6.探偵VS怪盗①
怪盗とは。
厳重な警備を擦り抜け、事前に送りつけた予告状の通りに、目的の財宝を盗み去る劇場型犯罪者。
盗みは盗み、泥棒は泥棒だが、そのエンターテイメント性が高い手口によって、数ある犯罪者の中でも民衆受けの良い稀有な存在だといえよう。
同時に怪盗とは、数ある犯罪者の中でもリスクが大き過ぎる存在だ。
その理由は単純明快で、怪盗の存在そのものが――あるいはその存在を確立させる美学が起因している。
古今東西、怪盗には独自の美学がある。
それは〈幻影紳士〉である自分も例外ではない。
自分なりに考えた怪盗の美学というものが、三つある。
一つ――怪盗は単なる窃盗犯であってはならない。
つまりは、こっそりと建物に侵入して盗みを働く泥棒であってはならないのだ。
年々セキュリティ技術が発達している今のご時世において、わざわざ事前に予告状を出し、犯行日時と標的を知らせる窃盗犯など存在しない。
――それこそ、怪盗でもない限り。
テロリストならば、事後の犯行声明を出すだろう。
ただの窃盗犯ならば、そもそも犯行の手掛かりを残さないように気を配るだろう。
だが怪盗は違う。
正々堂々と、自身の存在をあらかじめ周知させた上で標的を奪い去る。
そこに怪盗としてのロマンとスリルと美学があるのだ。
二つ――怪盗は大胆不敵な自信家でなければならない。
事前に犯行予告をすれば、当然ながら相手も警戒し、警備もより厳重なものとなる。
ここまで自ら難易度を上げて盗みを行うのだから、怪盗は自信家でなければならず、それ相応の実力と技術を有している必要がある。
そして常に冷静かつ大胆な思考と行動力が求められるのだ。
怪盗によっては仲間のバックアップなどがあるだろうが、幾多の障害を乗り越えて標的を手にし、脱出するといった一連の工程は怪盗自身――つまり、たった一人で成し遂げなければならない。
ここまで心身ともにタフな犯罪者など、そういないだろう。
三つ――怪盗は人を殺してはならない。
奪うのはお宝であって人の命ではない。
殺し屋ではないのだから当然である。
厳重な警備。
覚悟の侵入。
決死の脱出。
多勢に無勢で過酷な状況下においても、人を殺せばその時点で華やかな怪盗は死に、ただの強盗殺人犯に成り下がる。
故に、人を殺してはならない。
以上の三つが、〈幻影紳士〉なりに考えた怪盗の美学……というより、怪盗の最低条件ともいうべき持論だ。
とてもじゃないが、難易度が高すぎる上にリスクも大き過ぎる。
どんなにロクデナシの犯罪者でも、怪盗になろうとはしないだろう。
所詮は小説などのフィクションの中でしか存在しない――『幻想』なのだから。
だけど。
それでも自分は。
怪盗になることを選んだ。そう決めた。
現実には存在しない幻、あるいは影。
『それ』になり切ってやると。
…………。
――仕事の前に振り返る。
自分が掲げる理想の怪盗像を。
その美学を。
振り返る。
毎回、仕事前は必ずと言っていいほど緊張と不安で逃げ出したくなる。
どうして怪盗なんて馬鹿げたことをやり始めたのか、と自問自答しては後悔する。
だが。だからこそ。
己が役を。怪盗の美学を。原点を。
振り返る。
振り返りながら手袋を嵌める。
お決まりである一連の動作――ルーティンを行うことで緊張と不安が和らぎ、思考がクリアになる。
今回の標的は、ブラックダイヤモンド【宵闇の貴婦人】。
すでに予告状は送ってある。
実行日は十月三一日――つまり、今日だ。
すでに警備に紛れて標的のある美術館に潜んでいる。
セキュリティに関しては事前に対策済みだが、厄介な存在があった。
クロガネ探偵事務所の所長、クロガネこと黒沢鉄哉。
こと荒事処理に関する依頼の達成率は、ほぼ百%。
余波で被害が拡散することに目を瞑れば、その実力は本物だ。
クロガネの助手、安藤美優。
電子戦の専門家にして、その実力はウィザード級ハッカーに相当する。
