キャタピラと初体験

豊 名尾汽

キャタピラと初体験

「……で、こんなところに呼び出して、なんの用?」

 こんなシチュエーションは、きっと慣れっこなのだろう。静かに射抜くような目つきは、教室で見る横顔と変わらない。

 でも僕はドキドキしていた。

 彼女はとある武術の高校日本一。その鋭い蹴りは大男でもしてしまうのだ。

 けれどそれは杞憂に終わる。

 後頭部への一撃で、彼女はいともたやすく地面に伏せた。

「う……」

 かすかに意識はあるようだった。しかしバットは容赦なく二度めの暴力を振るい、彼女の前歯を叩き折る。

 うめき、ついに意識を失った。

「へ、ざまあみろ!」

 男にしては抑えたのだろうが、嘲り声は響きわたった。

 ……正直、勘弁してほしい。いちおう僕も共犯なのだから。

 しかし解放されるどころか、男は荒いロープを投げてよこした。

 戸惑う僕に言い放つ。

「猿ぐつわカマすんだよ! …………そうじゃねえ! もっとキツくだ!」

 僕は言われるがまま、真っ赤な口にロープを挟み、奥歯が見えるまで絞り上げた。

「で、コイツだ」

 今度はバットを突きつける。

「え……?」

「え?じゃねえ。コイツで手足の骨を折るんだよ」

「……」

 男は、ためらう僕に矛先を変えた。

 ……!

 どんな悲鳴を上げたのか。

 どっちにしても軽い罰だ。このあとの、彼女に起こる仕打ちに比べたら。

 とにかく僕は、痛む頭で体を起こした。

 朦朧とする意識に、骨を砕く音と光景が飛び込む。

 そして男はスカートを捲り、かわいいショーツをはぎ取った……


 合わせた両手の震えを、良い方に勘違いしてくれるといいのだが――。僕はそんなよこしまな思いでクラスメートの列に戻った。

 壇上の写真は笑顔の彼女。そこに煙が立ち上る。

 バレませんように、捕まりませんように……。知らなかったんだ! まさかあんなことまでするなんて!

「見張ってろ! いいか、そこを動くなよ!」

 聞こえてきたのはディーゼルの轟き。驚く僕に追い打ちがかかる。

 ショベルカーが彼女に迫った。キャタピラで、彼女の腕を轢こうというのだ!

 今もあそこに残るキャタピラの轍。あたりまえだが、潰れ千切れた彼女の手足はとっくに回収されていた。

 近年まれな猟奇殺人。さらにそこには、剥かれた顔と体の皮まであったという。

 葬式から戻った僕を、母はしきりに心配した。

 そりゃそうだ。鏡に写った蒼白な顔は、もはや自分のものではなかった。

 ベッドの上に腰を落とす。横になれない、顔を上げることすらできない。彼女の悲鳴が頭から離れなかった。

 しかし直後、僕の体は伸び上がる。こつこつ、と何かが窓を叩いていたからだ。

 ――ここが、二階にもかかわらず。

「こんばんわぁ」

 僕は訳も分からず後ずさる。

「そんなに怯えないでぇ。ちょっと訊きたいだけなのぉ」

 窓から上がり込んできたのは、色気の漂う美女だった。

「……だ、れ……」

「……うふぅ」

 壁際の僕に甘い香りが迫る。彼女はふくよかな胸を押しつけ言った。

「あのの姉よ」

 姉……。姉姉姉、姉……姉!

 たしかに似てる!

 どうして僕がわかった! 何をしようってんだ!

「あなた、知ってるんでしょ? あの娘を殺した犯人の住所。それを教えてほしいの……」

「ひ……」

「ねえ、だめぇ?」

「……それで、そのあとどうするんですか。やっぱり……警察に……」

「そんなことしないわ。あなたまで捕まっちゃうでしょぉ?」

 脅迫だ。僕には彼女をどうこうできない。かと言って、あいつにチクったりしたら……

「……じゃあ……」

「罪人は、とうぜんの報いを受けるべきだと思わない?」

「……あ、危ないヤツなんです。もし近づいて、バレたら……」

「うふ。あなたは心配しなくてもい、い、の!」

 ……結局、教えてしまった。彼女の言うとおり、あの男は報いを受けるべきだと思ったからだ。

 罪は、命であがなわれた。

 翌日母が教えてくれたのは、男が死体で見つかったとの近所の噂。

 ただ気になったのは、その状態や死因がまったく伝わってこないことだった。

 とにかく、これで枕を高くして眠れる――わけもなかったが、心配の種が一つ消えたことは間違いない。

 僕はひどい罪悪感を抱えながらも、ベッドでうつ伏せになれた。膝を抱え一睡もできなかった昨日とは雲泥の差だ。

「あなた嘘をいたわね」

 跳ね起きた僕の目の前に彼女がいた。……おかしい。窓にはたしか、鍵を掛けたはず。

「……ぼ、くが、嘘……を……」

「あ、わかった。嘘は言ってないけど、訊かれていないことは黙ってた――そう言いたいんでしょ?」

 険しい顔が少し和らぐ。僕も少しだけホッとしたが、態度には出すまいとした。

「いけない子ねえ」

 また色仕掛け……だめだ、これだけは言えない!

