9 今は亡き妹


「ガリアノ様は、自分の妹と婚姻関係にありました」

「へー、サクってお兄ちゃんなんだ?」

「ええ。もう亡くなりましたが……」

「あー、悪い……」

 夕暮れ時の街を二人で歩きながら、サクは今は亡き妹と故郷のことを、レイルに話すことにした。

 自分の心の中の深い部分を、こんな簡単に話そうと思えたのは初めてだった。それは彼女が見せる年不相応な落ち着きか、それとも憂いを帯びた諦めの雰囲気なのか。

 周りからの攻撃等、彼女にとってはどうでも良いことなのだろう。体格や性別等まるで違うが、まるでガリアノと同じような空気が彼女にはあった。強き信念の下では、周りの戯れ言等凶器にすらならない。

「二年前のことですから、気にしないでください。妹が……いえ、故郷の村は、魔法による汚染で滅びました」

 サクの故郷は海辺の小さな村だった。

 命を奪う水の塊である海での漁は、そもそも考えることすら出来ず、村の主立った特産は近くを流れる川の魚と畑の豆類だった。

 村人達の主食を充分に生み出せた豊穣なる大地は、刻々と汚染され続けた末についにその牙を剥く。知らず知らずのうちに体内に蓄積された毒素が、次々と流行り病の形をとって伝染したのだった。

 身体に毒素が滲み出し、体表が変化しだしたらもう先は短い。最終的には口も目も動かせないまま泡を吹いて死ぬ。老若男女関係なく倒れていき、そこには例外なくサクの妹も取り込まれた。

 村民の全てが顔見知りという小さな集落で、それでもアクトである自分達兄妹は浮いていた。

 親の顔は知らない。気がついた時には生まれたばかりの妹を背負って山道を歩いていた。種族が違うことで定住出来ずにいた幼い自分達のことを、遠巻きながらも受け入れてくれたこの村には感謝しかない。あからさまな嫌がらせ等もなく、温かさこそ何もないが、二人で暮らしていくだけならば、特に問題のない生活だった。

 そんな村に定住してから十年が経った頃。村に一人の旅人が現れる。これがガリアノだった。

 彼は自分の腕を試すために、頂きの街への旅路の途中だと言った。確かに彼からは戦いの気配が濃厚に漂っていた。

 ゼート特有の強い光の魔力と鍛え上げられた肉体は、強者揃いだと噂の街の兵士達にも引けを取らないのではないかと思えた。村の外での狩猟を生業にしていた自分の腕でも、彼を相手にするのは無謀だと一目見ただけで悟っていた。

 ガリアノは一言で言うなら“変わっていた”。

 ゼートの村人はたくさんいるのに、何故かアクトである自分達の家へと転がり込んできたのだ。本人曰く、ここまで生活の距離が近いアクトは見るのが初めてなので、社会勉強だ、とのこと。

 だがそれが、ガリアノが適当についた嘘だというのはすぐにわかった。ガリアノはどうやら、自分の妹に恋をしてしまったようだった。彼を見ていればすぐわかるし、どうやら妹の方もまんざらでもなさそうだ。

 元より豪快で真っ直ぐな物言いのガリアノが、妹を口説き落とすのに時間が掛かることもなく。その翌年には二人は婚姻する運びとなった。サクも彼の芯の通った性格を気に入り、二人の関係を祝福した。

 そしてその吉報は、村と兄妹の関係の潤滑油にもなった。

 ガリアノは居着いてからというもの、すぐに村人達の中心となって精力的に村に尽力していた。そんな彼を射止めたのがアクトの娘だったものだから、嫌でも村人達の注目は集まる。そしていざ注目してみれば、種族の差という差別が如何に愚かだったことかに気付くのだった。

 自分達の立場まで改善させたガリアノを敬う。サクの今があるのは、ガリアノのおかげなのだ。

 村で過ごす暖かい日々。三人の幸せ。三人の日常。

 それが崩れたのは突然だった。村に流行り病が広まるや否や、土地が、川が、みるみる毒されていった。

 見るからに黒く染まるその毒は、海から染み出してくるようだった。例えるならば、大きな暗き影が音もなく毎晩、海から這い出してくる恐怖。

 人の足では逃げられるはずもなく。最後の病人――妹が息を引き取った時、生き残っているのは自分とガリアノだけだった。ガリアノは元々身体が異常に丈夫だったし、サクもアクトの毒の能力が強いためか発症しなかった。

 二人は愛しき身体を丁寧に埋葬し、故郷の村から旅立ったのだ。世界から汚染を無くすため、水神の力を借りるために。

「妹さん、いくつだったんだ?」

 隣を歩いているレイルが聞いてきた。ふわりと赤髪が揺れる。

「亡くなった時は十六歳です。自分とは五つ離れているので」

「なんだ妹さん、私と同い年かよ。ロリコンじゃねーか」

「ろ、ろり……?」

 聞き慣れない単語にも驚いたが、彼女が妹と同い年だということにも驚いた。身内だからということもあるだろうが、それでも目の前の彼女からは、妹にはなかった女性の色気ともいうべきものが流れ出ている。

「あー、あれだ。すげえ年下が好きなオッサンのことだよ。ガリアノ、三十前くらいだろ?」

「え、ええ。ガリアノ様は二十八だったと」

「……つーか、サクは今は?」

「自分は二十三になりました」

「へー?」

 急に彼女の口元に笑みが広がった。なんだか悪い笑みだ。

 彼女が踊るような足取りでするりと、手を取ってきた。自然に距離が近くなり、その蠱惑的な瞳に視線を絡め取られる。

 完璧な上目遣いに目を離せなくなり、じんわりと手汗をかきはじめている自分に気付く。甘く捕まったままの指先が熱い。

「ロリコンってのは撤回だな」

「……え?」

 街中を吹き抜ける風が、軽い冷気を帯びている。夕暮れ時のこの空気は、嫌いではない。

「サクがロリコンって言われたら、嫌だもんなー」

 けらけらと笑いながらそう言った彼女は、からかいにしては真っ直ぐな瞳をしているように見えた。

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