火に渦巻くは歴史の咎

ep.33 初めましてとはずいぶんな言い草だな

 火の巫女が触れるは漆黒渦巻く奇奇怪怪の巨大な石。その石は何をしても壊れることがなく年々大きさを増していくという。


 もしものことがあれば大いなる災いをもたらすと言われ、火の巫女は祈祷してその石を半透明の膜で優しく包み込んだ。濃い魔力によって作り出されたものが浸透していく。


 石はドクンと大きく脈動した。それは母胎内で胎児が動くようで実に不気味。


 火の巫女はそっと石から手を離した。


 ここは火の神を祀る神殿。火山のもたらす恵みを享受して生きるイグニアの民にとっての神聖な場である。一般人の立ち入りは決して許されない。選ばれし火の巫女のみが立ち入ることを許されるのだ。


 火の巫女は立ち上がり祭壇に背を向けた。聖水に清められた衣を身に纏って淑やかに歩くその姿はまさに聖なる乙女。


 見目麗しく温かな光を放つ灰色の瞳に健康的な褐色の肌。衣のせいで顔しか窺えないがその上からでも分かるほどに豊満な体つきをしていた。


 この日の特別なお勤めを終えて火の巫女は出口の扉へと向かう。その扉に手をかけようとした時、何もしていないはずなのに勝手に扉が開いた。


 火の巫女しか触れることがない祭壇の扉が開いたのだ。


 ###


 アガスティア王国の南方に位置するイグニア王国。その領地内に火山を有しており、もたらされる自然の恵みを有効活用している。その代表とも言えるのが温泉である。国内の至る所から天然の温泉が湧き出していて湯に浸かることが国の文化になっていた。


 あの有名な冒険家アレクサンダー・フィンボルトも『湯を欲するならばイグニアを掘れ』と著書に残していた。


「到着しましたね」


 馬車の荷台から降りてエスカは言った。


 ここはイグニアの王都。その王城が立つ、街の中でもとりわけ標高の高い場所。


「やっと到着かえ」


 クロハは大きく背伸びをして鈍った体を軽く動かした。自慢の派手なドレスは夏期仕様で通気性を良くするために薄い生地で仕上げられていた。


 最後にようやく馬車の荷台から降りてきたのがセンリ。あくびをしながら気怠そうに背伸びをして首を鳴らした。


 今回オルベールはエスカの姉エルサの護衛があるのでお休み。その任は強引な形でセンリとクロハに押しつけられた。


「では謁見の間へ参ります。お二人は先にお部屋のほうへ。城に入ればそれぞれ案内の者が付きますので心配はいりません」


 エスカは国王への挨拶のために謁見の間へ向かった。残されたセンリとクロハは案内役に任せて城内を歩いた。


 案内された部屋は通気性が高く爽やかな風が吹き抜けていた。南国ふうの室内装飾で家具にはこの土地原産の木が使われていた。


 センリが椅子に座るとクロハは我が物顔でベッドに寝転がった。


「……お前の部屋は隣だろ」

「よいではないか。礼として我の匂いをたっぷり擦り付けておくぞ」

「ふざけるな」


 ベッドの上でごろごろするクロハが癪に障ってセンリは魔術を使った。クロハを浮遊させて横へ飛ばし部屋から追いだした。


 部屋の外にふわりと優しく着地したクロハは頬を膨らませて自分の部屋に行った。


 ###


 夜を迎えると食堂にて歓迎のご馳走が用意された。エスカたちは国王と席をともにして楽しい夕食の時間を過ごした。イグニアの国王は豪快でいて親身な男だった。エスカたちに対してはとても友好的で自ら話題を振って場を盛り上げた。


 自身が大の温泉好きということもあって国王はエスカたちに食後の入浴を勧めた。なんでも城の敷地内に大浴場があるとのこと。さらに旅の疲れを癒してほしいと王族専用の浴場を貸し与えた。


 太っ腹な計らいにエスカとクロハは大いに喜んだ。センリも悪くないと今にも言いそうな顔で腕を組んでいた。


 食後すぐにとはいかず間を置いてから各々好きな時間に大浴場へ向かった。場所は城の裏手にある専用の大きな建物。水蒸気を逃がすためだろうか、側面から湯気が漏れ出ていて空高く昇っていく。


 センリは王族専用の入り口から男湯のほうに入った。誰もいない脱衣場で服を脱いで籠へ放り投げると素っ裸で浴場へと続く扉に向かった。


 扉の向こうは湯気に包まれた石造りの浴場だった。センリは一瞬だけ眉を寄せて打たせ湯のほうに向かった。いきなり湯に浸かるのではなくきちんと全身を洗ってから入浴するのだ。


 昔から知っているかのような馴染み深い湯の場に心が落ち着いていく。


 頭から適温の湯を浴びて気分は爽快に。全身の汚れも綺麗さっぱり落ちた。体から湯気を上げながら濡れた石床を歩いてようやく湯に浸かる。深さは腰を落とした時の肩の高さまでと言えば分かりやすいだろうか。階段を利用すれば深さを調節することもできた。


