは暗くなっていて、出発の時と同じようにまばらな明かりが出迎えた。一般的な民が住む地区を抜けて貧困地区へ到着すると、その明かりもほとんどなくなっていてここから先は国の管轄外ということを暗に教えてくれた。
「着いたぞ」
センリが馬車の荷台から飛び降りる。サンパツは革袋を抱えて降りてきた。
「センリ。何してるんだ?」
見れば御者に何かしらの魔術を行使している様子。かけられたほうはぼうっと顔で棒立ちになっている。
「ただの保険さ」
「ふーん。いたっ……」
サンパツは足を捻って顔を歪める。獲得したものの重みが傷口に響く。まだ化膿は始まっていないがなにぶん不衛生なのですぐに炎症を起こすだろう。
一世一代の勝負に打ち勝った者とは思えないみっともない歩き方の彼を見兼ねたセンリは立ち止まらせた。そして手をかざし、その足をサッと治癒した。
「人の親ならちゃんと胸を張って帰れ」
「あ、ありがとう……」
痛みが引いて歩きやすくなりサンパツはちゃんと胸を張って家路についた。
「お、おかえりなさい」
扉を叩くと薄明かりを背に中からサンパツの妻が現れた。驚きと安堵の入り混じった表情でどこか怪我をしていないかと夫の体を触って確かめる。
「大丈夫だって。心配ないよ」
「もう帰ってこないかと思った……」
涙を浮かべて夫に抱きつく妻。すすり泣く声が聞こえてくる。
「無事に帰ってこられたのはセンリのおかげなん……」
そう言って振り返ったサンパツの視界にはもうその男の姿はなかった。
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センリというと棒立ちになっていた御者の男にかけていた魔術を解いた。
「――あっ、あれ……私は今までいったい……」
「明日の昼、日が昇りきる前に城まで馬車で来い」
闇夜に浮かぶ男の顔に驚いて御者は一歩後ずさった。
「しっ、しかし、だ、大臣の命令で城へ行くことは」
「やつは俺が殺した」
「――ッ!」
大臣が死んだことを知らなかった御者は目を見張って恐怖した。
「お前に課した制約の魔術は約束を守らねば炸裂する。死にたくなければ迷わずに来ることだな」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
声を上げて手を伸ばす御者の目の前。センリの姿が闇の中にスッと溶けた。
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