「じゃあねえ、こういうのはどう? ……あなたを……お姉さんがもらってあげる……」

「……え、と……」

「わからなぁい? それともぉ、わからないフリぃ? あなたの全部を受け止めてア、ゲ、ル、って言ってるの。……大丈夫。痛くしないから」

 胸ばかりか体全体を押しつけてきた。死んだ細マッチョの彼女と違って、とっても柔らかい……

「その気になってきたみたい……」

 勃起したチ○コを彼女は握りしめた。今にも発射してしまう!

 しかし寸前、彼女は僕から距離を取る。

「どう……?」

「……」

 興奮でどうかしていた僕は、打ち明けてしまった。

 絶対に秘密の、あの人ことを……


「きゃあ!!」

 こっそり訪れたことを僕は後悔した。……後悔したが、物のついでと戸口をくぐる。

 怖いもの見たさ。恐怖より興味。いったいどんな殺し方をするのか……

 死んだ彼女にやや劣りはするが、あの人の力量ちからも相当なもの。倒すには、あいつがやったように不意を突くしかないはず……

 だが意外にも、彼女は堂々、正面から挑んでいた。

 しかし、やはり――

「どこのどなたか存じませんが、ちょっと無謀じゃありませんか?」

 蹴り、肘、正拳。手加減なしの攻撃に彼女はしゃがみ込んでしまう。

 顔と、どうやら体に傷はない。かわりに両腕がボロボロだった。

 肩で息する彼女に向けて、ついに大技が繰り出される。交差した両腕に踵が落ちた。

 ――ところが、だ。

「…………ちょっと……!」

 あの人が言葉を失う。踵に道連れにされ、彼女の両腕が落ちた――文字どおりの意味で!

 色を失うあの人に、今度は彼女が蹴りを放つ。けれど格闘家の成せる業か、放心のまま足を受け止めひっくり返す。さらにもう片方の足も決め、勝負あったかと思われた。

 だがまたしても足の付け根がポロリと外れる。

 抜け出す彼女。畏怖の瞳がそれを追う。

 僕は彼女の感触を思い返す。

 義手や義足じゃなかった。だってあんなに柔らかくて、暖かくて……

 こみ上げてくる劣情を、目の前の光景がしぼませる。四肢なしに、彼女はゆっくり進んでゆく。

 彼女の服には突起があった。二つじゃない。胸から下にも、蠢くものがいくつもある。

 それは足をむしったエビの腹に似ていた。……ああ、もう僕は一生エビが食べられない。

 悲鳴を残し、あの人が逃げ出す。けれど、踊る筋肉質のふくらはぎに白い何かが降りかかる。

 糸――。彼女の口が吐き出したそれは、幾重にも絡んであの人を転倒させた。ひきつる顔で剥がそうとするも、彼女に糸を吸い寄せられ、その目前に引きずられてくる。

「敵前逃亡なんて、期待の美貌格闘家の名折れじゃなぁい?」

「……」

「あ、そっかあ。手足がないと関節技、できないものね」

 性根はさておき、あの人の精神力は本物だった。不気味な彼女の首を抱え、果敢に鯖折りを試みる。

 だが――

 ずるりと顔がずれる。あの人の腕には顔の皮膚だけが残った。

「いやあぁぁ!! いやあぁぁ!!」

 なけなしの勇気が尽きた瞬間だった。あの人の眼前には、緑色をした肉の顔が!! 

 抵抗もむなしく、彼女の口の液体を浴びる。

 いやな音。いやな臭い。

 あの人は顔を覆って逃げ出してゆく。糸はいつのまにか切れていた。

「まあ、わたしも生きていたのだから、これくらいで許してア、ゲ、ル。あの顔でこれからどうやって生きていくのかしら。楽しみだわあ」

 ……彼女こそ、もう妖艶な美女じゃない。

「ねえ、出てきてよ」

 緑の肉が僕を見つめた。とたんに足が震え出す。

「いいよお、じゃあ待ってて。お姉さんが行くから」

 僕は芋虫も尺取り虫も見たことがない。でもたぶん、こんな風に歩くんだろう。持ち上がった体の高さは僕の半分もない。

 たとえ緑の肉になっても彼女は優しかった。怯える顔で察したのだろう。

「ああ……ごめんね、これじゃ嫌よね」

 言葉に続いて糸を吐き出す。それは肩と腰に絡まりながら腕と足を形作り、最後は顔にまとわりついて、元のきれいな彼女になった。

「……ねえ今度、一緒にデートしなぁい?」

 力いっぱい頭を振る。

「あら残念。……じゃ例の約束、ここでしましょ……」

 例のって……まさか、あの……

 絶対嫌だ!!

 僕の初めてがこんな化け物に……一生童貞の方がマシだ!

「それはだめよ。わたし、約束はきちんと果たす主義なの……。ほら、あなただって待ってたんでしょ?」

 待ってない! これ以下がないってくらい縮んじゃってる!

 でも彼女は僕にかまうことなく、目前で大きく広げてみせた。

 粘液が糸引く、果ての見えない妖しい穴……

 それが一気に僕をくわえ込んだ!

 “ね、痛くないでしょ?”

 ……本当だ。痛くない。

 おかげで僕は……

 全身が溶かされる初めての感覚を、存分に体験すること……が……でき…………

 …………

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