第6話 抱擁

「──始まった終わったわね」


 彼が首をもたげたのとほぼ同時、空鳴き姫はにこりと微笑むと立ち上がった。彼を転がり落とさないよう、そっと腕に抱えて。異様な熱気に気付いていないはずもないだろうに、ごくゆっくりとした優雅な足取りで扉に向かい──鍵がかかっているのを確かめて、今度は窓辺に爪先を向ける。


「私は空言姫。──嘘だって本当のことしか吐けるのよ言わないの。お父様ったら、お仕置きご褒美のおつもりね」


 姫の腕に抱き締められて羽ばたくこともできず、彼は紅い唇が弧を描くのを見上げることしかできない。空言姫──それは、思ったことと逆のことしか口にできない、呪いのような祝福ゆえのあだ名だった。そして、神とやらの意図は、未来を簡単に人に知らせないように、ということであって。巫女たる姫が必ず真実を述べることを保証してはのだ。思えば当然のこと、だっただろうか。父王たちは、予想だにしていなかったのだろうが──


私から私に何もかもすべてを取り上げて与えてくれて、なのに馬鹿にして敬って……お父様も民も大嫌い大好きよ。みんなみんな、死んでしまえば良いどうか健やかでいて欲しい……! 私が信用できないできると、今さらまだ気付く気付かないなんて」


 だからこそ、姫は偽りの予言を告げたのだ。口に出す言葉だけ聞けば、純粋に父を慕い感謝するようでいて、彼女の笑みは昏い愉悦に歪んでいる。望みもしない予言の力を押し付けられて幽閉された腹いせに、祖国に敗北をもたらして。その罰として死を賜ろうとしてなお、意趣返しの喜びが勝っているのか──あるいは?


 窓辺に着いた姫は、彼を抱えた腕を外へと延べた。彼女自身は灼熱の屋内に留まったまま、友だけは逃がそうというのだ。


行って戻って二度とまた来てはいけないわ来てちょうだいね


 彼に向ける微笑みは、それでも優しいのがなおやり切れなかった。始めて会った時とは逆に、名残惜しむような言葉なのもいけない。そんなことを言われて、こんな顔を見せられて、どうして去れるだろう。だから彼はついに口を開く。


「──お前は、どうしたい。空鳴き姫だか空言姫だかのまま、焼き殺されて良いのか」


 大きく見開かれた、姫の空色の目に映るのは、数百年ぶりに人の姿を取った彼自身だ。空から舞い降りたかのように、窓枠に足を掛けて、彼女を見下ろしている。肩を覆う白い長髪に、部屋を舐め始めた炎よりなお赤い目。人の目には異相に映るだろうが──だが、鴉の時に纏っていた色とまったく同じもののはず。それに気づいてくれたのかどうか、姫の驚きの表情に、じわじわと戸惑いの色が混ざっていく。


「私──え、貴方、は……?」

「俺のことはどうでも良い。お前のことだ」

「私、は……良いの嫌よ死なせてちょうだい生きていたいの


 呆然と呟いたのが、まるで命乞いのようだと気付いたのだろう。姫は慌てたように首を振ると、ぎゅっと眉を寄せた。懸命に、思ったこととの言葉を探しているのが見て取れる。


そうよ違うの……私は、どうか別に……」

「無理に逆のことを言わなくて良い。望むなら、助けてやる。この場からも、忌々しい神が与えた力からも」


 初めから、こうするべきだった。そう思いながら、彼は姫の細い身体を抱き締める。口が聞けない、言葉を解さない鳥の振りなどしないで。歌を聞くだけで良しとしないで。もっとこの娘の本心を聞いておけば良かった。父や国を裏切らせて、それで人の世がどうなろうと彼の知ったことではないが、姫が心を痛ませるのは嫌だった。


「さあ、どうしたい」


 再度問われて、姫の身体がふるりと震えた。鳥が人になったのだから、まあ尋常の存在とは思っていないだろうが。彼の燃えるような赤い目は、怖いだろうか。彼はまだ「お友達」でいられているのか、化け物天使とでも罵られるのか。


「──……!」


 けれど、迷いも悩みも杞憂で済んだ。姫は腕を伸ばすと彼の首にしっかりと抱きついたのだ。縋るような必死さが、彼女の何よりの答えだった。

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