38 鍛冶屋の技術


 その夜はガリアノが見張りを務め、少し短いながらもリチャード達は、一時の休息を得ることが出来た。

 野ざらしながらもなんとか無事に朝を迎えた。少し肌寒い。朝だというのにこの森の周りには日の光が届かないらしく、昨夜から漂ったままの霧が、薄暗さに拍車を掛けている。

 鬱蒼としたその木々からは異様な悪意を感じるし、相変わらず生命の気配は感じさせない。薄気味悪いままだった。

「この森の木には幻覚作用があるらしい。出来るだけ触らずに、お互い離れんように移動する。長居もあまり、するべきではないだろう」

「お手手でも繋いで通るのか?」

 レイルがいつものように茶化しているが、ガリアノは大真面目な顔で唸った。

「それも考えてはいるのだがな。さすがに緊急事態に対応出来ん。そこでだ……オレのゼートの魔力で全員を繋ぐ」

 そう言いながらガリアノが手元に魔力を集中させると、その手に縄状の光が現れる。手のひらの上にそのまま乗っており、光のわりに熱くはなさそうだ。

「これを全員に巻き付けて動けば、幻覚に惑わされてはぐれることはなくなる。両手も自由になる」

「ですがガリアノ様。これでは襲われた際にこちらから仕掛けることが出来ません」

 サクの指摘はもっともだった。この縄で繋がっているということは、そこから独立して動くことが出来なくなるということでもある。

「ああ。だからこそ戦闘は極力避けるし、したとしても遠距離で仕留める。オレとサクが前後左右に感覚を張り巡らせ、敵の位置を把握。それをオレが光の魔法で吹き飛ばす」

 大雑把だが一番有効そうな作戦に聞こえるのは、それだけ彼の能力を信用している他ならない。サクも少し考えた末に頷いている。

「よし、ならば作戦は決まりだ。昼飯の時間もこの森の中では取るつもりはない。だから今からの朝食を皆、しっかり食べて臨んで欲しい」

 ガリアノはそう言いながら、荷物からすっかりお馴染みになった干し肉を取り出して、それを先程出現させた光の縄で炙り出した。どうやら一度出した光に熱を与えるのも、彼の意のままらしい。魔法とはなんとも不思議で、便利なものだ。

「森の範囲自体はそう広くないと聞いています。迷わなければ一日も経たずに抜けられるとのことです」

 サクも二人を勇気づけるようにそう言ってくれた。穏やかに揺れる瞳には、こちらを気遣う光がある。

「夜までは絶食だぞ。さぁ、しっかり食わんか」

 半ば強引にガリアノから肉を手渡され、苦笑しながら食べ始めるリチャードの姿に、愛しい彼女の口元にも笑みが浮かんだ。









「リチャードよ、こっちに武器を見せてくれないか」

 食事が終わり、リチャードはガリアノに言われカギ爪を腕から外す。彼の目の前に掲げると、ガリアノは静かに魔術の詠唱に入った。

 普段は大袈裟なまでのその声が、難解な呪文を静かに唱える。言葉を話していることはわかるが、その意味が聞き取れない。不思議な感覚だった。

 しばらくするとカギ爪に変化が現れる。固定している部分に光の文字が刻まれている。

「これは?」

 リチャードはこの世界の言葉は話せても、文字を読むことは出来ない。そんなリチャードに、ガリアノは文字の意味合いだけでなく、この世界の常識も教えてくれる。

「これは鍛冶屋に伝わる初歩的な魔術だ。刃こぼれを防ぐ簡単なものだ」

「鍛冶屋の技術が使えるのか?」

「オレのは簡単な真似事みたいなものだ。この文字が鍛冶屋達の紋章だ」

 そう言ってガリアノが光の文字を指さす。彼のゴツゴツした手は指先までも太く逞しい。歴戦の戦士を体現したようなその体格に、この旅の安心を約束されているようにいつも思う。

「どこでこれを……?」

 そこまで聞いてリチャードは、この質問が失言だったことに気付いた。目の前の大男から、探るような視線を受けたからだ。オレンジがかったその瞳が、いくらかくすんだ色を含んだ気がする。

「オレは若い頃から冒険者をしていてな。その時の知識だとも」

 その笑顔は誤魔化しなどではなかった。これ以上深入りするなという警告。口には出さぬ、凄みの効いた視線だ。

「……そうなのか。悪い」

 いったい何に対しての謝罪なのか。わからないまま謝罪する自分が、一番腹立たしかった。

「レイル!」

 ガリアノが彼女にも同じ施しをするためだろう、大声でレイルの名を呼ぶ。彼女はサクと共に食事の後始末を行っていた。干し肉の臭いのついた食べ残しは、その臭いのキツさ故にモンスターを呼び寄せやすい。その臭いを消すためにサクが毒を混ぜ込むのだ。

 肉の臭いに釣られたモンスターからの追撃を防ぐ意味もあるらしく、その隣でレイルは荷物の整理も行っていた。そろそろ川の水で洗濯をしたいと先程零していたのを思い出す。

 名前を呼ばれた彼女が近寄ってくる。サクが荷物の整理を引き継いで、こちらに来たのはレイルだけだった。

「なんだ?」

 薄っすらと口元に浮かぶ悪い笑みに、ガリアノが意味もなくガハハと笑う。その反応に彼女は少し眉間に皺を寄せながら、ガリアノの正面に腰を下ろした。

「なに、リチャードの武器に光の魔術を刻んでいたんだ。お前さんにもやってやる」

「光の魔術? なんで?」

 警戒心でも湧いたのだろうか。彼女が疑問を口にする。するとガリアノは、リチャードには話さなかったことまで説明し始める。

「この魔術は刃こぼれを防ぐと同時に、光の保護でお前さん達を守るものだ。もしオレ達の援護が遅れた時の、お守り代わりだと思ってくれたら良い」

「ふーん?」

 彼女の反応はクールだった。その腕からカギ爪を外すこともなく、何かを計るようにガリアノを見詰める。その視線にガリアノは、彼にしては珍しく居心地の悪そうな顔をする。不快な風が通り抜ける。

「それって、サクじゃダメなの?」

 たなびく赤のウェーブからその声が流れた時には、ガリアノの大きな手が白い細腕を掴んでいた。

「お嬢さんは我儘で困る。少しはオレの言うことも聞いてくれ」

 彼の口元には皮肉めいた悪い笑みが浮かび、それを見たレイルの瞳が怒りに燃え上がる。

「オッサン、何を焦ってんだ? まるで、『視せたくないモンを隠してる』みたいだぜ?」

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