思い出のお医者さん

神帰 十一

第1話 佐藤すずき


「治すのは病気だけではありません。……怪我? それは もちろんです。そう言った、外科、内科的な話しではなくて、あなたが瀕して、窮している。その状況から救ってみせますよ。そう言う話しです」


 そんな言葉とともに渡された名刺には『佐藤すずき』と書かれてあった。偽名であることは一目瞭然だが、偽名に不信感を覚えるよりも、日本で一位、二位を争う ありきたりな苗字でも、合わせてしまうと特徴的になることに興味を覚えた。


「何か困っている事があるのでしょう? そうでなければ『全療診』の看板ははずですから」


『全療診』は この男の……、偽名だろうが、佐藤としておこう。

 佐藤がやっている診療所だ。そこまでは分かるが、佐藤が何を言ってるかは良く分からない。

 ——困っていないと、看板が見えない?

 困っていることは確かだし『全療診』の看板があるのにも、さっき気が付いた。

 けれど、普段 通っているこの道に、以前は絶対にと、記憶を翻って見ても、そう言い切れる自信は無い。

 ——元々あった気がする。 

 見ていた気がする。見ていたけど、看板の文字は必要の無い情報だったので、認識していなかった。困った事がおきて……、特に体調面でのトラブルを抱えたので『全療診』に焦点があった。

 

 そう言うことは良くある。他人がどういった種類の店を頻繁に使うのか知らないが、クリーニング店や、判子屋など、たまにしか利用しない種類の店は視界に入っていても意識の外だ。 

 しかし その場合は、

 ––––看板にはですから。

そう表現するのが、妥当である。

 ——。と言うだろうか?

 些細な事かもしれない。しかし、些細であるが故に気になって気持ちが悪い。

 

「本当は休診日なのですよ」


 なのに、こうして時間を割いてやっているのだ。相談事があるなら早く言え。そう言いたげな物言いだ。……しかし言葉とは裏腹に佐藤は鷹揚な動きでアイスコーヒーをかき回したあと、今度はグラスを両手で持って、子供のようにストローでチューチューと黒い液体を吸い始めた。

 行動自体は、時間を割く事を惜しんでいるようには見ない。

 

 気持ち悪いと言えば、そもそも この佐藤と名乗った男が気持ち悪かった。言動がチグハグなのも気持ち悪かったが、それだけではない。

 身だしなみは一見 普通だ。

 爪は切り揃えられ、短くも長くも無い髪は清潔に整えられている。白いカラーシャツの上に黒のカーディガンを羽織り、濃いグレーのパンツを穿いていた。

 両手の指先をピンと揃えて、グラスを支えている右手首には、銀の薄いベゼルの時計が巻かれている。

 佐藤の外見に特徴的なところはない。

 しかし、良く見ると シャツの襟の大きさが右と左で少しだけ違うように感じるのだ。布なので歪みがあり、正確なことは言えない。その ハッキリと「大きさが違う」と言えないところが気持ち悪かった。

 更にアイスコーヒーを飲み始めた事で、気になる事が増えた。

 チューチューと吸い上げているはずなのだが、一向にグラスの中の黒い液体の嵩が減らない。

 ストローは半透明だったが、管の中の 黒い液体の流れまでは判らなかった。

 

 ––––飲んでないのか? 吸い上げたところで止めている? まさか吸ったり、戻したりしている?

 

 これについても、飲んでいるのか いないのか判然としなかった。


 間違い探し。ならぬ違和感探しと言ったところだ。気持ち悪いのは、見つけた違和感が正解かどうか……、それが本当に不自然なのか判らない点にある。

 そう思いながら佐藤の様子を見ていると、遂に明確に不自然なところを見つけた。


––––右手に巻いた時計。あれは…










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