ep.34 つまらない人生かもしれません
昼過ぎになって目を覚ましたら部屋に昼食が置いてあった。誰かが気を利かせて持ってきてくれたのだろう。
センリは遅めの昼食を食べて寝汗を流しに温泉へ浸かりにいった。
城の裏手に回り専用の入り口から中に入ろうとした時、ふと遠くから馬車の音が聞こえてきた。気になって覗いてみるとちょうど到着した馬車から白い衣に包まれた人物が降りてきた。頭からすっぽりと被っているので顔はよく見えない。
センリが近づこうとするとそれに気づいた守衛たちが驚いた顔で一斉に前に出た。武器を構えて「何者だ」とセンリに問う。
「答えたとしてお前たちは納得するのか?」
答えている間に後方で動きがあった。2人の守衛が衣の人物を覆い隠すようにして城のほうへ連れていったのだ。センリはそれを目で追った。
「答えよ! さもなくば……」
槍の鋒を向ける守衛にセンリはやれやれとため息をついて背を向けた。ここは付き合うべきじゃないとそのまま歩いて専用の入り口から男湯に入ろうとしたが、困ったことに彼らが後を追ってきた。
「そこは王族専用だッ! 貴様ッ! いったい何者だッ!」
「うるせえな。少し眠っとけ」
センリは彼らに手を向けて淡い光を放つ球を放った。それは守衛たちのすぐ近くで弾けて光の粉を撒き散らした。粉を吸った守衛たちは目が虚ろになり首を大きく揺らしてバタバタと倒れていった。
センリが去った跡には野郎どもの豪快ないびきだけが響いていた。
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すっきりして外へ出ると今から温泉に入るクロハと顔を合わせた。
「誰かと思えば主か。今出たばかりかえ?」
「ああ」
「男湯のほうはどうじゃ?」
「まあ悪くないが造りは変わらないだろ」
「それもそうじゃな。湯に浸かるのは主だけか? こちらはエスカやこの国の王女とともに楽しんでおるが」
「基本的には俺だけだ。国王には会ったことがないな」
言いながらセンリは昨晩の女をもう一度思い浮かべていた。
「お、それはつまり普段は1人ということ。ならば我が一緒に入っても」
「お断りだ」
センリは食い気味に答えた。くつろぐことができる貴重な時間を邪魔されるわけにはいかないのだろう。
「……むうう。主がそう言うても我は必ずゆくからのう。待っておれ」
「本当に来たら犯すからな」
「ほう。それは面白い。できるものならやってみい」
クロハは胸を張って挑発の笑みを浮かべた。脅しの通じない相手にセンリは苛立ち頭を悩ませた。
「それとさきほどから気になっておったのだが、そこらに転がっているあやつらは何なのじゃ。主がやったのかえ?」
クロハが振り返った先には眠らされた守衛たちが。今はすやすやと穏やかな寝息を立てている。
「ああ。不眠症だと言うから眠らせてやった。誰も起こさなければ明日の朝までぐっすりだろう」
センリが鼻で笑うとクロハもくふふと笑った。どうやら事情を察したらしい。
そのあと2人は別れてクロハは女湯へセンリは城へと戻った。
「あ、センリ様」
部屋へ戻る途中でアルテと出くわした。
「さきほどは申し訳ありませんでした。父の前だと恥ずかしくて本当のことが言えませんでした」
「風呂のことか?」
「はい。そうです。昨晩お会いしましたよね?」
「どうして男湯にいた?」
「それはその、1人でゆっくりと湯に浸かりたかったのです。女湯にはエスカ様やクロハ様がいらっしゃると聞いたもので」
「そういうことか」
「あの、またそちらへ伺ってもよろしいですか? 邪魔はいたしませんので」
「お前たちのものだろ。勝手にしろ」
その返事にアルテはにっこりと笑みを見せた。
「…………」
センリは彼女の態度に妙な感覚を覚えたがそれを振り払って別れた。
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その日の夜は外から流れ込む熱気で寝苦しい夜となった。額に汗をかいたセンリは体を起こしてベッドから降りた。
