『みこがたり』

朝ノ月

第一章

第1話 はじまりはじまり






「…昔むかし、ある所に稀有な力を持つ少女がおりました。


その稀有な力とは、森羅万象有象無象の一切を司る力で、神様の御力と何ら遜色がないものでした。 


少女はその稀有なる力を

時には五穀豊穣のために、

時には疫病平癒のために、

時には天下太平のために使いました。


人々は霊験灼かなその少女を、

大いなる敬意と深い愛慕から【巫女様みこさま】と呼び、大社を造立して崇め奉りました。


大社建立の後の世は争い事も飢饉も疫病もなく、それはそれは安泰の世でありました。




しかし、神様のような御力を持つ【巫女様】は人の身でありましたから、遂には雲隠れなさる時が来てしまいました。


日に日に衰弱していく【巫女様】を思い、涙に暮れる人々。その様子に御心を痛めた慈悲深い【巫女様】は、世を正しく治めるために四人の聖人君子と稀有なる力に関する盟約を結び、安らかにお眠りになられました。


巫女様と盟約を結んだ四人の聖人は【四神ししん】と名乗り、巫女様が御座す大社を中央にして東西南北に一つずつ社を構え、人々のために巫女様より受け継いだ稀有なる力を以って世を治め始めました。



時が流れると共に人々は、

東の社の聖人を【青龍せいりゅう

西の社の聖人を【白虎びゃっこ

南の社の聖人を【朱雀すざく

北の社の聖人を【玄武げんぶ

巫女様の一族を【応龍おうりゅう】と呼び、其々の一族を崇拝しました。


そうして巫女様の願われた安泰の世は、【四神】と【応龍】の一族によって永らく保たれたのでした。


めでたしめでー…」




「ふわぁ〜あ」


…これまで何度も噛み殺していた欠伸が、物語の終わりを喜んで思わず口から出てしまった。やばい…!と慌てて口を押さえてももう手遅れだった。


「…真面目に聞きなさい。それとも、もう一度始めからを所望か?」


その言葉と冷酷な目に全身の血の気が一気に引いて、冷や汗がダラダラと流れ出す。


「ち、ちがっ…!ご、ごめんなさいっ!!ちゃんと聞いてましたっ!!【巫女さま】はあの、優しくてけうなる力で皆のことを守って、素敵な方ですね!わたしもそうなりたいです!」


首を横にブンブン振って、お慈悲を下さい!と願うように両手を強く握った。


「……。」


しかし、そんな願いなど聞いてやるものかとでも言っているかのような冷たい目が、私をグサグサ射抜いてくる。そして、手に持っていた絵巻をクルクル巻いて懐に入れると、奥の書棚から古ぼけた分厚い本を何冊も持って来た。やっぱり許して貰えなかった…と心の中で涙を流した時、クスクスと小さな笑い声が聞こえてきた。驚いてその笑い声のする方を見れば、後光が差した美少年が立っていた。