サイバー技術が発達した鋼和市において、あらゆる意味で『
白野探偵社の社長、白野銀子。
探偵としての経験はまだ浅いが、元々名家の出身ゆえに様々な英才教育を施され、多彩な技能を習得している。
何より一流の探偵を目指すため、あらゆる鍛錬を欠かさない努力家だ。
クロガネ探偵事務所の二人と比べて見劣りするとはいえ、舐めて掛かると足元をすくわれる。
銀子の助手、
……。
付け入る隙があるとすれば、やはり彼の存在だろう。
さて、気合いを入れよう。
怪盗の登場まで、もう間もなくだ。
***
――十月三十日 午後十時三三分 / 鋼和市南区・鋼和美術館――
美術館は通常通り一八時で閉館した後、外周は警察によって規制線が張られ、その外側には多くの市民とマスコミが集まっていた。
彼らのお目当ては勿論、この美術館に現れるであろう怪盗〈幻影紳士〉だ。不謹慎なことに、警察の前で堂々と怪盗を支持し、プラカードを掲げて応援するファンもいる。
間もなく迎える
彼らを抑える側に就いた警察官には、心底同情してしまう。
「本当にお疲れ様です……」
正門に設置された監視カメラと同期していた、パンツスーツ姿の安藤美優は、決して届かない労いの言葉を彼らに送った。
「こんばんは、皆さん。改めてよろしくお願いします」
「いえ、こちらこそ」
「よろしくお願いします」
美術館に訪れたクロガネ探偵事務所と白野探偵社の面々は、館長と挨拶を交わす。恰幅の良い中年男性だ。
「それで、こちらの方が……」
クロガネと銀子は、ちらりと館長の隣に居るイギリス人の男性を見た。
長身瘦躯の初老の男性だ。
「ええ、【宵闇の貴婦人】の持ち主にしてロンドンの宝石商であるリチャード・アルバ氏です」
今回、話題となったブラックダイヤモンドの警護を依頼してきた張本人だ。
依頼は館長を仲介させ、日中に美術館へ訪れた際には本人が不在だったため、実際に会うのはクロガネも銀子もこの時が初めてである。
「初めまして、クロガネ探偵事務所の黒沢です」
「白野探偵社の白野です」
「……うむ。警備の方、よろしく頼む」
流暢な日本語でそれだけ告げると、リチャードは踵を返してどこかへ行ってしまった。
握手はおろか、まともな挨拶もしないとは英国紳士にあるまじき態度。
眉をひそめた探偵たちに、館長が慌てて擁護する。
「も、申し訳ありません。なにぶん今回の怪盗騒ぎで、少しばかり神経質になっているようでして……」
「ええ、そんなところでしょうね」
「お察しします。どうかお気になさらず」
クロガネと銀子の大人な対応に、館長は恐縮する。
と、そこに。
「黒沢、白野さん」
清水がやってきた。
「清水さん、お疲れ様です」
「ああ。館長、警備について探偵の方達と打ち合わせをしたいのですが、ご一緒によろしいですか?」
「ええ、構いません」
館長が同意したところで、クロガネが清水に訊ねる。
「清水さんは館内警備の担当なのか?」
「ああ。お前達と知り合いの方が、現場も上手く回ると上に進言してな」
「わざわざすみません、ありがとうございます」美優が頭を下げた。
「良いってことよ。それじゃ早速、警備の配置を確認しよう」
幻影紳士が狙うブラックダイヤモンド【宵闇の貴婦人】が展示されている特別展示室前で、探偵一同は清水から説明を受けていた。
「現在館内に居る警備は八〇名。ちなみに、全員が事前にメディカルチェックとボディチェックを受けているし、各PIDの生体認証も本人であることは証明済みだ。勿論、館長を含む美術館関係者やリチャード氏もな」
「つまり、怪盗が館内の人間に変装して紛れ込んでいる可能性は低いと?」
銀子の問いに、「その通りだ」と清水は肯定する。
PIDの生体認証の精度は折り紙つきである上に、身分証も兼ねている。仮にPIDを捨てたとしても、身分証不所持の容疑で市内全域の監視システムにマークされてしまうため、市民はPIDを持ち歩かざるを得ず、本人の生体認証によって別人が変装してなりすますことも実質不可能なのである。
