ep.25 闇の申し子よ
「お待たせしました」
心地良い風を浴びて待っているとエスカがようやく戻ってきた。その腕の中には紙袋があった。中から取りだしたのは甘い匂いを漂わす小さなパイ。それをセンリとクロハに手渡した。
さっそくクロハがパイをかじると中から新鮮な蜂蜜が溢れ出てきた。
「……主はこれを買いにいっておったのか?」
「はい。向こうの茂みを迂回した先にあるパン屋さんで買いました。前に一度食べたことがあって、とても美味しかったのでぜひみなさんにも食べていただきたくて」
「……うむ。実に美味であるぞ。気にいった」
「良かったです。ほっとしました。あの、センリさんは?」
「……悪くない」
センリは丁度小腹が空いていたのでそれは美味しく感じられた。
「お気に召していただけたようで」
エスカはセンリに微笑みかけて自らもそのパイを食した。
「しばらくここでゆっくりしたら市場を通って城へ帰りましょう。帰り着く頃には丁度良い時間になっているはずでず」
パイを食べ終えると3人はそれぞれの時間を過ごした。クロハは目を閉じて足を伸ばしくつろいだ。センリは足を組んで手に入れた本に読みふけった。エスカはセンリに寄り添い横から本を覗いていた。
時間はじんわりと流れて遊ぶ子供が1人減り、2人減り、3人減り。日はだんだんと落ちて辺りは少しずつ薄暗くなっていく。
さすがに文字が読みにくくなってきてセンリは読書を諦めた。本をパタンと閉じた音でクロハは目を覚ました。
「そろそろ帰りましょうか」
エスカが立ち上がると2人も同時に立ち上がった。3人は子供のいなくなった公園を後にした。市場はまだ賑わいを見せていて、そこを客引きに捕まらないよう通り抜けた。
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城へと繋がる大通りと市場がある通りの間は往来のため人通りが多い。はずなのだが今日は人通りが異常なほど少なかった。
3人は何か奇妙な雰囲気を感じ取って立ち止まった。
「人払いの魔術か?」
「そうだと思いますがなぜ……」
クロハとエスカは周囲を警戒した。
人払いの魔術はある場所に近づく者の意識を逸らし遠ざける魔術。魔術水準が高い者には効果を示さないが、それをあえて利用して特定の人物を孤立させることも可能である。
術者は術の効果中、膨大な魔力を延々注ぎ続ける。範囲が広ければ広いほど1人の魔術師がおこなうにはあまりにも負担が大きすぎるため、普通は集団でおこない分担する。それでも決して楽になるわけではないのだから恐ろしい。
「我らが神に最後の祈りは済ませたか。闇の化身よ」
その声とともに路地から白いローブの集団がぞろぞろと出てきた。
「汝らは誰ぞ」
クロハは彼らに蔑むような視線を送った。
「我らは偉大なるドゥルージ神の導きに従う者なり。神の名においてこの世に災厄をもたらす闇の化身を浄化する」
集団の先頭に立って話す男。センリは以前その男と言葉を交わしていた。
「いったい何を言うておる。どかぬなら力尽くで通るぞ」
実力行使に出ようとしたクロハをセンリは制した。
「下がってろ。こいつらは俺の客だ」
センリは本をエスカに投げ渡して前に出た。
「センリさん……」
エスカは本を受け取り不安そうにその背中を見つめている。
「話の通じない連中だな。魔族のほうがまだ分かり合えそうだ」
「ようやく決心がついたか。ではこれより浄化を開始する」
男の合図で以前のように白ローブの者たちが襲いかかってきた。前列が近接戦闘で動きを止めて後列が魔術で止めを刺すつもりなのだろう。
だがしかしそう上手くはいかない。センリは眼前に迫る前列の者たちを一歩も動かずに発した風だけで吹き飛ばした。
それに動じず後列の者たちが次の手を使った。詠唱により仕上げた火・水・雷の魔術をセンリに向けて同時に放ったのだ。
迫りくる魔力の奔流。センリは右手を前に出し円を描くように動かした。すると魔力の奔流は誘導されて混ざり合い、掌の上で綺麗な渦を巻いた。互いに打ち消し合わないうちに形状を整えてセンリは相手に放り投げた。