「…お父様、それくらいで勘弁してあげて下さい。悪気があった訳ではないのですから。」


「お、おにぃさまぁあ…!」


思わぬ救世主の登場に涙を浮かべて立ち上がり、その美少年ーー私の兄の元まで走って行った。


「きちんと正座までして偉いね。我が家の歴史とは言え、何度も同じ内容のお話を聞かされるのは退屈だよね。」


そう言って優しい笑顔を浮かべて頭を撫でてくれるお兄様。一生ついて行こうと心に誓った瞬間だった。


「…ひかる、断りもなく部屋に入って来るとは礼に欠けるぞ。」


背中から聞こえてきた冷たい声に小さな悲鳴が口から漏れる。そして、慌ててお兄様の後ろに回り込んだ。


「申し訳ありません。しかし、余りにも不憫で見ていられなかったものですから。」


そう言って頭を下げたお兄様は頭を上げた後、しっかりお父様の目を見て微笑んだ。


「お父様、今日はこの子の…美子みこの六歳の誕生日ですよ。欠伸の一つくらい、大目に見てあげても宜しいではありませんか。」


その言葉をお兄様の背中に隠れながら聞いてはっとした。そして、自分でも忘れていたそれが急激に私を強気にさせた。


「ふむ…。」


そして、その言葉はお父様にも効いたみたいだった。娘の六歳の誕生日プレゼントが説教だなんて流石におかしいと思ったのだろう。



暫くして、口元に手を置いて黙っていたお父様が、一つ溜息を吐いて口を開いた。


「…お前の言う通りだな。今日ばかりは欠伸の一つくらい大目に見てやろう。」


「やったぁー!!」


見逃して貰えたことが嬉しくて、思わず大声で叫び、万歳をしてしまった。


「次はないと思いなさい。」


ギロリと鋭い視線で釘を刺された私はすぐさま両手を下ろし、無言でコクコクと何度も頷いた。お兄様はまたクスクスと笑っていた。


「あ、あの、お父さま。今日はもう遊びに行ってもいいですか?ちゃんとご飯のころには帰るので…。」


おずおずと顔色を伺いながら外出の許可を取る。でも、本当は強気だった。だって今日は私の誕生日だからだ。


「…ああ、いいだろう。その装束から汚れてもいい服に着替えてから行きなさい。それと、虫籠いっぱいにダンゴムシやらミミズやらを捕って来ないように。お前が転んでそれらが放たれる、なんてことは二度と御免だ。」


「はい!いってきます!」


百点満点の返事を笑顔と共に返し、自分の部屋まで走って行こうとした時に、お父様が待ちなさいと私を呼び止めた。


「伝え忘れていたが、明日からお前は私と共に挨拶周りだ。その支度もしておくように。」


「あいさつまわり…?」


新しい修行か何かだろうか?と、疑問と不安いっぱいでそう聞き返した。すると、側にいたお兄様が私の頭をポンと撫でた。


「そんなに心配しないで。美子が六歳になりましたって【四神】の所へ挨拶しに行くだけだから。」


「【四神】…って『応龍伝説』の!?本当にいるんですか!?」


驚いてそう問えば、お父様が深い深い溜息を吐いた。それが怖くて、ニコニコ笑顔のお兄様ばかり見つめてしまう。


「うん、伝説じゃなくて本当にいるよ。【応龍】の一族である僕らがいるくらいだからね。」


「…お前は何だと思って今まで私の話を聞いていたんだ…。」


優しく教えてくれるお兄様と呆れ果てて怒る気にもなれないお父様。何だかどちらにも申し訳なくなってくる。


「…絵巻には書かれていないが、【四神】は【応龍】に忠誠を誓う守護者だ。本来は中央を司る我ら【応龍】のもとに【四神】が集まる。だが、今回は生まれて初めての顔見せだからな。こちらから挨拶に周ると言う訳だ。」


「な、なるほど…。」


節目節目で溜息を吐きながらもそう説明してくれた。そんな姿を見つめながら、お疲れ様でした…と心の中で精一杯頭を下げた。


「一つの家にそれほど長居するつもりはない。故に荷物は程々の量にしておきなさい。」


「は、はい。」


遊びに行く前に仕事を与えられて、少し気落ちしながら私は廊下を走って行った。








……走って行く美子の後ろ姿を見つめながら、美しい顔の男の子が口を開く。


「…生まれて初めての顔見せだから、ですか。上手い具合に仰いましたね、お父様。」


「…何が言いたい。」


二人は顔を合わせることなく言葉だけを交わす。


「いいえ、言いたいことなどさしてありませんよ。ただ、僕の顔見せの時は【四神】をこの地に召集したのにな、と思っただけです。」


「お前より美子を愛でている。それ故如何なる手間暇も厭わない、とでも解しておけば良い。」


「ああ、なるほど。それなら納得ですね。」


クスクスと小さく笑う男の子を残して、背の高い厳格な男は美子が走って行った方とは逆の方へ歩いて行った。




「…そんな理由で納得したら、少しは愛嬌でもありましたか?お父様。」


残された男の子は、そう言って父である男が歩いて行った廊下を静かに睨みながら笑みを消した。






ーーーーーーーーーーーーー






「はーあぁぁ…やっぱり最高だなぁ、この森。」


外出の許可を得て荷物の支度もある程度終わらせた私がそう言って伸びをした場所は、私が住む神ヶ森町かみがもりちょうの由来ともなった「神ヶ森かみがもり」の一番高い木の上だった。


