友達の家族
@ZKarma
第1話
「それで、親父の様子がヤバいらしいっすよ」
「ふーん」
俺は、薄汚いサークルの部室でいつも管を巻いている先輩に、事のあらましを話していた。
「その子、結衣さんだっけ。貴方と仲良いの?家族が居るとは言え、自分の家に泊まるのを許すくらいに」
「そうですね。この前の他大合同発表の時に手伝ってから、大分懐かれちゃって」
結衣は、私が所属するいくつかのサークルの一つで出会った後輩だった。
曰く、最近彼女の父親の様子がおかしいらしい。
「それは、どんな風におかしいの?」
「伝聞ですけど、なんでもヘンな宗教みたいなのにハマってるっぽくて」
急に家具の配置や方角などに拘り出した、とかなんとか。
急にミシンを買って何か服飾っぽいことをしはじめた、とか。
「それだけならおかしいってほどじゃないでしょ。服飾なんて趣味の範疇だし、風水はお隣の国じゃメジャーな文化で、コッチでもそれなりに人権を得てるわよ」
「それは私も思ったので、もうちょっと踏み込んでみたんですよ。そしたら…」
◇
深夜、結衣が台所まで水を飲みにいった時のことだった。
階段を降りると、父の部屋からミシン掛けのバタバタという機械音が聞こえる。
(こんな時間に…?)
そう思って父の部屋をノックするが、返事がない。
仕方ないのでドアを開けると、こちらに背を向けて何かの布にミシンを掛ける父の姿があった。
ノックの音に気付かないほど集中しているなら邪魔をしないでおこう。
とそのまま廊下から、台所の方へ目を向けると、そこに人影があったらしい。
明りをつけず、台所のシンクをじっと見つめているその姿は、彼女の父親のように見えた
(は?)
振り返ると、依然として背後の部屋からはミシン掛けの音が聞こえる。
もう一度、台所に向き直ると、その影と目が合った。
「もう寝なさい。僕には、やることがある」
父親の姿。父親の声。
慣れ親しんだそれから漂う、あまりの不気味さに声も出せず、そのまま部屋に戻ったのだと言う。
◇
そうして先輩にそのことを話した次の日、私は結衣と二人で彼女の自宅へ向かった。
「気になってたんだけどさ、その辺のお父さんの奇行について、お母さんの方はどう思ってるの?」
「お父さん、婿養子なんですよ。だからお母さんの方が立場強くて、なにかと叱られてるんです」
「ほーん」
「だから、今回のも、どうにかイニチアシブを取る為の自己主張の一環なのかなぁって」
到着する前から既に雲行きが怪しかった。
若干胃を痛めながらも、可愛い後輩にいいところを見せたいという欲を奮い立たせる。
そうして夜、彼女の家に到着した。
結衣がドアを開ける、ただいまー!と声を上げると。
奥の部屋の明かりがパチリと点灯し、そこからお父さんが出てきた。
「娘から話は聞いてます。上がって上がって」
と軽い調子で促され、家に上がる。
話で聞いて警戒していた人物像とは異なり、普通の父親のように見えた。
私は後輩の課題を手伝う、という体裁で彼女の家にお邪魔していた。
「あら、貴女が結衣の言っていた娘ね」
パチリと台所の電灯が付き、そこからお母さんも出てくる。
にこやかな調子で晩御飯の準備が出来ている旨を話す彼女も、普通の母親のように見える。
(これなら、大丈夫かな?)
私は胸を撫でおろした。
◇
結衣、お父さん、お母さんの三人で食卓を囲む。
「それで、今日の帰り際に部下がやらかしてね」
「ああ、それで帰るのが遅くなったのね。心配したんだから」
和気あいあいとした団欒風景。
私にも最近のアーティストの話題や、結衣の家でのことなど共通の話のタネを振りながら、ガヤガヤと晩御飯を頂くその光景は、結衣が言っていた不仲な家族像とは随分と離れているように感じた。
そうして食べ終わって、しばらく経った頃のことだった。
「それでは、僕は■■■をしなければ」
そういって、廊下の奥の、彼の部屋と思しき場所へと消えていく。
「あれ、何て?」
「さぁ?わたしもよく聞き取れなくて」
そのまま彼が出てくることはなく、私は結衣の部屋でひとしきり駄弁った後に眠りに就いた。
◇◇
バタバタバタバタ…
奇妙な音を聞いて、私は目が覚めた。
スマホの画面を見ると、2時14分を回っている。
バタバタバタバタバタ…
規則的な機械音。
それが何なのかを考えているうちに、それはどんどん大きくなっていく。
バタバタバタバタバタババタッッッ!!!
これは、ミシンの音だ。
そう思い当たった時には、その音は騒音といって差し支えないほどに大きく近づいていた。
「ちょっと、結衣!起きて!!ヤバイってこれ!!!」
隣の布団で寝ている結衣をゆするが、ううんと唸るだけで目を空けない。
バタバタバタバタバタバタバタバタババタッッッ!!!
