ラッキーライフ

NOTTI

第1話:ラッキーライフ

友治は大学を卒業してから定職に就いていたが、新たにはまだ付けていないが正しいかもしれない。というのも、彼は新卒の就職活動で就職に失敗し、一社の内定ももらえないかもしれないという不安があったが、無事に就職先が見つかり、大学を卒業した。成績が悪いわけでもなく、性格も温厚な人間性で周囲の面倒を見ることが多かった。ただ、彼の場合は思想が独創的なため、協調性よりも独自性の法が前面に出てしまうのだった。そこが、就職の難点だったと担当の教授や両親から言われていた。


 そんな彼もアルバイトなら出来るだろうと思い、大学入学と同時に始めたが、長くても一年、短いと一ヶ月でクビになってしまう。そして、最近はそういう情報が同業者内で回っているのか、コンビニも応募しても面接を受けずに不採用になってしまう。倉庫関係で応募した時は電話口で「申し訳ないけど、もう採用枠がすべて埋まったから募集はしていないよ」と門前払いをされてしまった。


 学生時代は大学の教授からもマークされてしまうくらい異端に異端を重ねた異端児だった。その所以になった一つが彼のレポートだ。彼のレポートは専門の教授でも知らない情報が入っていること、彼が独自に編み出した解決法やその手法におけるアプローチなど他の学生が書いてこないような内容が満載だった。教授は実際に手法を実験したり、情報の信憑性などを逐一確かめていた。


 彼がなぜこんなにも思想が独創的になったのか?理由はいくつかあった。ひとつは、両親の厳しい教育方針と目標設定だ。父親の隆二は省庁の職員、母親の美知子も国家公務員として従事していた。そして、二人の出会いは難関大学の同じ学科の生徒だった事がきっかけだったという。僕には上に二人の姉、下にも二人の妹がいる。つまり、男の子は友治ひとりだった。そのこともあってか、両親は友治を厳しくしつけ、教養や長男としての在り方などを徹底的に教え込んだのだ。


 一方、姉達や妹達には最低限の教養と礼儀作法のみで友治のようには教え込まれなかった。そんな姉と妹はエリートのように見えた。なぜなら、一番上の姉は超難関大に現役で合格して、主席で卒業し、現在は大手商社の経理課の管理職をしている。また、二番目の姉も超難関大の法学部に現役合格し、主席とはならなかったが、学年二位で卒業した。その後、海外のロースクールに通い、現在はアメリカで国際弁護士として働いている。当時六歳離れていた妹は姉と入れ替わりで姉二人が卒業した超難関大学に現役合格し、来年から大学生として入学することが決まっている。ただ、一番下の妹は高校に入ってすぐにいじめに遭い、現在は不登校になってしまった。彼女は学年では成績は常に上位五人の中に入っていて、運動神経も抜群で、成績も悪くないいわゆる才女だった。そんな彼女がいじめを受けた理由が才女だっただけでなく、彼女の友人が学年のリーダーからいじめを受けていたと聞いて、すかさず助けに行ってしまったことで学年のリーダーの逆鱗に触れてしまい、翌日学校に行ったら室内履きが無くなり、探すと生徒用玄関の外でライターのような物で焦がされていた。その他にも、学校に置いてあった教科書がシュレッダーにかけられて修正不能になったり、彼女の体操服が燃やされたりと陰湿を通り越して犯罪レベルのいじめを受けた妹は学校に行くのが怖くなり、一日中家の中から出ていくことはない。そのため、宿題は友人がこっそり届けたり、休日前に担任の先生が届けてくれた。


 その頃、友治は再び就活を始めたが、上手くいかず途方に暮れていた。そして、彼は精神を病んでしまい、毎日のようにアパートに帰ると電気も点けずに、ごはんも食べずにずっと一点を見つめたまま数時間が立ってしまうような生活になっていた。そして、彼は就職がなぜ出来ないのか、なぜ、ひねくれた考えしかできないのかを一晩中自問自答していた。


 そんな彼にある日、転機が訪れる。それは、初めて女の子の友達が出来て、他の大学の男子学生とも仲良くなるなどいきなり人脈や友情が芽生えていき、彼が就職出来ないのが何なのか丁寧に教えてくれていた。そして、彼は自分を変えるためにいろいろ試行錯誤を繰り返していた。


 試行錯誤を繰り返し始めて半年が経った頃だった。初めて三社から内定をもらった。正直うれしいだけでなく、安心感から状況が飲み込めなかった。


 しかし、それから二ヶ月後の夕方に登録していない番号からいきなり電話がかかってきた。それは、入社の意思確認だと思ったが、相手の様子がおかしい事に気が付いた。なんと、友治と同じ名前の学生に送るメッセージが彼の元に誤って届いてしまったというのだ。それは一社ではなく二社から同じ内容の電話だった。


 そして、彼は残る一社から正式に採用通知をもらい、晴れて卒業後は大手企業に就職出来る。そう思っていた。しかし、入社直前にその会社の社内で問題が起き、業務改善命令が労働基準監督署から通達された。そのため、採用予定者は三ヶ月間自宅勤務と外部機関の研修を自宅で受けることになった。


 三ヶ月後、初めて社屋に入り、自分のデスクを見て改めて気持ちが引き締まる思いがした。そして、同期と顔合わせをして、各配属部署に分かれていった。


 入社から一年後、彼に異変が起きる。それは、彼の心臓にガンが見つかった。ただ、ステージは3という少し進行している状態だった。そして、会社を休職し、ガン治療に専念した。彼が出社しなくなっても同期だけは気にかけてくれて、会社の休日にはお見舞いに訪れ、大学時代の友人や同級生、当時から仲の良かった女友達や他の大学の友人などいろいろな人と話すことが出来た。


 しかし、彼は体調が戻ったり、悪化したりを繰り返していたため、会社に申し訳ないということで一旦退職する意志を上司に伝えた。そして、受理されたが、彼は動くことが出来ないため、同期が僕のアパートの部屋に荷物を運んでおいてくれた。


 そして、彼が会社を辞めて三年後にガンが奇跡的に完治し、再び働けるようになったのだ。


 再び働くために就職活動を始めた時だった。ある夜に元同期から連絡が来た。「友治退院おめでとう。完治したって聞いたから電話してみたけど。体調大丈夫か?」と電話口で久しぶりに聞く元同期の声に安心したのか気が付くと小さな雫が目元から流れていた。


 そして、数日後には勤めていた会社の元上司が電話をくれて、「友治君また、一緒に働かないか?」と声をかけてくれたのだ。


 彼は改めて人の温かさと腐らないで治療を頑張ってきて良かったと心から思った。


 そして、翌月にはスーツに身を包み、出社する友治の姿があった。


 彼が心配していた末っ子の妹は現在、自宅でマンガを書いたり、イラストを売ったりする仕事を家でやっていると聞いてこちらも安心した。(後で聞いた話だと、彼女にスポンサーのオファーやコラボの話がたくさん舞い込んでいると聞いて改めて感心したし、尊敬してしまった。)


 人生は人脈の数と友情が大切で、苦しい時に助けてくれる友人の温かさや会社で頑張っている姿を見てくれていた上司などいろいろな人に助けられた


 今度は自分が後輩にしてあげたい。そう思いながら今日も業務に励んでいた。


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ラッキーライフ NOTTI @masa_notti

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