「空気はおいしいし、きれいだし、お父さまみたいに小言を言う人もいないし!自由だぁあ!」


私の家でもある「天地神社あめつちじんじゃ」から歩いて十分くらいの距離にあるこの森は、「神が守る森」とも言われている。だから、清々しく爽やかで、正しく聖域と言えるようなこの場所は、修行とかお説教で落ち込んだ時には必ず来るような大好きな場所だった。



でも、最近は特にこの森へ来るのが楽しみだった。何故なら…


「おーーい!みこぉーー!!また木に登ってんのかぁー!?」


足下から聞こえてきた元気な声の主を探すために下を見れば、私が登っている木の根本に虫籠と虫取り網を持った赤茶色のくせ毛頭の男の子が立っていた。その絆創膏だらけの顔をしっかり見て、私は笑みを浮かべた。


「そうだよぉー!早くけんも登ってきてよぉー!」


「よっしゃあ!待ってろよぉ!」


そう意気込んで虫籠と虫取り網を地面に置き、スルスルと木を登り始めた男の子を私はワクワクした目で見つめた。そして、その子は一分も掛からずに私のいる場所まで登ってきた。


「おとといぶりだね!けん!」


「そうだな!でも全然変わってないな、みこ!」


そりゃそうでしょ!と返したくなるようなことを言ったこの男の子こそ、最近この森へ来るのがもっと楽しみになった理由だった。


「今日は何して遊ぼっか?」


「おとといみたいにさ、かごいっぱいに虫とろーぜ!…あれ?みこ、今日は虫かごと虫取りあみ持って来てないのか?」


「…お父さまにダメって言われたから、持って来てない…。」


「何でダメなんだろうな?ま、いっか!じゃあ今日はサバイバルごっこでもしようぜ!」


「何それ!?やろやろ!!」


そうして今日の予定を決めた私達は、同時に木を降りていった。


「オレの方が速かったな!」


「そんなことないよ!」


木を降りることすら私達にとっては遊びの一つだった。


「じゃあ引き分けだな!」


「そうだね!けんもわたしも勝ち!」


でもその遊びには勝敗なんて関係なくて、ただ思いっきり遊ぶことだけが私達のルールだった。それから虫籠と虫取り網を拾ったその子と手を繋いで、二人きりの森の中を日が暮れるまで走り回った。






ーーーーーーーーーーーーー






「…あっははは!やっぱりみこと遊んでると楽しくてあっという間だな!」


遊び疲れた私達は、森の外れにある夕日が見える丘で大の字になって寝転んでいた。


「うん!わたしもけんと遊ぶの楽しくて大好き!」


そう笑い合って、私達は言葉もなく紫色に変わっていく夕方の空を見ていた。その時、私はふと隣にいる男の子のことを考え始めた。



…健とはさっきの、神ヶ森の木の所で偶然出会った。「遊ぼう」って言われたから遊んでみたらすごく楽しくて、気が付いたら友達になっていた。友達なのに、私は彼の名前が「健やかのけん」ということしか知らない。そして健も、私の名前が「美しい子のみこ」ということしか知らない。お互い年が幾つなのかも、何処に住んでいるのかも知らない。でも、知らないことばかりだから心地良かった。




私は【応龍】という一族の当主の家系である天地家の長女で、立派な巫女になるための修行や勉強ばかりの日々を過ごしていた。別に礼儀作法や神通力、神託の勉強は嫌いじゃないけど、巫女として生きることしか許されていないあの家は、とても息苦しかった。


