31 息子


 『大切な』息子が旅立ってしまった。それは夫婦の心に大きな変化をもたらした。それまで続けてきた連日の看病に身が入らない。表向きはこれまで通りの看病を続けながら、虚ろな心には何も響くことがない。まるで心に穴が空いたように、日々の小さな幸せが零れ落ちていくようだった。

 目の前で日が経つ毎に、亡くなる人間が増えていく。人口の少ない集落だ。死の連鎖が始まれば、その終わりもすぐに訪れる。瞬く間に動ける人間は、若い部類に入る自分達だけになってしまった。

 辛うじて生き残っている老人達は今では立ち上がることも適わず、それに看病に当たる夫婦にしても、とても全員に手が回る状況ではない。最小限の食事の世話だけで、もう手一杯だった。虚ろな夫婦の気持ちを助長するように、手入れのされない集落はどんどん荒んでいく。

 このタイミングで盗賊等の襲撃が無かったのは奇跡である。この世界にも街や村に定住しない――いや、出来ない輩は一定数存在する。彼等はそんな者達で群れを成し、盗賊となって旅人や警備の手薄い村等を襲撃する。

 鍛冶屋は元来魔力の高い者が行う職種なので、この集落がそれらの標的になることは今までなかった。しかし目に見えて集落が荒んでいる今は別だ。住人の不穏な空気を、彼等は敏感に嗅ぎ付ける。死肉を好む野生モンスターも然り。

 病魔には侵されたが、それでも夫婦は恵まれていた。盗賊の被害もなく、弱ってはいたがある程度の魔力を有した人間がまだ生きている。それだけで充分だった。息子の手助けをするためなら。もう、なんでも良い。

「ワシ等は二人で霊石を生成しようとしたんです」

 夫が絞り出すように言った言葉に、ガリアノの眉間に皺が寄った。勇ましい彼の表情が途端に険しいものとなり、その変化に妻が怯えたように泣き縋った。

「水神様の元には一緒に行けなくても、私達が霊石の一個でも造り出せれば、あの子の助けになると思ったんです」

 ガリアノの足元で泣き崩れる妻を、サクはただ見詰める。ガリアノの表情から、自分の考えが正しいことを悟り、何も言えずにいた。

 彼等夫婦は悟っていたのだ。息子はきっと、生きてはいないと。息子を自分達の保身のために、死の旅へと送り出したことを自覚していたのだ。だから――

「霊石に宿る魔力は、お前さん達二人程度では到底足りんだろう」

 ガリアノの低い声が、必要以上に響いた気がした。その言葉にリチャードは目を見開き、レイルはつまらなそうに溶岩に埋まるであろう“それ”を眺めていた。その瞳は、既に消え去った焔を見ているようだった。

「あの時、生きている者は八人でした……」

 重苦しい口調で妻が口を開いた。崩れ落ちた姿勢のまま、顔を伏したまま言葉を紡ぐ。それはそれは恐ろしい結末を。

「私達はまだ若く、魔力もそれなりに自信がありました。そして病に伏しはしても、集落の者達も元は優れた鍛冶屋です。体力は老いにより衰えても、魔力が衰えることはありません。私達よりも遥かに強大なその力を、私達は頼りました」

 それはつまり、病に伏せる老人達に、自分達の過ちを認めたのだ。『大切な息子』を助けるために。彼等は、息子を死へと放り出した存在に、息子の力になれと乞うた。

「きっと、息子は生きてはいない。心のどこかでそう思いながら、それでももしかしたらという気持ちから、私達はこの地に霊石を造り出そうとしました。きっと、息子が死んでいたとしても、そうすることが贖罪になると思ってもいたんです。本当に……」

 私達は愚かな親でした、と伏した頭は悲痛な声を上げた。心の奥に封印した罪を吐き出して、まるで醜いものを全て吐き出すかのように肩を震わせる。その姿にサクは息を呑んだ。

 夫婦は罪を懺悔していた。しかし、その姿は正しく罪を免れようとする罪人に過ぎない。彼等は、何も償ってはいない。その命を捧ぐこともせずに、ただ他者に協力を依頼したのだ。霊石を造り出し、そして――それを息子に伝える術もなく、ただ命を、救われない命を糧に新たな罪を作り出したに過ぎない。