「警備員や警察、美術館に就職した時から怪盗が潜んでいた可能性は?」
優利が挙手して訊ねる。
内部の人間から信用を得るため、長年に渡って潜伏するケースだ。
「その可能性も低いかと」
答えたのは清水ではなく、美優だ。
「美術館の内外に居る警備員及び警察官、並びに美術館関係者全員のPIDの
事もなげに断言した美優に、
「……マジで?」
銀子が愕然とする。
「美優が言うなら間違いないな」
「まぁ、美優ちゃんだしな」
クロガネと清水はそれで納得している。
「……あの、安藤さん」
「お断りします」
銀子の発言を遮り、美優は即座に拒否する。
「まだ何も言ってないけど」
「ヘッドハンティングなら受け付けません」
「うっ」
図星だったようだ。
確かに美優のハッキングによる情報収集能力は、探偵業だけでなく経営者の目から見ても魅力的なものだ。引き抜きたくなるのも無理はない。
「……そちらの月給の五倍を」
「いくら積んでも、貴女に雇われる気は一切ありません」
食い下がる銀子と目も合わさず、美優は冷たくあしらう。
基本的に穏やかな性格である美優が銀子を一方的に嫌っているのは、銀子がクロガネに対して無礼な態度を取っていたからだろう。
清水はともかく、探偵たちの関係を知らない館長が不穏な空気を察知して不安な表情を浮かべた。これから共同で警備に当たるというのに、足並み揃わず連携もままならないのは問題である。
「清水さん、話の続きを」
「あ、ああ」
空気を読んで先を促すクロガネに、清水はすぐに応えた。
「とにかく、内部に怪盗が紛れ込んでいる可能性はゼロに近い。お前達も美術館に入るまでに、ID確認の走査を受けて問題なくパスしていることだしな」
さて、と清水は一度言葉を切って背後にある特別展示室を指差す。
「肝心の配置だが、俺達は【宵闇の貴婦人】がある特別展示室前を警備することになった」
美術館内部を真上から見ると凸状の形をしており、一部飛び出た場所が【宵闇の貴婦人】を展示している特別展示室だ。
クロガネ達はその手前のメインホールで警備をすることになる。
「私達全員で出入口を守るのはともかく、他は大丈夫なのですか?」
銀子の質問に。
「この建物自体、外部からの侵入はほぼ難しい造りになっていてな。外には無数の監視カメラにドローン、警備員と警察官が七〇人態勢で警戒に当たっている。各出入口は扉や窓を挟んで内と外で警備員を二名ずつ配置している」
清水がそう答えた。
「なるほど、さながら私達は俗に言う最終防衛線といったところね。ふふ」
自らの発言に満更でもない笑みを浮かべる銀子を、クロガネと美優は何も言わずに生暖かい視線を送る。
確かに最終防衛線は重要ではあるが、他のポジションがまともに機能していれば最後まで出番がないのだ。
怪盗を捕まえ、宝石を守るのはあくまで警察官と警備員の仕事である。
つまり、おまけにも等しい私立探偵は彼らの邪魔にならない場所を任されたに過ぎず、清水は探偵たちの監視役なのだ。
「肝心の、特別展示室内のセキュリティはどうなっています?」
今度は優利がそう質問する。
「警備用のオートマタが五体、常時稼働している。他、監視カメラ五台に侵入者捕縛用のトラップが仕掛けられているそうだ」
「トラップ?」
「目標の宝石が入っているケースに触れると作動するらしい。ただ、どういったトラップなのかまでは解らない」
「申し訳ありませんが、守秘義務ですので。何卒、ご理解ください」
館長が申し訳なさそうに言った。
こんなところか、と話を一通り終えた清水に二、三質問と確認を済ませる。
「……まだ時間がありますね」
腕時計で時刻を確認した優利は館長に訊ねる。
「今の内に特別展示室を見学しても構いませんか?」
「ええ。セキュリティの都合上、私も同伴しますが、それで良ければ」