「覗き見とはあまりいい趣味じゃないな」


 センリは視界の奥にある岩に向かって言った。


「――ッ!」


 岩の陰に隠れた人影はハッとして息を呑んだ。


「出てくる気がないのならこっちから行くぞ」


 センリは腰を上げて一歩一歩その岩に近づいていく。相手に動く気配はない。岩に手を置いてうしろを見た。そこにいたのは、


「……ご、ごめんなさい……」


 女だった。鮮やかな緋色の乱れ髪に透き通った灰色の瞳。そのしなやかで豊満な肢体は男性を虜にすること間違いないだろう。


「ここは男湯だぞ」

「……ほ、本当にごめんなさい……ごめんなさい……」


 女はか細い声で何度も謝りながら強引にセンリの横を通って逃げだした。そのまま湯から上がって浴場を出ていく。


「……なんなんだあいつは……」


 センリはため息をついて湯に浸かり直した。


 ###


 翌朝。温泉のおかげでぐっすり眠ることができたセンリはなぜか謁見の間にいた。どうやら国王がぜひとも勇者の一族の末裔と話がしたいとエスカに要望したらしい。


「おおっ! やはり君がその勇者の一族の末裔か。従者の雰囲気ではないと思っていたがいやはや、これは実に光栄なことだ」

「俺は別に何とも思わないけどな」

「こ、これッ! この国の主に何という口の利き方だッ!」


 センリの発言に横から大臣が慌てて口を挟んだ。当の本人は怒るどころか大きく口を開けて笑い始めた。


「ハッハッハ! 良いではないか。実に面白いぞ。勇者とは勇ましき者と古代から言われている。これくらいの度胸がなくてはな」

「こ、これは度胸ではなく無謀と言うのです」

「ハハハッ! 確かにそうかもしれん。だがこうでなくては世界を救えなかっただろう」

「で、俺に何の用だ? あいつに無理やり起こされてわざわざ来てやったわけだが」

「すまんっ! 用はない。が、私はどうしても君に一目会いたかったのだ」


 国王は手を合わせてお茶目に謝罪した。おとぎ話の中の存在に興味津々といった様子。


「はあ? ふざけるな」

「ななななんという恐ろしい口の利き方ッ! いくら国王様が恩情で見逃しているとはいえこれはさすがにッ!」


 あまりの態度に大臣は卒倒しそうになっていた。


「馬鹿馬鹿しい。部屋に戻って二度寝だ二度寝」

「ま、待ちたまえ!」


 去ろうとするセンリを国王は慌てて呼び止めた。センリは渋々足を止めて振り返った。


「なんだ?」

「ぜひ君に私の娘を紹介したい」


 国王は手を叩いて娘を呼んだ。娘は玉座の後方にある小部屋から出てきた。


「お前は……」

「紹介しよう。一人娘のアルテだ」

「初めまして。アルテと申します」


 アルテは正装のドレス姿で丁寧にお辞儀した。


 緋色の髪。灰色の瞳。豊満な肢体。センリは確信した。彼女こそが昨晩浴場で出会った人物だと。王族ならば男湯とはいえ日頃から空いているはずの場にいても不思議ではない。


「初めましてとはずいぶんな言い草だな。昨日会ったじゃないか」

「……はい? 申し訳ありません。人違いではないでしょうか」

「なわけないだろ。湯気で見えていないとでも思ったのか?」

「湯気? それは温泉のことでしょうか? 混浴ではないのでそこでお会いすることはまずないと思うのですが……」

「…………」


 何かがおかしい。センリは思った。よくよく聞けば昨日の女よりもハキハキと言葉を話している。決してか細い声ではない。


「まあまあ、おそらく何かの勘違いだろう。それよりもどうだね。私の娘は。良ければ2人でお茶でもどうだい」

「……お父様。またそんなことを。困っていらっしゃるではないですか」

「おっと、またしても出すぎた真似だったか」

「ですからいつも言っているでしょう。私事に関しては私に任せてくださいと。そういうことだからお母様が家出するのですよ」

「……それを言われると辛いものがあるな。すまなかった」


 気の強い娘に怒られて国王はしゅんとした。


「君にもすまなかった。父親としてはどうしても娘の将来が気になってしまうのだ。もうすぐ20だというのに思い人の1人すらおらん。だから良い男を見つけるとつい紹介したくなるのだ」

「申し訳ありませんでした。父の戯言は聞き流していただいて結構ですので」


 元々の性格もあってアルテは父に対して非常に辛口だった。


「実にくだらん。俺はもう行くぞ」

「あの、最後にお名前だけでも伺ってもよろしいですか?」

「センリだ。じゃあな」


 背中越しに答えたセンリは自分の部屋に帰って宣言通り二度寝をした。

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