「霊石は、出来たのか?」

 レイルが小さく問う。その声は思いの他、サクの耳には冷静に聞こえた。怒りも悲しみも同情も、等しく何もこもらない声だった。彼女の瞳はそれに注がれたまま。きっと、命尽きるまで魔力を搾り取られた老人達が埋まっているであろう溶岩に注がれている。その瞳に、今はなき焔を滾らせて。

「……成功、はした。だが、魔力の暴発の影響で大地から湧き出た溶岩によって、集落ごと埋まってしまった」

 彼等は霊石の生成に成功していた。生き残った老人達の身体から命ごと魔力を奪い取り、それを糧に血塗られたような朱を彩った霊石を生成した。まるで亡者の怒りか憎しみのように赤く、鋭く輝くそれは、蒼海の王への献上品としてはあまりにも穢れて見えた。

 夫婦がその酷く醜い輝きに目を奪われている間に、集落は大地から突然、文字通り湧き出た溶岩に瞬く間に飲み込まれた。主のいなくなった家屋も、その世話もされずに打ち捨てられた死体も、遠き日の思い出の詰まった品々も、全て等しく――犠牲の朱と共に埋もれてしまった。

「なんで……あんた達は生きてるんだ?」

 レイルの言葉が、少し震えた気がした。サクは思わず彼女の小さな肩に手を触れようとし、すでに彼女の肩を抱くリチャードの姿を捉えた。動き出そうとしていた手が急ブレーキを掛ける。ぴくりと動いただけで止まった己の手に、胸が締め付けられるようだった。

 彼女は他人の命に興味はない。だが、命と犠牲は違うのだ。誰かのための犠牲とは、真にその者を想う者からの施しでなければならない。

「じじい達は、本当に……あんた達の息子のために死んだのか?」

 彼女はもう一度問う。しかし夫婦は答えない。その代わりに、しばらくの沈黙を挟んでから夫が口を開いた。彼女の問い掛けには答えないまま。

「ワシ達は魔力の方向性を霊石に集中させなければならんかった。だから死ぬわけにはいかなかった。二度と魔法の発動を行えなくなるまでには注ぎ込んだがな。それがどうした、と言われたらそれまでだが」

 自嘲気味に笑う夫の顔には、感情が浮かんでいない。彼の口が小さく動くが、その時吹き付けた煙臭い風に、その声は掻き消された。サクにはその口元が、謝罪の言葉を紡いだように見えた。

「私達にはもう、何もありません。この全てを焼き尽くした溶岩を動かす術も、息子の帰る場所を護ることも、息子の力になることすらも……」

 ガリアノがすっと立ち上がった。彼は険しい表情のまま荷物を背負うと、燃え尽きた溶岩で灰色に染まった地へと向かう。サクも彼に倣おうとして、座ったままのリチャードの肩に手を置いた。困惑した表情でガリアノを見ていたその瞳が、サクに向けられる。

 それにサクは敢えて言葉では答えずに首を振り、彼に立ち上がるように促す。彼に抱かれたままのレイルが、心底鬱陶しいという表情をこちらに向けていたのもある。素直に立ち上がったリチャードの手を、レイルが自然と引いていく。恋人の自然さで、ガリアノに続く。不自然にそこから離れていく。

 サク達は冒険者だ。決して後ろを向いてはならない。前進をする冒険において、後ろを振り返るようなことはしない。旅とは本来そういうもので、過去を向いた人間に、今を越えることは出来ない。

 思い出の中の息子のために生成された霊石を、前を向く自分達が活用するために、ガリアノは掘り返そうとしているのだ。彼はそれを強制はしないだろう。だが、敢えてサクはリチャード達を連れ立った。

 それは彼等の瞳の中に、確かな光を見たからだ。一つは容赦なく他者を傷つける、痛々しいまでの炎。そしてもう一つは、溺れるような荒波の中に答えを探す、まだ頼りない、それでいて穏やかな光だった。

 彼等はきっと、自ら考え行動出来る。そう思ったサクは、静かに彼等を促すのだった。尊敬してやまないその背中を追う、いつかの姿を重ねながら。

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