営業時間外での特別展示室は、館長が不在だと危険らしい。
どうやら、先の説明にあったオートマタとトラップの安全装置は、館長の存在そのもののようだ。
「ありがとうございます。実は【宵闇の貴婦人】をまだ拝見していなかったので、かなり興味があったんですよ」
「そうでしたか。それはそれは」
照れ臭そうに笑う優利に、館長は穏やかに頷いた。
一同は【宵闇の貴婦人】が展示されてある特別展示室に足を運ぶ。
室内に一歩踏み入れるなり、
「……うん」
美優が、やはりと言わんばかりな苦い表情で頷いた。
「どうした?」
と訊ねるクロガネに、美優は小声で報告する。
「すみません。この部屋のセキュリティだけ、私は介入できません」
つまり、美優の十八番であるハッキングが使えないらしい。
「ネット回線がないのか?」
「はい。外部からハッキングされない、
元々は『孤独』や『孤立』を意味するスタンドアローンは、コンピューターなどの情報機器がネットワークや他の機器に接続せず単独で動作しているワープロのような状態を指す。
直接操作でもしない限り、ウィルス感染や外部に情報漏洩が生じるリスクを最小限に抑えることが可能であるため、機密データを保存する情報システムの多くには、スタンドアローン方式を採用しているケースが多い。
「実は、クロガネさんが下見で訪れたこの部屋だけはリアルタイムではなく、録画で確認しました」
「スタンドアローンってことは、あのオートマタも?」
「はい、完全に自律しています。有線接続でもない限り、ハッキングできません」
展示室の隅で待機中のオートマタを見やった美優が、どこか悔しそうな表情を浮かべる。
「電子戦対策まで万全とは、恐れ入った」
その点に限って言えば、以前戦った戦闘用オートマタ〈アステリオス〉より優秀だ。
「この部屋は特注よ。かの獅子堂重工御用達のGOG……大手セキュリティ会社『ガーデン・オブ・ガーディアン』製の最新システムを採用しているわ」
感嘆するクロガネに、銀子はどこか得意気だ。
「……何故、貴女がドヤ顔するのです?」
「え? それはまぁ、アンタ達が知らないことを知っているなんて、気分良いし?」
美優の素朴な疑問に、ややどもりながら銀子は答える。
「これが噂の【宵闇の貴婦人】……その名の通り、星が
一方で、優利は特注のケースに収められていたブラックダイヤモンドを見て感動していた。
「ふふ、お気に召しましたかな?」
「はい」
「それはそれは」
優利の純粋な肯定に、館長も相好を崩した。
「やはり、価値ある美術品に触れて心を震わせる人達が居ると解るのは、嬉しいものですね」
感慨深い発言に、一同は館長を見た。
「……それが、貴方が美術館の館長を務める理由ですか?」
優利の問いに、館長は「ええ」と大きく頷いた。
「自慢ではありませんが、私は美大生の時に描いた絵画がコンクールで入賞したことがありましてね。まぁ、それ以降は結果も残せず芸術家の道を諦め、芸術や美術の魅力を人に伝える道を選びました」
館長は【宵闇の貴婦人】を見やる。
黒いダイヤを映すその目は、とても純粋で輝いていた。
「時代を越えて、国境を越えて、人が世に送り出した美術と芸術を一つでも多く、一人でも多く見て貰いたい。感動して貰いたい。その一心で天職に辿り着くことが出来ましたよ」
そう言って館長は苦笑する。
「いやはや、年甲斐もなく熱く語ってしまいましたね。お恥ずかしい」
「いえ、とても立派だと思います」
「ありがとうございます」
優利の賛辞に、館長は一礼すると。
「……怪盗も、でしょうか?」
誰に言うともなく、美優は素朴な疑問を口にする。
「怪盗も、美術と芸術に魅了されたから、感動したから盗むのでしょうか?」
「さぁ、どうでしょう? 感動できるものを独占したいと思う気持ちは、解らなくもないですが……」
館長が慎重に言葉を選んで答えると、「はん」と銀子が鼻で笑った。
