《8月20日午前。ムーンサファリ内フェスティバル会場。ダグレス》その三


 バタフライに関係あるかどうかはわからないが、気になった。

 出品予定時間を見ると、ちょうど今ごろだ。

 急いで場内へ入ろうとしたが、そのときにはもう競りは終わってしまっていた。場内から、ぞろぞろと客がロビーへと出てくる。


 そのなかに、ダグレスは見おぼえのある姿を見た。どんな人ごみのなかでも目をひく、銀糸のような髪と美貌——ラリック医師だ。


 ダグレスは素早く彼に近づいていった。


「やあ、どうも。あなたも来ていらしたとは気づきませんでした」


 たった今、自分も会場から出てきたように声をかける。

 ラリック医師は左右の色の違う目を、すうっと細めた。


「妙なところで会いますね。刑事さん」

「今日は休暇で来ているので、そんなふうに言われるのは心外ですね」

「これは失敬。あなたも蝶に興味がおありですか?」


 あなたも、ときた。

 つまり、少なくとも彼には蝶への関心があるわけだ。


「人並みには。じつはトウドウに誘われて来たのはいいが、私にはなじめない空気だったので、落ちつくところへ避難していたのです。しかし、キレイな蝶だった」


 へたに知識があるふりをするとボロが出るので、妥当なウソをついておく。


「ああ。トウドウね。彼はおもしろい。黙っていればクロバネアゲハなんだが」

「蝶にお詳しいようですね。集めているのですか?」

「美しいものが嫌いな人間はいないでしょう?」


 逆に反問されてしまう。


「まあ、何をもって美とするかには、個人差がありますが」


 エックスレイで見た蝶は、もやもやしたやわらかいものがうごめいて、あまり美しくない。これも、ダグレス固有の視点には違いない。


「たしかにね。しかし、そうは言っても、万人に共通の感覚はある。マジョリティ側の美意識というものが。本来、美しいものは見て心地いいから美しく感じるのであって、本能的な感性であると言わざるを得ない。個人による多少の感性の差異は後年に得た経験が関連している。再生医師などしていると、トラウマによって美的感覚に歪みを生じた人間をいくらでも見ることができる。それはマイノリティの言いぶんにすぎないでしょう?」


 ダグレスなど、まさに医師の言う後年のトラウマによって感覚の歪んだ人間だ。苦笑いするしかなかった。


「おっしゃるとおりです。しかし、やはり蝶は死骸よりも飛んでいる姿が美しいのでは? これは普遍的な美意識でしょう?」


 今度は同意を得られると思ったのだが、医師は沈鬱な表情で、無意識のようにつぶやいた。


「いや。蝶は死んでいてこそ美しい」


 物思いに沈む口調だ。

 ダグレスはエンパシーが使えないことを強く悔やんだ。今からピアスを外すのは、いかにも不自然だ。医師の歪みにふれる、またとないチャンスだったかもしれないのに。


「生きている蝶を見られるのは、EUではこのムーンサファリだけですね。ここの植物園の一部が、蝶の公開飼育室になっている。そっちにもよく行かれますか?」


 慎重にさぐりを入れてみたが、的を外したらしい。

 ラリック医師は我に返った。


「そう。私は植物園によってみます。やつらが花のなかを舞う、普遍的人間心理に訴えるさまを見るのも一興ですからね。では」


 いっしょに見物しましょうと、つけいるすきを見せず、医師は一方的に言って去っていった。ロビーで立ち話をするうちに、いつのまにか人影は皆無になっていた。これでは尾行もできない状態だ。


 あきらめて、ダグレスはラリック医師を見送った。カード大会場へ帰ったが、ダグレスの興味は大ホール特設映写機の織りなす華麗な立体ホログラフィーには、まったくむかなかった。


(バタフライキラー……か。蝶のマークを自分のシンボルに使う殺人鬼。だが、ラリック医師はむしろミランダ・ドノヴァン事件で怪しかった。少年殺しにからんでくるはずはない。それとも二つの事件はつながっているのか? だとしたら、どこで?)


 可能性としては、医師がバタフライキラーである証拠を、あの夜、ミランダに目撃されてしまったというところか。とは言え、まだ可能性の域を出ない。かなり魅力的な可能性ではあるが。


 そのとき、場内の一画がいちめん白熱した光で覆われた。わあっと会場をゆるがす歓声が起こる。興奮したアナウンスが告げる。


「——信じられません! エントリーナンバー0104。ここに来て、まさかの大技、血のバレンタインを決めました! なんという引きの強さでしょうか。驚異以外のなにものでもありません。0075番、全滅です。奇跡の逆転勝利。0104番、予選勝ちぬき! みごとにゼオン公国を守りぬきました。ガマル・ゼビ、予選突破です!」


 見れば、タクミが周囲の歓声を受けて、ビクトリーポーズをとっている。ダグレスを見つけて手をふってきたので、おあいそで手をふりかえす。場の盛りあがりかたから見て、通常ならありえないような勝ちかたをしたのだろう。


 そう言えば、カード運がいいと、ダニエルが言っていた。

 そのダニエルはタクミに近い観客席で、何やら考えこんでいる。ダグレスが近づくと、苦いような笑みを見せた。


「ね? あいつ、運がいいんですよ。ふつう、あそこで都合よくダブルムーブカードなんて引きませんよ。血のバレンタインは一ターンで通常の十倍の威力の総攻撃をしかけられるけど、そのあと十ターン、まったく動けなくなる。パワーレベルもためとかないといけないし、使いどころが難しいカードなんだがな」


「タクミは予選勝ちぬきだそうだが、あなたは?」


 悔しそうな顔をしているから負けたのだと思ったが、ダニエルは無愛想に言い放った。


「もちろん勝ちましたよ。勝てるカードで埋めてきたんだから」

「タクミのカードは勝てるものではなかった?」

「弱くはないが、コスプレにあわせて、ガムダンシリーズでデッキ作ってきてるからね。攻防にかたよりがある。攻撃もパターン化するし、臨機応変に誰にでも勝てるデッキじゃないよ」

「なんだか、タクミに嫉妬しているような口ぶりだ」


 ダグレスは冗談めかして言ったが、ダニエルはおかしいくらい意表をつかれた顔をした。


「え? おれは……そんなことない」


 口のなかでモゴモゴ言って、目をふせた。

 それもまた、ダグレスの印象に深く残った。

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