ep.31 とっとと死ね

「なん……。そ、そんな馬鹿なことがあり得るのか……」


 予想を遥かに超えた衝撃にジュゼットは狼狽えていた。


「み、みなの者ッ! 奴を捕らえろッ! 再び封印するのだッ!」


 冷や汗を流すジュゼットの合図で部下たちは一斉にセンリへ襲いかかった。


「ネフライッ!」


 センリは叫んだ。カレンの周りが手薄になった今、救出するには絶好の機会だ。


「……カレンッ!」


 ネフライは足に疾風の魔術をかけて妻のもとへ走った。さすがは七賢者の末裔。その速さは敵の認識を大幅に超えていた。見張りの男は対抗しようとしたが気づいた時にはもう顎下に拳を打ち込まれて宙を舞っていた。


「あなたッ!」


 ネフライの手によって解放されたカレンは夫に抱きついた。


「カレンッ! 大丈夫かい? どこも怪我はないかい?」

「ええ。私もこの子も大丈夫よ。でもカイルが……ッ!」

「知っている。だから今から迎えに行こう。このままだと巻き込まれるかもしれない。まだ動けるね?」

「もちろんよ」


 カレンはこくりと頷いた。母は愛する我が子のために立ち上がった。


 一方でセンリに襲いかかった白ローブの集団は発せられた衝撃波で遠くへ吹き飛ばされた。それ自体に大した威力はないが彼らは再び間合いを詰めなくてはならない。


「魂に飢えし死神の鎌。刈るは必中、捧げし血肉の檻。今こそ具現し我が手に従え」


 その間にセンリは詠唱し、地面に片手を突っ込んだ。手の周囲は泡立つ赤黒い沼に変わり、地中で掴んだそれを一気に引っ張り上げた。


 それはセンリの背丈を超えた大鎌。死を象徴する黒の長柄と白に限りなく近い銀の刃を有し真っ赤な嘆きの涙を流していた。


「鮮血の、首狩り大鎌……!」


 センリは引き上げた大鎌をブンッと振るった。空を一閃。あまりの切れ味に音すら置き去りにした。


「……塵どもが。俺を怒らせたことを後悔するなよ」


 地獄の底から這い出た悪魔のような冷酷な声。センリは両手に持ち替え、姿勢を低くして構えた。


 眼前に迫る敵。センリは刃を相手に向けて勢いよく横へ薙ぎ払った。スッと静寂の夜を斬り裂いて生者の魂を刈りとった。その跡には首なしの死体が散乱していた。


 目の前でおこなわれた一瞬の斬殺劇にさすがの敵も動揺し動きを止めた。


 だがしかし死神となったセンリがそれで止めるはずもなかった。その場からフッと姿を消した死神は生者の前に現れては次々とその魂を刈りとっていった。それはまさに死の宣告。振り上げた大鎌は振り下ろす時に必ず何者かの魂を獲ると言われている。逃れるには他者の魂を捧げなければならないがこの死神にそんな慈悲はなかった。


「今のうちだ。行くぞ」

「ええ」


 ネフライとカレンは互いに覚悟を決めて我が子のもとへ走った。ネフライは足に疾風の魔術を、カレンは母体ために全身の強化の魔術を施した。戦闘に巻き込まれないように迂回して愛する我が子のもとへ辿り着いた。


