一章 スーサイド・パーティー

《2132年6月28日。正午。月面都市ディアナ。タクミ》その一



 三階から見える風景は、その日の南風のように新鮮で、優しい色彩に満ちていた。

 トラファルガー広場のむこうのノートルダム寺院まで見渡せる。寺院の近くには、ずいぶんミニチュアサイズのノイシュバンシュタイン城の尖塔があった。


「うわぁ。やっぱりいいなぁ。新居は。いいながめだよ。ユーベル。ほら、見てごらんよ」


 出窓になった南向きの窓をあけて、タクミは手招きしたが、かえってきた相棒の答えはそっけない。


「何回も見た。それより荷物ほどこうよ。いくら家具つきのアパルトマンだからって、布団くらいかえないと」


 東堂巧、二十六歳。十月六日生まれの天秤座。O型。


 今日は相棒のユーベルとともに、念願の新居へ引っ越しだ。この半年、ユーベルと二人で単身者用ワンルームに暮らしていたので、きゅうくつでしかたなかった。


 ようやく本日、充分な広さのリビングと、個別の寝室の2LDKに越してくることができた。

 外観も内装も重厚な石造りで、吹きぬけになったエントランスホールなど、なかなか豪華。静かで周囲の環境もいい。


 そのわりに手ごろな家賃で借りられたのは、同じアパルトマンに住む同業者のレオナルドの口利きのおかげだ。


 タクミは精神感能力で病んだ患者の心をいやすサイコセラピスト。だが、目下のところ、副業で超能力探偵事務所をひらいている。所員は所長のタクミと助手のユーベルの二人きり。


 人類が月で暮らし始めて百年あまりがすぎ、今や人類の二割は超能力者だ。それを職業に活用する者も、犯罪に悪用する者も多い。

 だから、超能力関連の事件を超能力で解決するサイコディティクティヴは社会に必須の職業の一つである。

 もちろん、セラピストのタクミが探偵なんてするのには、それなりのわけがあるのだが……。


「ユーベル。お昼ご飯が終わったら、友達が手伝いに来てくれるって言ってたよ。荷物ほどいたら、そのまま引っ越しパーティーしようってさ。夕食も作ってくれるって」

「友達って、さっきのレオナルドなんとかって人?」

「レオナルド・フォルムリ。ここの五階に奥さんと住んでる。僕がいないときになんかあったら、そこに行ったらいいよ。午後から来てくれるのは別の人たちだけど」


 タクミはいったん口をつぐんだ。

 ここまで荷物を運ぶのを手伝ってくれた人のいいおじさんが、ユーベルの妹マリエールの担当医であることを、ユーベルは知らない。あとで他人の口から知れるより、タクミが教えておいたほうがいい。


 タクミが打ちあけようとしたときだ。廊下に通じるドアのむこうでチャイムが鳴った。


「はいはーい」と返事をしたあと、チャイムはオーケストラみたいにラリーが続いて、ピンコロピンコロうるさいくらいだ。


「はいはいはーい」


 タクミが内からインターフォンをつなぐと、

「全員押したから、セキュリティ登録してぇ」

 外から女の声が告げる。

「はいはい」


 言われるがままに入室許可の登録をすると、ユーベルがギョッとした。


「やめてよ。タクミ。全員の顔たしかめた?」


 こういう集合住宅のセキュリティは二タイプだ。表門で厳重にチェックして、不審者を入れないタイプと、表門は解放し、戸別玄関でチェックするタイプ。

 新居のリラ荘は後者だ。呼び鈴が電子ロックのセンサーになっていて、入室許可を住人が管理できる。


「おれ、やだからね。いきなり知らない人間に寝込み襲われるの」

「だって、みんな僕の友達だよ」

「イヤなものはイヤ!」

「はいはい。じゃあ、とりあえず、友人たちは室内に僕がいるときだけロック解除されるように設定しとく。そのうち、君の寝室には市販のロックキットをとりつけてあげるよ。パスワードでひらくやつ。それならいいだろ?」


 だまっているのは了解の印だ。

 登録を終えてドアをひらくと、キャーキャーと黄色い歓声とともに、ぞろぞろ女の子たちが入ってくる。誰も彼も奪いあうようにタクミをもみくちゃにしてハグしてくれるのは、純情な日本人をからかっているからだ——と、タクミは思っている。


「ひさしぶりぃー。やだ、赤くなって。あいかわらずねぇ」

「あたしは昨日も会ったよね。タクミ?」

「へえ。いい部屋じゃない。ここ、リビング? けっこう広い」

「荷物これだけ? 少ないんじゃない?」


 若くて可愛い女の子の集団は、たいそうにぎやかだ。

 このうちの二、三人とはユーベルも顔をあわせたことがあるが、こんなふうに大勢が会することは初めてなので、めんくらっている。

 七、八人の女の子のあとには、男の友人も四、五人入ってくる。


 嬉しいことに新しい城は、この人数をらくに収容できた。

 玄関を入ってすぐに二十畳ほどのリビングルーム。つきあたりに出窓が二つ。

 リビングの左右に二つずつドアがあり、両サイドとも出窓側が寝室。廊下側がそれぞれキッチンと、サニタリールームだ。


「広いなぁ。これからはここでパーティーできるな。ミシェルんとこじゃ、お袋さんに申しわけないし」

「そうだろ? すごい掘り出し物件だったんだ。かわりに今までの事務所たたんだからさぁ。このリビングが事務所。あとで前の事務所の荷物もとりに行かなきゃ。今日の五時までに行くって管理人さんに言ってあるんだ」

「じゃあ、おれらは事務所。女の子たちでここの荷物ときだな」


 タクミはディアナシティに赴任してきて四年め。友人は多いほうだ。今日のメンバーはとくに親しい人たちである。こんなときには、たくさんの人手がありがたい。


「ユーベル。みんなを紹介しとこうか。コリンとクロエは知ってるね。シェリルも会ったことあるだろ? じゃあ、こっちから、ジェーン、ソフィー、ノーマ、ミシェル、ミランダ、エミリー。男性陣が、ダニエル、エドゥアルド、ジャン、ユーマ、コリン。ユーマは僕と同じ日本人ね」


 人見知りのユーベルはこわばった表情でだまりこんでいる。


 ムリもないかもしれない。

 ユーベルは今月十七歳になったばっかり。だが、これまでの人生、ふつうの人の一生分より遥かに多難にすごしている。


 プラチナブロンドの巻毛に水色の瞳。

 お人形のような顔立ちは、ちょっと前までそこらの女の子よりずっと美少女に見えた。

 だが、その美貌が災いして、二歳のときに変質者にさらわれ、十五歳でセラピスト協会に保護されるまで、理不尽な暴力にさらされ続けてきた。


 そのせいで、ユーベルは多数の死者を出す崩落事故を起こしている。内在するESPの暴発事故だった。


 タクミはユーベルの担当医であり、探偵の副業もユーベルが超能力のコントロールになれるための訓練だ。タクミのもとでだいぶ人になれてきたが、心理的なケアがまだ完全ではない。


(ちょっと早かったかなぁ。前に仕事でパーティーに行ったときは平気そうだったから、いけると思ったんだけど)


 タクミはガラス細工の少年の心を刺激しないよう、つけたした。


「コリンとクロエはセラピストだし、エミリーは看護師さんだよ。それに、ノーマは僕らと同じエンパシストだしさ」


 ユーベルはプイっと、そっぽをむいた。

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