「怪盗に芸術の良さなんて解るわけがないわ。連中は、作品に付加された金銭的価値にしか興味ないもの」
どこか小馬鹿にした発言だが、反論する者は誰も居なかった。
それから。
他に怪盗が侵入可能な箇所はないか、手分けして館内を隈なく探索し。
警備の見落としがないか清水と何度も相談し。
互いの通信状態の確認も行い。
各自トイレを済ませたりなどして。
万全な状態で怪盗を迎え討つ準備を整える。
清水を中心に特別展示室に通じる出入口の右側にクロガネ探偵事務所の二人、左側に白野探偵社の二人が就いた。
銀子はどこか落ち着きなく視線を彷徨わせているのに対し。
クロガネは腕を組み、壁に背中を預けて佇んでいた。
対照的な二人の探偵に、それぞれの助手が傍に控える。
「……そろそろ時間だ。総員、気ィ引き締めろよ」
清水の指示に、館内に居る全員が「了解」と応える。
幻影紳士が現れる予告時間は、十月三一日の午前二時。
現在、午前一時五六分。
あと、四分を切った。
「こちら清水、外の様子はどうか? …………了解。こちらも今のところ異常なし。引き続き警戒を続ける」
清水が外部との通信を終えると、それっきり静かになる。
緊張と警戒で、静まり返る館内。
ある者は、落ち着きなくあちこちに目を配る。
ある者は、静かに怪盗の出現を待ち構える。
息を潜めた沈黙と静寂の中を。
チク……タク……チク……タク……。
館内の端に設置された大きな古時計が、その振り子を揺らしていた。
その淡々と時を刻む音が、やけに大きく聞こえる。
時計の針が進む。
短針は文字盤の『Ⅱ』をとうに指し示し、長針は緩やかに『Ⅻ』へと向かう。
そしてついに、時計の針は午前二時を示した。
ボーン……!
大きなのっぽの古時計が、怪盗出現予定時刻を知らせる。
ボーン……ボーン……ボーン……!
館内に居る全員が一瞬だけ古時計を見やった後、最大レベルで一斉に警戒する。
「来るか……!」
誰もが怪盗の出現に身構え、周囲に視線を走らせる。
やがて、古時計の鐘の音は途絶えた。
瞬間。
――ボンッ!
「んなッ!?」
館内の随所に設置されている消火器が次々と破裂し、消火剤が勢いよく噴き出した。
――バツン!
続いて館内の照明が全て消失する。
「停電……ッ!?」
突然暗闇に包まれた館内に、動揺した銀子の声が響き渡る。
「……義眼をナイトヴィジョンモードに切り換え――ッ!」
この場で唯一のガイノイドである美優が、すぐさま視界を暗視モードに切り替えた――直後、再び館内の照明が点灯する。
僅かな光源を増幅する暗視機能では視界が真っ白に染まり、返って何も見えない。
「……視界を、通常モードに――ッ!」
暗視機能を切った直後、またも停電となる。
「これは……!」
――パンッ!
戸惑う美優の声を遮るかのように、今度はメインホール内で乾いた破裂音が響き渡る。
「銃声ッ!?」
「全員伏せろッ!」
清水の指示が飛ぶ中。
美優を庇うようにして姿勢を低くしたクロガネは、懐から拳銃を抜く。
「今の銃声の発生源はどこからだ?」
「……反響具合を計算して、高確率でキャットウォーク付近です」
「こちら黒沢、今の銃声はキャットウォークの方から聞こえた。近くに居る者は注意しろ」
すぐさまヘッドセット型の無線機で、館内に居る全員に伝える。
「こちら清水。現在館内で停電発生、銃声らしき破裂音も聞こえた。外では何かあったか?」
通信内容が怪盗に聞こえないよう、なるべく声を抑えて外の様子を確認する清水。暗闇の中、探偵一同は揃って聞き耳を立てる。
「……解った、ひとまず応援は寄越さなくて良い。全ての扉と窓は完全封鎖を維持。引き続き警戒を継続してくれ、頼んだ」
どうやら館外では異常はなかったらしい。
それは、外部からの侵入者は確認されていないことを意味する。
予告時間通りに起きた館内の異常は全て怪盗の仕業だとしたら、すでに怪盗は館内に侵入、あるいは潜伏していたのだろうか?
