ep.9 お前はどうする?

「……ここまで来ればしばらくは大丈夫でしょう」


 宮殿内のとある無人の客室。オルベールは2人を下ろして一息ついた。3人のそばには後についてきたモルガの姿もあった。


「まさかこのようなことになるとは。全て私の失態です。姫様やオルベール殿、そして彼にはお詫びの申し上げようもございません」


 モルガは俯いて深刻な表情を浮かべた。


「モルガ議長。あなたのせいではありません。どうか自分を責めないで」

「姫様のお心遣いに感謝します。ですがこれらは全て未熟な私が招いた事態です」

「……横から失礼いたします。モルガ殿。さきほどの一件を見る限りでは主導権は貴殿ではなくダトー議員にあるように感じました。ひょっとすると平生から彼に議会の主導権を握られているのではないですか?」

「……オルベール殿のおっしゃる通りです。現在の議会の実質的な舵取りはダトー議員が行なっています。力も威厳もない若造の私は書類に目を通し署名をするだけ。誠に情けない限りです」


「ですが議長はモルガさん、あなたなのでしょう? 選ばれたあなたの言葉なら皆さんに届くと思うのです」

「姫様はご存知なかったようですね。ここラボワの議員は選挙によって民の中から選出されますが、この議長という立場に限り旧王族の中から選出されることになっています。それは編入時からの風習と言ってもよいでしょう。私は先代の議長である父が急死したことにより選出されました」

「それは事実上の王制ですね」

「はい。ご指摘の通りです。これに関してはラボワの領主ということで国王陛下も認めてくださっているので問題はないのですが、他の方々からは快く思われていません。当然です。民主制を掲げておきながら、最終的な意思決定権は旧王族にあるのですから」


「でもどうして議会を民主制に? 編入した他の国の多くは領主制や貴族制をとっています」

「編入当時の王族が糾弾から免れるためにそうしたようです。国民に国を売ったと捉えられたくなかったのでしょう。民主制になると謳えば国民感情も好転すると踏んで実行したはよいものの、それからの王族の地位を危ぶんで残したものが今の議長制度というわけです。正直その制度は私の代で終わりにしようと考えています。しかし……」

「何か問題が?」

「今採決を行なえば間違いなくあのダトーが次の議長となるでしょう。私はあの男にこの都市を託すことはできません。姫様もご覧になったでしょう。民の命が危ぶまれるこの状況下で彼はそれを最優先に考えることができない」


「確かに……そうですね。私もその、あの方は苦手です」

「議員の中には彼に弱みを握られている者や賄賂に溺れている者がいます。それ故に彼の力は増していく一方。ですが私にも頼もしい味方がいます。私が志半ばにして倒れたとしても後を任せられる、そんな男です。今からそこへ案内しましょう」


 その男のことをよほど信頼しているのかモルガは自信に満ち溢れた顔だった。


 ###


 モルガの案内により宮殿を抜けだした後、その味方という男のもとに向かった。到着したそこは見上げる高さの城壁が間近に見える門下だった。4人は門の横にある小さな扉をくぐり階段を上がって城壁の上に出た。


