小夜子42歳以下略…

竜胆

第1話

 小夜子は玄関の扉を閉め、靴を脱ぐと部屋に入ってきた勢いのまま大きく伸びをしてベッドにダイブして寝転んだ。

 そして暫くベッド周りに置いた大量のぬいぐるみを掻き抱いて、布のふわふわとした感触を味わってから「ふぅ」と長い息を吐いた。

「んん。」

 小さく呻いて投げ出したバッグに入れたスマートフォンを取り出して、並ぶアイコンの一つをタッチする。

 そこに広がる文字の羅列に小夜子も加わった。

『ただいまー!えーん疲れたよう』

 泣き顔の絵文字を添えてそれを送信すれば忽ち文字ばかりの世界に小夜子も参戦する。

「さて、ちょっと遡ろうかな。」

 今日の話題はなんだったのだろう。

 色々な人が書いて残した文字の世界で時間を遡る。小夜子が好んで使っているSNSは比較的年齢層も広く情報も豊富だ。そんな所が小夜子のお気に入りのポイントでもある。

「わぁ、こんなん書いて大丈夫なん??これって個人情報じゃん。」

 ある投稿を見て小夜子は眉を寄せた。

 十代らしき少女が通学路にある駅前で写真を撮って投稿している。内容はよくある流行りのドリンクの写真だが駅名が見えている。

「危機感ないなぁ。」

 そう呟いてからまた画面をスクロールしていく。投稿された文字列を一つ一つ吟味し、そして小夜子が文字を投下する。今度は写真を添えた。

『今日は近くの食堂のお手伝いしてきました!ここの名物だよー、美味しそうでしょ!』

 ふんだんに盛られた山菜の天ぷらと、ザルに盛られたうどん。

 我ながら今日は良く撮れた方だと思う。

 すぐに幾つかの反応があり、ニヤリと小夜子の口角が上がった。

『わぁおいしそうですね!なんてお店ですか?』

『五月雨庵っていうの。私の行きつけてるめっちゃお気に入りのおうどん屋さんなんだぁ。和歌山に来たら是非寄ってみてー。』

 またニコリと笑った顔文字を添える。

 そしてまた写真を付けて投稿する。

『今日のファッション!動きやすいジーンズに靴はスニーカー!』

 赤い車を背景に撮られた写真に軽く目元だけ隠したスタンプをつけて小夜子は満足気に笑った。

 ピコンピコンと通知音がなる度に、ストレスから解放された気持ちになる。

 そう懸命な諸君なら既に気づいているだろう。

 彼女は今まさに自身の個人情報を漏らしまくっているのだ。

 小夜子四十二歳、独身。

 彼氏は居たことが幾度があるが、結婚まで話が上手く進まず未だ独身を貫いている。

 比較的結婚願望は強いがあまり強いと思われたくはない。

 一人暮らしだが徒歩圏内に両親とこれまた独身の兄が住んでいる。

 小夜子の仕事は短期のアルバイトが大半で今日のように繁盛期だけ声がかかると手伝いに行き、わずかばかりの給料を得る。

 一人暮らしの家は父親の持ち物で家賃が要らないため、ガツガツと仕事をしようという気には小夜子にはならなかった。

 せいぜい欲しいものが買えればそれでいいのだが、如何せん欲しいものが一々値が張るため結局は頻繁に仕事に出る日が増える。

 しかし、歳を追うごとにそんな収入ばかりでは矢張り不安を感じる。

 そう思いインターネットでハンドメイドショップを開いたのは一年ほど前だが、軌道にのるには何かたりないのか中々売上に繋がらない。

 小夜子は自身のショップのホームページを開き通知がないのを確認するとまた文字の羅列した世界に戻った。

 先程の二つの投稿に幾らかの反応がある。

 レスポンスもあるためそれらに逐一返信を書く。

『素敵なニット!』『ありがとうございます!ユネクロで半額セールの時に気に入ってまとめて買っちゃいました!』『可愛い!』『ありがとう!』

 やれやれと一通りの返信をしてスマートフォンをベッドに投げ出すと部屋着に着替えてキッチンに向かった。

「さぁ夕飯夕飯!お腹すいたぁ」

 手際よく冷蔵庫から出した野菜を切ってフライパンに放り込む。

 肉を解凍し、今度は鍋へ。

 軽く炒めてから水を足し、先程とは別に切った野菜を入れる。暫くすると良い香りがキッチンに広がった。

 ふと思い立って部屋に取って返した小夜子がスマートフォンを持って戻ってくると、肉と野菜を入れた今にもクツクツ煮立つ鍋の写真を撮った。

『今から豚汁作るよ』『ウチの豚汁にはコレが欠かせないのよね』

 そう言って出したばかりの土生姜の写真を添えてまた投稿する。

 鼻歌が自然漏れだして、出来上がる直前に味噌を溶いてまたそれを写真に撮ると『おいしそう!』とメッセージを添えてSNSに投稿した。

 そういうのは自分で言うものでは無い。という作者の思いを知らず、小夜子はタイマーをかけておいた炊きたてのご飯を椀に装い、豚汁を入れた椀をテーブルに並べ同時に作っていた野菜のソース炒めを置く。