そんな苦しい日々の中でも許しを貰ってあの森に遊びに行けることは私にとって救いだった。だけどある日、いつもみたいに一人で遊んでいる時に健と出会った。日々が息苦しいと感じていたからか、遊んでいる時の健はよく笑ってよく走って、すごく自由だと思った。そして何より、私を「巫女」じゃなくて「美子」として見てくれる健は、私にとって自由の象徴みたいだった。




だから私は、健が大好きだった。




「…家に帰りたくないなぁ…。」


流れて行く夕闇色の雲を眺めながら、そんな言葉が自然と口から溢れた。それは紛れもない本音で、絶対に口に出してはいけないもの。解っていたけど、何も知らない、自由な健がいるから、私も今だけは自由になりたかった。


「何で帰りたくねーの?」


健は夕空から目線を外して、隣に寝転がる私の横顔を見つめた。私も健の方に顔を向けると、無垢な目が真っ直ぐ私を見ていた。その目が、心のままに言いたいことを言っていいよと言っているように思えてしまって、無意識に口が動いてしまう。


「…好きだけど、苦しいんだもん。…それに、あの家には…」


今にも泣き出しそうな声でそう呟くと、健は黙ったまま、あの温かい目で私を見つめた。その目のせいで、口にするのは怖かったけどもう我慢なんて出来なかった。


「…あの家には、「美子」なんて、いらないんだもんっ…!」


言葉にしたその事実が悲しくて、涙が堰を切ったように溢れ出てくる。両手で拭っても拭っても、ポロポロと流れ落ちてしまう。


「…うっぐ、ひっく…」


終いには呼吸の仕方まで忘れたかのようにしゃくり上げてしまった。




「…美子。」


泣きじゃくる私の名前を、健は落ち着かせるように優しく呼んだ。そして、涙を拭っていた私の両手を握って笑った。


「…だったら、オレん家来いよ!」


「えっ…?」


あんなに溢れ出ていた涙が、その一言でピタリと止まってしまった。驚いたのか嬉しいのか、自分でも判らなかった。


「だから、泣くほど苦しいんだったら帰んなきゃいいんだよ!オレん家広いし、美子が一人来たくらいどうってことねーしさ!」


考えもしなかった提案に、恐怖のような感情が湧き上がって素直に頷けなかった。


「で、でも…ご飯のころには帰りますって約束しちゃったもん…。」


「どこに帰るかまでは言ってねーんだろ?だったらオレん家に帰りました!って言ってやればいいんだよ!そんで、そのついでにご飯食べて、風呂とか布団とか貸してもらいましたってことにすれば?」


何だか一休さんのとんちを聞いているみたいだな…と思いながら、健の話を呆然と聞いていた。


…でも、さっきまでの苦しさとか怖さが嘘みたいになくなっていた。


「大丈夫だって、美子!何があってもちゃんとオレが美子を守ってやるから!!」



『守ってやる』


健が何気なく言った、そのたった一言が、どうしようもなく嬉しかった。


握られた両手も、

泣き腫らした目も、

息苦しさで一杯だった胸も、

燃えるように熱くなってまた泣いてしまいそうだった。




「…うんっ!健の家にわたし帰る!!」


だから、泣かないように我慢しながら笑顔でそう答えた。すると健も、くしゃっとした笑顔を返してくれた。


「よしっ!そうと決まればさっさと帰って二人でただいま!って言おうぜ!」


「うん!」


そう言って二人とも同時に立ち上がった。

立ち上がって、しばらくの間無言で見つめ合ってから、


「やっぱりオレの方が速かったな!」


「そんなことないよ!」


「じゃあまた引き分けだな!」


「うん!また引き分けだね!」


なんて会話をして笑い合った。心のままに笑い合ったら、手を繋いで走り出した。今度は二人きりの黄昏色の道を迷うことなく走って行った。






続く…

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