怖いが、正体を確かめない訳にもいかない。
結衣を起こすことを諦めた私は、スマホのライトを懐中電灯モードにして、意を決してガチャリとドアを開ける。
すると、音はピタリと止まり、暗い廊下だけがあった。
バタバタバタバタ…
一階から、ミシンの音が聞こえる。
恐らくは、父親の部屋から。
(いやいやいや奇行ってレベルじゃないでしょ…)
しかし、このまま部屋に戻って震えている訳にもいかない。
私は真っ暗な階下へ、一人で降りて行った。
真っ暗の一階。
台所にも、リビングにも、客間にも、人の気配はない。
バタバタバタバタ…
その音は案の条、廊下の奥の父親の部屋から聞こえる。
私はドアの前に立ち、深呼吸してからドアを三回大きくノックした。
ピタリ、と機械音が止まる。
「あの、入ってもいいですか……?」
先ほどと打って変わって、耳が痛いほどの静寂がこの家を支配していた。
部屋の中からの返事はない。
「すみません。開けますよ!」
私はヤケクソ気味にそのドアを開いた。
◇◇◇
真っ暗な部屋を、スマホのライトが照らす。
部屋は、布の切れ端や縫い糸などが散乱し、お世辞にも奇麗とは言えない状況だった。
部屋の中央には、大きなミシンが鎮座している。
そして、その前には、先ほど夕食を囲んだ結衣のお父さんが座ってした。
全裸で。
「は?」
思考が停止してしまった。
意味が分からない。
全裸の中年男性が、ミシンの前に微動だにせず座っている。
「おっと、見苦しいところを見せてしまったかな」
彼は、ゆっくりとこちらを振り返ってそう呟くと、すくりと立ち上がって部屋の奥へと歩いていく。
完全に言葉を失った私は、彼の下半身にライトを向けないように気をつけながら、その動きを目で追うしかなかった。
「少し待っていなさい」
彼は部屋の奥の、カーテンがかかった物置のような部屋の中へと入っていった。
(試着室…?)
何故か、私はそれが服屋にある試着室と同じものなのだと即座に理解できた。
部屋の奥をライトで照らして、改めて観察する。
そこには、父親が入っていったものも含めて、試着室が三つ並んでいる。
カーテンは部屋の全てを覆うほど長くなく、下からは入っている人間の足が見える程度の隙間があった。
そしてその隙間から、三人分の足が覗いていた。
「は?」
私の混乱は頂点に達した。
父親の足。
母親の足。
そしておそらく、結衣の足。
訳が分からず、泣きそうになりながら私は階段まで後ずさった。
「何してるんですか?」
階段の上から、結衣の声がする。
「結衣!あんた、あの部屋の……?」
見上げると、そこにいたのは結衣と同じくらいの見知らぬ女の子だった。
「おかしいでしょ、あんなの」
彼女は私の後ろを指さしてゲラゲラと笑う。
シャッ!!
試着室のカーテンが三つ、同時に開く音がして、私はそこで気絶した。
◇◇◇◇◇◇
目が覚めると、一人で私は結衣の部屋に居た。
「夢……?」
そう思いたかったが、気絶する時に打った肩が痛い。
何がなんだかわからないまま、階段を降りると、家族三人が食卓に座っていた。
「おはようございます、先輩」
「今から食べるところだから、みそ汁が冷めないうちに顔を洗っていらっしゃい」
「すまないね。我が家は休日でも朝起きるのが早いんだ」
(やっぱり、夢だったのかな…?)
私はそう思いながら、洗面台のあるバスルーム前で顔を洗う。
バシャバシャと顔をぬぐい、ふと鏡を見ると、その隅に、昨日の廊下奥の部屋が見えた。
(夢、だよね?)
リビングから三人家族が談笑する声を確認して、私はその部屋のドアを少しだけ開けた。
眼を凝らす
薄暗い部屋の中央には、大きなミシンが鎮座している。
そして、その奥の試着室のカーテンは開いているように見えた。
(うわッ!)
その三つの試着室の中には、マネキンがひとつずつ置いてあった。
そしてそのマネキンの顔には、結衣と、父親と、母親の笑顔がプリントされた布が、ミシンの糸で留められていた。
「なにしてるの?早くいらっしゃい」
リビングからの声に、慌てて戻る。
私の足は、震えていた。
そうして一家団欒の場に加わる。
昨夜と変わらずにこやかに話しかけられる私は、ごはんの味などわかる状況ではなかった。
「あの、昨夜のことなんですけど…」
「なんだい?」
耐えられなくなった私は、勇気を振り絞って父親に話を振った。
「夜、部屋で何してたんですか?」
その問いに、横で雑談していた結衣と母親がピタリと黙る。
「ねぇ、先輩ってあんまり人の話聞かないでしょ?」
結衣は、そういってニッコリと笑った。
お父さんも笑っている。
お母さんも笑っている。
ああ、もう駄目なんだな、この人たち。
私ははっきりとそう理解した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「それじゃあ、私はもう行くから」
「はい。今回はありがとうございました」
朝ごはんを流し込んだ私は、とにかくここから出たくて、迅速に支度を整えて玄関に立った。
ただ、ひとつだけ心残りがあった。
結衣は可愛い後輩だった。
だから最後に一つだけ、彼女に聞かねばならない。
「あのさ」
「なんです?」
玄関のドアを開け、身を乗り出しながら何でもないように声を掛ける。
「いつから、手遅れだったの?」
「わかってるくせに」
私は、バタンとドアを閉じ、逃げるようにその家を去った。
家の中から、かすかにミシンの音が聞こえる。
以来、結衣が大学に現れることはなかった。
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