狐の嫁入り

口一 二三四

狐の嫁入り

 狐の嫁入りを見た。

 比喩や冗談ではなく本当にこの目で。

 残暑と言うには暑すぎる日。

 部活で足を捻挫した私は保健室に立ち寄った後、大事を取って家に帰るよう言われた。

 家の前まで付き添ってくれた後輩を見送り玄関扉を開けると、ぽつっ、ぽつっ。

 頭に雨粒が当たり慌てて家の中へと入った。

 今日は一日晴れるって言ってたのに変なの、なんて思いながら振り返ると。

 ついさっき後輩を見送った道に狐がいた。

 一匹二匹じゃなく大勢。

 まるで時代劇とかで見た大名行列みたいに静かに、ゆっくり。

 水に濡れた獣臭さを漂わせながら、雲一つない空から降る雨に合わせた足取りで私の家の前を横切ろうとしていた。

 いつもは聞こえる車が遠く過ぎる音や、道端で会った誰かと話し込むおばさんの声。

 そういう生活音の一切が消え去り、雨音と足音だけが響く光景は、異質で、異様で。

 どこか魅力的な、蠱惑的な雰囲気があって、その列に加わろうと自然に足が動いた。


「っ……いたっ」


 踏み出した瞬間足首から痛みが走る。

 視線を下ろし見ると包帯が巻かれた右足があって、そうだ今日私部活で足捻挫したんだと思い出した。

 バランスを崩して支えを探す。

 玄関先にある姿見鏡へ手をつき自らの姿を映す。


「……えっ?」


 自分の顔が、狐になっていた。

 いや、違う。


 自分の顔が狐に『なろうと』していた。


 伸びた鼻先は動物のそれで、頭に手を持っていけばふさふさとした耳にぶつかる。

 割けた口から覗くのは肉食獣じみた鋭利な牙。

 狐と同じ獣臭さが自分からもしていると気がついた。

 そこでパニックにならなかったのは、瞳と体だけは辛うじてまだ人間のままだったから。


 ――今ならまだ間に合う。


 微かに残った冷静さが直感を働かせた。

 慌てて玄関扉に手を伸ばす。

 表の道には未だ狐の行列が横切っていて。


「ひっ」


 扉に手をかけた瞬間、その顔が一斉にこちらを凝視した。

 獣特有の瞳は何かを訴えているような、妬ましくしているような。

 助けを、求めているような。

 強い念が込められた光でギラつき私を睨んでいた。

 足がすくむ。気持ちが萎える。

 恐怖で体から力が抜けていくが、だからこそ足に体重がかかり痛みが走った。

 痛覚だけが浮世離れした今においてすがれる命綱だった。

 普段なら邪険にする感覚をたぐり寄せるみたいに引き摺って。


「連れて行かないで連れて行かないで連れて行かないで……!」


 狂ったように懇願してガチャリと扉と鍵を閉めた。

 握ったままでしばらく放心。

 雨音と足音が遠退き、止んで、ようやく。

 張り詰めていた気持ちがフッとほぐれへたり込む。

 時間にすれば数分。

 でも体感的には何時間もあの行列に抗っていた気がする。


 なんなのあれ?

 なんだったの?


 考えようとして何気なく頭を触ると、さっきまであった感触が無い。

 そういえば視界の中に見えていた鼻先ももう見えなくなっている。

 顔を上げて姿見鏡に自分を映す。

 そこには他でもない、人間のままの私がいた。



 翌日。

 結局あれが何だったのかわからず学校へ行くと、緊急の全校集会が行われた。

 話の内容は昨日あった失踪事件。

 なんでも町から大勢の人間が一斉に行方不明となったらしい。

 もちろん私の通う学校の生徒も例外ではなく何人かいなくなっており。



 その内の一人が、私を送り届け帰っていった後輩だと知らされた。

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