 冷蔵庫から先日作りおいた金平ごぼうとひじき煮を小皿に盛ってまたスマートフォンを構えた。

「うん、料理は得意なのよねぇ。」

『ちょっと遅めの夕飯だよー』

 そう一文を添えて写真を投稿した。

 並ぶメニューはすべからず茶色いのだが、塩分が気になるのは作者だけだろうか。

「はぁ美味しい!」

 小夜子の口をついて出る言葉は自身への賛辞に溢れている。

 自己肯定感の高さは羨ましいほどだ。

『私と結婚したら毎日美味しいご飯は補償するよー』

 笑顔の顔文字を添えて投稿する。

 食べている時ぐらいスマートフォンから手を離しなさいと思わなくもないが、先に進もう。

『さよさん、料理上手ですねぇ』

 そんなレスポンスを見て小夜子はニコニコと箸を置いた。

『料理は自慢出来るよー!煮物とか得意なんだー』

 そう返信してまた箸を持つと小夜子は機嫌よくひじき煮を口に運んだ。

 夕飯を済ませて風呂に入ろうとニットに手をかけたとき目の端に少しの埃が見えた。

「この間掃除したばかりなのに...仕方ないなぁ。よし!」

 脱ぎ掛けのニットを元に戻して袖をまくる。

 そして持ってきた雑巾で床を拭き始めた。

 途中でスマートフォンから最近お気に入りになっているヒーリングミュージックを流すといよいよ小夜子の床掃除に力が入った。

 ある程度気が済むと雑巾を仕舞い手を洗ってからまたスマートフォンに投稿する。

『お風呂入ろうとしたら隅に埃が...ちょっと張り切って綺麗にしたよ!』

 排水溝の隅の写真と共にそれが画面に現れ投稿された事を確認すると、小夜子は今度こそ風呂に向かい準備をする。

『おっ風呂ーおっ風呂ー』

 投稿も忘れない。

 のんびりとしたバスタイムに数年前から話題になっているバラの香りの入浴剤を浴槽へ入れる。

 強すぎる香りが立ち狭い浴室内に充満するのを満足気に笑んで、小夜子はゆったりと浴槽に張った薄赤い湯に身体を沈めた。

 風呂から出て髪を乾かす間を惜しみながらスマートフォンを除く。

 そこに上げられた写真の中に一際反応が良い写真があった。

 よく見れば随分な手抜き料理で、一見すれば手がかかって見えるが小夜子にすれば料理と呼ぶにも似つかわしくない。

 少し眉を寄せて先に上げた豚汁の写真を探す。

 明らかに少ない反応に腹の奥に黒く重いものが湧き上がるのを感じた。

『レシピ紹介するね!』

 そう書き出して豚汁の写真に繋ぐ。

『先ず生姜は皮をむいて千切りにします!じゃがいもは少し大き目にきって人参は扇形になるように。』

 そう区切りまた次の言葉を繋ぐ。

 ツールとしては手軽なこのSNSは一つの投稿に文字数の上限がある。

 たまにそれが億劫でもあるのだが、手軽さとたくさんの情報を見るには都合も良い。

 小夜子はさらに言葉を繋ぐ。

『ごぼうはささがきにして、大根は短冊切り!先に豚コマを炒めて、水を入れたら野菜を投入!』

『後の味噌は好みでね!簡単だよー』

 これだけの行程は簡単とは言わないと作者は考えるが、小夜子にはどうやら簡単らしい。

 したり顔で投稿するも先に見かけた手抜き料理に比べても反応は少なく、モヤモヤとしたまま小夜子はまた髪を乾かす作業に戻った。

 夜も更けてくると、画面の中の投稿スピードは緩やかになっていく。

 ネットでオープンしているハンドメイドの作品を作る材料をテーブルに広げて写真を撮ると小夜子はまたそれをSNSにあげる。

『さて今から仕事するよ!今日の糸はちょっと特別なんだー』

 ポツポツと幾人かの反応はある。

 よしとばかりに腕まくりをして小夜子はハンドメイドの作業に取り掛かった。

 一時間もすると首や肩に張りが来る。

 息抜きがてらにスマートフォンの画面を見ると、フワフワとした薄いピンクのついたフリルのブラウスの写真が見えた。

 即反応して言葉を添える。

『かっわいー!私もこういうの着たいけど肩幅あるから似合わないのよねぇ。それにちょっとこういうのを着るには私の胸が大きすぎるかな。』

 小夜子はニコリと笑ってそう投稿してからそのブラウスの写真をよくよく見る。

 袖口の丸みや袖や裾のフリル、襟に付けられた上品なレース、続く二枚目の写真には十代らしいモデルの 女の子が赤い口紅でそのブラウスを着ている。

 黒を基調としたフレアの膝下スカートには黒い光沢あるレースがあしらわれている。

 足元は赤い革のローファー、煽り文句はシックにキメる大人かわいい。

 ふーんと鼻を鳴らして小夜子はまたハンドメイドの作業に戻る。

 可愛い小花柄の生地を縫いながら先に見たブラウスを忘れる。

 流れていく情報などは小夜子には単なる情報でしかない。

 それより、あの手抜き料理の方に妙な苛苛が募る。

 私の方がずっと美味しそうじゃん。

 そう思うも、SNSの反応は小夜子のレシピには無関心だった。

 やっと作業が終わる頃には明け方近い。

 薄く明るくなり始めた窓をチラリと見てからスマートフォンに視線を戻す。

 相変わらずレシピには反応はなかったようだ。

「見る目ないなぁ」

 そう言いながらパックの頂き物の紅茶をマグカップに注ぎ、買い置いてあった饅頭の小袋を幾つかをテーブルに出した。

『ひと息入れるよー甘いものタイムー!頂き物の紅茶がめっちゃいい香り!』

 部屋には浴室から漏れた入浴剤の香りがまだ漂っているが、小夜子はそう書いて添えたマグカップに波々入った紅茶と無造作に出した饅頭の写真を投稿する。

 直ぐにピコンと反応がある。

 憑き物が落ちたかのように小夜子は上機嫌で制作中の商品の写真を撮った。

『今受注してるポーチなんだけど、可愛くね?』

 少し砕けた言葉を交えながらそれを投稿する。

 しかし、その投稿には反応は来ない。

 小夜子は落胆しながら紅茶を啜り饅頭を頬張った。

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