「カイルッ! 私のせいで……ッ!」


 カレンは変わり果てた我が子を抱き上げた。死後硬直によって体は硬くなり氷のように冷たくなっていた。


「カレン。気持ちは分かるがここにいては彼の邪魔になる。まずは安全な場所へ」

「……そうね」


 カレンはカイルを、ネフライは娼婦の女を抱きかかえて安全な場所へ避難した。途中で一瞬だけ振り返ると呆然と立ち尽くすジュゼットの姿が視界に入った。


「……もはや我々の手には負えないということなのか。口惜しいがこれはもう本国の司教様にお伝えせねば」


 ジュゼットは部下を見捨てて戦場に背を向けた。


 丁度その時、戦場で舞踏していた死神は最後の魂を刈りとった。悲鳴を上げる暇もなく頭部を切断された白ローブの男は数秒ほどしてから自分が死んだことを悟った。


 馬車へと走る愚かな生者を視界の端に捉えた死神はその者の進行方向に向けて大鎌を投げた。大鎌は車輪のように回転しながらその者の鼻先を掠めて地面に突き刺さった。


「……ッ!」


 鏡のような刃に映る驚愕した自分の顏。ジュゼットはそれを投げた者のほうをゆっくりと振り向いた。


「どこへ行く」

「……痛恨の極みだが我らの力では貴様には敵わない。よって戦略的撤退をおこなう」

「逃がすとでも思ってるのか」

「神の名において通してもらおう」


 ジュゼットは怖気づかず睨みつけた。


 センリは一歩一歩近づきながら右手を横に出した。その右手は夜の闇に映える紅蓮の炎を纏った。


「何をするかと思えばそれはあの忌々しい子供の……。ククク……闇に与した者が正義の味方などとほざく姿は実に滑稽であったぞ」


 カレンを守るために立ち塞がったカイルを思い出して嘲笑するジュゼット。


 センリは顔色を一切変えずに燃ゆる炎の中で指をパキパキと鳴らして拳を固めた。


 次の刹那、センリはジュゼットの懐に入りその拳を腹部に打ち込んだ。


「グッ……ッ!」


 ジュゼットは口から血を吐いて遠くへ殴り飛ばされた。何度も地面と接触し土埃を舞い上げながら転がった。


 センリは止めを一時保留しネフライたちを探知した。魔力の波動を辿れば廃棄された石材のうしろに彼らはいた。同時に彼らが死体のそばを通っていたことから死体は保護されたと理解した。


 地面にそっと手を置いたセンリ。突如として大地が隆起し、大きな土の壁がネフライたちの前に現れた。驚く彼らをよそにセンリは続けて土壁を魔術障壁で覆い固めた。耐久性は桁違いに向上し彼らを守る騎士となった。


 その騎士を残してセンリはジュゼットとの決着をつけにいった。


 ジュゼットは辛うじて生きていた。体の各所を骨折し息も絶え絶えに匍匐前進のような格好でじりじりと身を引きずっていて何とか逃げ延びようとしていた。


 そんな男の前に死神は現れた。


「……私を殺したところで……何の意味もなさないぞ……闇の申し子よ……」

「…………」

「……己が罪を悔いて……私を見逃せば……口利きをして……やらんこともないぞ……」

「…………」


 センリは無言で蹴りを入れてジュゼットを仰向けにした。そこへ、


「……や、闇は必ず滅びる……神の軍勢を怯えて待て……」


 センリは紅蓮に激しく燃ゆるその右拳を振り上げた。それは正義の味方を見事に全うした少年への手向け。


 「……とっとと死ね」


 彼の世へ捧げる炎の鉄拳が今、憎き男の顔面へ一気に振り下ろされた。



 どうしてこの世界はこんなにも醜く腐ってやがる。



 次の瞬間、大地を震え上がらすほどの大爆発が起きた。


 甚大な衝撃と爆風に辺り一帯は消し飛んでいく。草木は根こそぎ剥がされて吹き飛ばされ、資材や採石用の装置は軽々と宙を舞い、採石現場も一寸の猶予を持って瓦解した。


 何もかもが破壊されていく中でネフライたちは必死に耐えていた。頑丈な壁があるとはいえその衝撃は計り知れない。一瞬でも気を抜けば大地から引き剥がされて空の中へ消えてしまいそうである。


「……い、いったい何が起こっているんだ……」


 ネフライは3人を抱き込んでさらに魔術障壁を張っていた。


 横から聞こえる爆音と物が壁に当たって聞こえる破砕音。耳を塞ぐ暇すらなく鼓膜が破れそうな音を聞きながらネフライたちは終わりを耐えに耐えて待った。


 永遠に感じた数十秒を経てようやく事態は収まった。音も衝撃もなくなり再び静寂の夜へと戻った。


「納まった……のか?」


 ネフライは周囲を見回した。


「あなた。大丈夫?」

「私は全然問題ない。君のほうこそ大丈夫かい?」

「大丈夫よ。でも今のはいったい何だったのかしら。とても恐ろしいわ」

「……少し様子を見てくる。君はここにいて」


 不安げな妻を置いてネフライは立ち上がり壁の端から向こう側を覗いた。すぐ目の前の、その光景を目の当たりにした時、言葉を失った。


 夜空に一際煌めく月明かりの下には小隕石が追突したかのような巨大なクレーターが形成されていた。火口のように円形に窪んでいて以前そこに存在していたものは跡形もなく消えていた。


 一歩間違えば自分たちも消し飛ばされていたと考えてネフライは身震いした。


 遠すぎてネフライたちの位置から見ることはできないが、クレーターの中心には人影があった。それは間違いなくセンリだった。その右の拳から炎は消えていて、白煙だけが儚く立ち昇っている。


 拳を下した相手は文字通り木端微塵。骨の一片すら残されていなかった。


「…………」


 センリはおもむろに取り出した銀貨を指で弾いて踵を返した。銀貨はひらりと空高く打ち上がり、時間差で地面へと落下した。

 

 男が立ち去ったあとには、銀貨の表面、女神の安らかな微笑みが残されていた。

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