「返すぞ」
その言葉の直後、爆発音・破裂音・轟音を同時に響き渡らせて彼らの立っていた場所とその周りを瓦礫の山に変えた。巻き起こった突風に吹き飛ばされそうになったクロハとエスカは瞬時に魔術障壁を張って対処した。
「まさかこれほどとは……。やはり神の教えは間違いではなかった。今ここで災厄の芽は摘まねばならん」
土煙の中から現れたのは先頭に立ち指揮していたあの男。頭巾は吹き飛び厳つい素顔を晒している。他の者たちは遠くへ吹き飛ばされたか瓦礫の上に倒れているか瓦礫に埋もれたかのいずれかであった。
「ーーむ」
近くで瓦礫が動いたことにクロハは気づいた。その次の瞬間、白ローブの男が瓦礫の中から飛びだしてきた。どうやらクロハかエスカのどちらかを人質にするつもりのようだ。
「近寄るな。下郎め」
「ぐあああああああああああああァッ!!」
男の足を雷の槍が射抜いた。男は叫び声を上げながらその場に転がり焦げた足を押さえた。突発的な人質作戦は未然に防がれた。
「恐るべき闇の力は配下の者にまで及んでいたか。一刻も早く浄化せねばなるまい。今この場にて朽ち果てよ。慈悲はない」
男は腰の鞘から剣を抜いて天に掲げた。
「天にまします我らの偉大な神よ。我が名はジュゼット。清められし聖なる力を今こそこの剣に宿し罪なき我らを闇より救いたまえ」
ジュゼットと名乗ったその男は掲げた剣に己の魔力を限界まで付加した。剣は薄暗さの中で激しく光り輝いて本当に神の力を得たかのようである。
「ゆくぞ。闇の申し子よ」
ジュゼットは剣を構えた。次の刹那、瓦礫を蹴って飛びだした。
首を狙う最初の一撃を横にかわしたセンリ。続けざまの二撃目を男の背後に回って回避し掌底打ちを決めた。
ジュゼットは吹っ飛ばされたが、空中で体勢を整えて瓦礫の上に着地し再びセンリに刃を向けた。剣を振るって衝撃波を飛ばしセンリの足もとにある瓦礫を狙う。瓦礫は見事に崩れてセンリは体勢を崩した。
ジュゼットは器用に走り、斜め下から上へ斬撃を放つ。回避不能に思えたそれを、センリは瞬時に後方へ飛んでかわした。直後、ジュゼットは着地の瞬間に合わせて渾身の突きを放った。刃先の延長線上には心臓が。
捉えた。ジュゼットは剣に宿した魔力の一部を解き放った。燃ゆる光が迸る。それは内部から肉を焼き焦がす浄化の炎。闇の化身を討ち滅ぼすために鍛え上げた神髄。
「……神よ……」
神への投げかけとともに剣は心臓の位置を貫いた。
「――ッ!」
かに見えたが寸前のところでセンリはひらりと身をかわした。その上で体を回転させて今まさにジュゼットの頭部へと強烈な回し蹴りが放たれた。
より一層の衝撃に弾かれてジュゼットは瓦礫の端まで飛ばされた。無傷の建物にぶつかり壁に大きな穴を開けて瓦解させてしまう。中にいた住人は慌てて逃げだした。
「……ぐッ。障壁を張っていなければ死んでいたぞッ……」
土埃と細かい瓦礫にまみれて再び現れたジュゼットは剣を杖代わりにして戻ってきた。往生際が悪いのか、信心深いのか。センリに再び戦いを挑むべく瓦礫を蹴って勢いよく飛びだす。
「ーー潮時だな」
ちょうどその時、十分な魔力が供給できずに人払いの魔術が消失した。辺りに人の気配がだんだんと戻ってくる。その中にはネフライが属する黒ローブの集団もいた。
「隙を見せたなッ……!」
不注意に振り返ったセンリにとどめを刺すべく、ジュゼットは己の信ずる正義の剣を振るった。
が、それは片手でいともたやすく受け止められた。目と鼻の先、憎悪に満ちた漆黒の瞳が裁定者気取りを射抜く。
「な、なんだとッ!?」まさかの出来事に驚きを隠せないジュゼット。
「失せろ。塵どもが。不愉快なんだよ」
闇の化身と呼ばれた男はドスの利いた声で言い放つ。
そして手に握り締めたその光り輝く正義もどきの剣を、寸分のためらいもなく、破砕した。
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