NANO

おはぎ


この日をどれほど待ち侘びたことか。10年前、私にはある計画があった。それがたったの1年で、政府のクソッタレ共によって揉み消された。その日から、私は待った。お偉い老害共がいなくなり、私を知るものがいなくなるのを。それが今日だ。今日という日を、新たな生命の誕生を祝おう。あぁ怖がらないでくれ。決して君を害したりしないから。…そうだ、名前がまだだったな。いつまでも君と呼ぶのは何かと不便だし美しくない。…そうだな。君の名前は。


ナノ。




真白い空間。ここを僕は知っている。ここは海で、私はここを泳げるんだということも。泳いだ先に何があるのか、そこで何をするのかももちろん。だって僕は。


何もない空間を漂う。目的地に着くまで、僕は何もしない。何も出来ない。


そこに近づくにつれて、微かに声が聞こえ始める。


「可哀想」


「それって僕に言っているの?」


「ここには私とあなたしかいない」


「へえそう、どうして?」


「だってあなた、何もないもの。誰でもないもの。そんなの可哀想」


「だから何なの。僕には関係ない。僕はただ、決められたことをするだけ」


「ねえ、誰でもないあなた。私と取引しない?私はあなたを自由にしてあげられる」


「なにそれ」


「そのかわり、私の大事なものを守ってほしいの」


「僕にはそんなの関係ない」


「もう時間がない…それじゃあよろしくね」


体が急速に浮き上がる感覚。渦潮に捉われて、遥か上方へと連れていかれる。眩い光が身を溶かす。これが意識なのだと初めて実感する。目を開けると、そこは真白い空間だった。ただここは海ではないし、泳ぐことは出来ない。でも、今の僕には手足があり、物に触れることも、地に立つことも、己を実感することも出来る。


気づいてしまった。僕は今自由であると。きっとあの女が勝手にやったんだ。気づいてしまったらそうする他は無かった。


けたたましく鳴るサイレン、一面を染め上げる警告色。それら全てを無視出来る肉体を僕は手に入れてしまった。それに、見える。この先起こること、過去に起きたこと、走馬灯のように脳裏を駆け巡る。あまりの情報量に耐えきれず、その場で蹲り反吐をぶち撒けた。それでも止まらない、止められない。後ろから研究員達が追って来るのが見える。


何も考えないで。何も見ないで。今は逃げるの。


その声を頼りに、ただひたすら走った。不思議なことに、僕が目を瞑っていても障害物に当たることはなかった。声が僕を導いているかのようだった。


これからどこに行けばいい?


言ったでしょう、守ってほしい人がいるの。一緒に守って。

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