《8月4日零時すぎ。事務所前廊下。エミリー》



「なんでもなかったよ。ただの依頼だ。みんな気をつけて帰って。あ、ちょっと、ダグレス、いいかな? さっき言い忘れてたことがあって。悪いね、エミリー、ちょっと待ってて」


 こわばった笑顔でみんなを送りだして、タクミは廊下の端まで歩いていくと、ミラー刑事と何やら小声でささやき始める。


 ユーベルが玄関から顔を出すと、

「さきにお風呂入って。それと、コーヒーカップ片づけといて」

 まるで追い払うように言って近づけさせない。少年はチラリとエミリーをにらんでから、なかへ入っていった。

 それをたしかめてから、タクミたちはまたボソボソと話しだす。ささやくような声がきれぎれにエミリーにも聞こえる。


「ただのイタズラだと思うけど……」

「いや。断言するのは早計で…………は、ユーベ……に顔を見られ…………かもしれない」

「じゃあ、あの夜…………のあとをつけて……」

「さあ、それは……私の調べ……付近に…………人物はいな……しかし、私のエンパシーではピアスをつけた人物を……」

「警告…………か? 警察に言う……」

「にしては……ずいぶん、日にちが…………」

「僕がカードの……を提供…………」

「あるいは、バタフライの…………ユーベルくんが好み……」


 バタフライ——とハッキリ聞こえて、エミリーはドキリとした。


(バタフライ? さっき男の人たちが話してた殺人犯のこと? なんでそんなやつがタクミたちのところに……)


 エミリーたちはキッチンにいたけど、ノーマがトイレに立ったとき、そんなことを話しているのが聞こえて、気になったので、あいだのドアをあけたままにしておいたのだ。さっきまでは他人事だと思っていたから、ミシェルやジャンだって軽口を叩けた。でも、タクミ(正確にはユーベルのようだが)がバタフライに狙われているかもしれないと思うと、とたんに心配になる。


(あの封筒が来てから、タクミのようすが変わった。あれを送ってきたのがバタフライなのね。じゃあ、ここにバタフライが来たってこと?)


 寒気が足元から蛇のように這いあがってくる気がして、エミリーはふるえがついた。

 が、そのとき、ふと思いだす。玄関前でとっていたシェリルの不審な行動を。

 あのとき、シェリルは何かをカバンからとりだそうとしていたように見えた……。


(バラが一輪と封筒。今日はみんな、作りかけの衣装を持ちよったから、大きなカバンだった。花と封筒くらいなら隠し持ってくることができた)


 そう考えてから、エミリーは首をふった。


(まさかね。友達を疑うなんて、よくない。シェリルがバタフライのふりする必要なんてないもんね)


 思いなおして忘れようとする。だが、その考えが頭のすみにこびりついて、どうしても離れない。

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