「ライガット」


 モルガが声をかけたのは腕を組み険しい表情で眼下の街を眺める男だった。歳はモルガよりも一回り上だろう。


「む、モルガ様」

「状況は?」

「現時点では優勢です。しかしながら多数の死傷者が出ています。北区・東区・西区の住民の避難誘導に関しては順調に進んでいますが、この南地区に限っては不順です」


 魔族の来襲は南から。つまりこの南地区こそが前線だった。


「分かった。あとで私が兵を率いて救援に向かおう。他に何かできることはあるか?」

「街へ向かわれるのでしたら前線に物資を届けていただきたい。……ですがくれぐれもご無理はなさらぬよう」

「分かっている。これでも悪運は強いほうだ。心配するな」


 短い会話だがその中に2人の信頼関係が見てとれた。


「それで、モルガ様の後ろにいる彼らは?」

「紹介しよう。まずここにおられる方が何を隠そうアガスティア王国の第二王女であらせられるエスカ様だ」

「これはこれはとんだ無礼を……」


 ライガットはすぐさま跪いて頭を垂れた。


「よいのです。私のことは気にせず職務に集中なさってください」

「……ありがたきお言葉」


 エスカの言葉を受けてライガットは顔を上げ立ち上がった。


「そしてこちらはアガスティア王国騎士団の副団長オルベール殿だ。エスカ様の護衛をなさっている」


 紹介されたオルベールは軽く会釈した。


「最後に紹介する彼はかの勇者の一族の末裔であるセンリ殿だ」

「……ふむ。彼があの伝説の一族の」

「…………」


 センリは目を合わさずにどこか遠くを見ていた。


「御三方。申し遅れましたが私はライガットと申します。この都市で副議長を務めております。今は戦時中で指揮をしております故、不作法な振る舞いをお許しください」


 ライガットは最後に自己紹介をして頭を下げた。その時だった。


「ご、ご報告申し上げますッ!」


 突如として大声が響いた。その場にいる全員が振り返るとそこには慌てた様子の一兵がいた。階段を駆け上がってきたせいか息も絶え絶えだ。


「どうした。何があった?」


 ライガットが問うと、


「き、北の方角3マィル先より敵の増援がッ! その数およそ1万ッ!」


 その兵士は叫ぶようにして答えた。3マィルはおよそ5キロメートルである。


「こちらは推定五千。陽動のつもりだったのか? まあいい。北東ならびに北西の防衛にあたらせていた兵を北に集結させろ。私もすぐそちらへ行く」

「了解でありますッ!」


 その兵士は敬礼して踵を返した。次の瞬間にはもうその姿は消えていた。見た目は一般兵と何ら変わらなかったが、彼は北門防衛の幹部の1人だった。


「急ぎ避難住民を城壁内に収容せよ。九の時を以って完全に門を閉ざす。他の門の者にそう伝えよ」


 ライガットはそばの伝令役にそう伝えた。彼らは深く頷くと各々の伝令先に向かって飛ぶような速さで向かった。それはガイアの使う風の魔術を彷彿とさせるものだった。


「……1万か。不味いな」


「兵力はこちらが上。ですが相手は人ではなく魔族。付け入る隙を少しでも与えれば壊滅の恐れもあるでしょう」


 苦虫を噛み潰したような表情のモルガと表情を曇らせるライガット。冷静に話していてもその表情は状況が確実に悪化していることを物語っていた。


「センリ殿」


 モルガの呼ぶ声に反応してセンリはそちらを向いた。するとそこには、


「この通りだ。どうか我らにその勇者の力を貸してはもらえないだろうか」


 地面に額をつけて土下座をするモルガの姿があった。その姿に周囲は驚いた。


「モルガ様! いったい何をなさって……」

「ライガット。私を止めてくれるな。こうでもしない限り私は彼に助けを乞うことができぬ。それほどの迷惑を彼にはかけた」


 エスカたちはそれが会議室での一件だということがすぐに分かった。


「本当に身勝手な話だとは思うが、民のためにどうかお願いできないだろうか。その代価は私が責任を以って支払おう」

「……引き受ける代わりに命をもらうと言ったら、お前はどうする?」


 センリは見下したような目で冷たく言った。誰よりも早くその言葉に反応したのは他ならぬエスカだった。


「私の命なら喜んで差しだそう。……だが今はできぬ。私にはこの身を限界まで使い、1人でも多くの民を救うという役目がある。誠に申し訳ないが、その役目が終わるまではこの命を差しだすことはできぬ」


 声からもひしひしと伝わってくる強い意志と固い決意。それは無条件に全てを受け入れていたエスカに欠けていたものだった。


「……そうか」


 一言。センリは言って空を見上げた。空は清々しいほどの晴天。周囲は彼がどのような答えを出すのかと静かに見守っていた。

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