「……暑い」
月の光だけで照らされた部屋の中、センリは用意された水を全部飲み干した。それでも体の熱が収まらずいっそのこと温泉で汗を流すかと大浴場へ向かった。
深夜の大浴場はさすがに人の気配がなかった。しかしいつ何時であっても来るものを拒まない大浴場は汗に濡れた男を迎え入れた。
センリは男湯の脱衣場で服を脱ぎ捨てて浴場に入り、まずは打たせ湯で全身の汗を流した。それから石造りのゴツゴツとした階段に座り下半身だけ湯に浸かった。
「……さっそく顔を合わせるとはな」
湯気の向こうに人の影。それはだんだんと近づいてきた。
「あ、あの……」
湯気の中から現れたのはアルテと瓜二つの女。昨晩と違い今度は素肌を覆い隠す薄い布を体に巻いていた。
「お前はアルテか?」
「は、はい。そうです。こんな姿ですけど……」
女は肯定した。けれどセンリの知るアルテとはやはり雰囲気が違う。
「……こ、混乱するのも無理はありません。私と彼女ではあまりにも違いますから……」
「どういうことだ?」
「……実は私には2つの人格があるのです」
アルテは自身が二重人格であることを告げた。そのことにセンリは眉を寄せた。
「じゃあ俺が昼に会ったのはもう1人のお前だったというわけか」
「はい。その間の私の意識はありません。けれど記憶はほとんど共有しているので、あなたの名前も知っています。センリ様ですよね?」
「……ああ。今のお前と昼に会ったお前、どちらが主人格だ?」
「主人格はお昼のほうですね。私は途中から生まれた人格です。もしよろしければこれから私のことはセレネとお呼びください。そのほうが分かりやすいと思います」
アルテ改めセレネは相変わらずのか細い声で小さくお辞儀した。
「そのことを周りは知ってるのか?」
「城の者はほとんど知っています。ですから人格が切り替わっても、みなさん驚かずに優しく接してくれます」
そう言うセレネの目は言葉とは裏腹になぜか悲しそうだった。
「とりあえず座れ。まだ聞きたいことがある」
「は、はい……」
ずっと立ちっぱなしだったセレネは座れそうな場所を探した。その中で最も座りやすそうな場所はセンリの隣だった。彼女は上目遣いで反応を気にしながらおそるおそる歩いてそこに腰を下ろした。その豊満な肉体は布の上からでもはっきりと確認できた。
「あの、ここ座っても大丈夫でしたか?」
「座ってから言うな。まあ、お前が良ければ別にいい」
「あ、ありがとうございます。でもこんな姿で殿方の隣に座るなんて胸がどきどきしてしまいますね……」
セレネは恥ずかしそうに胸を押さえてそわそわした。隣から香ってくる石鹸の匂いはとても良いものでセンリは思わず二度嗅いだ。
「で、お前の人格はいつ切り替わる?」
「あ、はい。私が動けるのはアルテが就寝している間とお勤めの間だけです。それは一度も変わったことがありません」
「お勤め?」
「お勤めというのはですね。毎朝日の出とともに神殿へ出向いて神様にお祈りを捧げるというものです。城へ戻るとちょうどアルテが目を覚ますのでそこから交代になります」
「なら自由に動けるのはこの夜の間だけか」
「……そういうことになりますね。ですが私はこの国で唯一の巫女。代わりの方はどこにもおりません。この命の火が燃え尽きるまで私はずっと祈り続けるでしょう」
「つまらない人生だな」
「……そうですね。つまらない人生かもしれません。けれど火の巫女に選ばれた以上、それを受け入れて生きるしかありません」
火の巫女は神の啓示によって選出される。前任の巫女が死に際に神の声を聞くのだ。その声は次の巫女を指名するという。指名に法則性はなく平民でも貴族でも王族でも関係なしに選ばれる。共通しているのは魔術の才に秀でているということだけだ。
長い歴史の中でも王族が巫女に選ばれるのは実に稀なことだった。
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