「お?」
再び、館内の照明が点いた。
全員が油断なく周囲を見回す。
新たに、異変らしきものは起きなかった。
「……一体何だったの?」と銀子。
「皆さん、【貴婦人】は!?」
一連の騒動が収まったのを見計らってか、応接室で待機していた館長とリチャード・アルバが険しい顔で駆け付ける。
「確認しましょう、探偵諸君も一緒に来てくれ。他は持ち場を離れず警戒態勢を維持!」
矢継ぎ早に指示を出した清水は、館長とリチャードに付き添って特別展示室に向かい、白と黒の探偵たちも後に続いた。
細長く狭い通路を抜け、ブラックダイヤモンドがある展示室に足を踏み入れた一同は愕然とする。
「そんな……!」
部屋の中央に鎮座するケース。
その中にあった筈の【宵闇の貴婦人】が、消失していたのだ。
***
一同が空になったケースを前に佇む中、クロガネは館長に訊ねた。
「この部屋、他に出入口はありますか?」
「い、いいえ。今、私達が通った通路しかありません。強いて言うなら、あそこの通気口ですが」
館長は天井近くに設置された通気口を指差す。
「蓋はネジ止めされてます。ネジを取り外したり、強引に開けた痕跡もありません」
美優の報告に「そうか」と頷く。
ちなみに停電中は監視カメラも機能しないらしく、犯人の姿を捉えているかどうかは怪しいところだ。
「となると、自前の電力で動くオートマタの映像記録を調べてみるのが一番手っ取り早いかな」
「なに悠長なことを言ってるの。犯人は怪盗で確定なんだから、逃走ルートを見付けて追い掛ける方が先でしょ」
「そのためにも、映像記録から侵入方法を見出したいのだけれど?」
「ぐっ」
クロガネの的確な反論に銀子は赤面し、苦々しくオートマタを見やる。
「ていうか、仮に私達の目を掻い潜ってこの部屋に忍び込んだとして、そのオートマタは何をしていたの?」
「ちょ、ちょっと待って!」
部屋の隅に待機していたオートマタに近付こうとする銀子の肩を、優利が慌てて掴み止めた。
「ちゃんと電源が入ってる。迂闊に近付いたら危険だよ」
「そ、それよっ」
迂闊だったことを誤魔化すかのように、頬を赤らめた銀子が優利の鼻っ面に人差し指を突き付けた。
「賊が侵入したのなら、この部屋にあるオートマタもトラップも作動する筈でしょう?」
「まさか館長、貴方が……」
リチャードが、館長に疑惑の目を向ける。
美術館の営業時間外の特別展示室は、館長がその場に存在しなければセキュリティは問題なく作動する仕組みになっている。
逆に言えば、オートマタやトラップを無視して【宵闇の貴婦人】を盗むことが出来る存在は、館長ただ一人だ。
「な、何を言うんですか!」
疑惑の視線に動揺しつつも、館長は強く否定する。
「私は貴方と応接室に居たではないですか! 護衛の方々も一緒でしたし!」
「む」リチャードが言葉に詰まる。
仮に館長の正体が怪盗だとして、予告時間当時、彼はリチャードと共に応接室に待機しており、警察官数名が護衛に就いていたのだ。
「アリバイが成立しているため、館長は怪盗ではありません。まずは冷静になりましょう」
何とか場の雰囲気を取り成そうとする清水。
「……口では何とでも言える。やはり警察はどの国でも頼りにならんな」
一方で大切な宝石を盗まれ、警備に対する失望を隠そうともしないリチャードが毒づく。
「はてさて、怪盗は一体どうやって宝石を盗んだのかね」
「クロガネさん」
思案するクロガネに、美優が真面目な顔で。
「今回の私達、いかにも探偵っぽくないですか?」
「………………ああ、うん、そうだな」
何とも言えない複雑な表情で同意する。
言われてみれば、これまでの事件はアクション映画のように体を張って解決することが多かったため、正当な探偵小説のように頭を使う今回の事件はどこか新鮮なものを感じる。
「ちなみに、ケースのトラップってどんなものなんですか?」
割とどうでも良いやりとりをしている機巧探偵ふたりを尻目に、優利が館長に訊ねた。
「ええと、ケースに触れると高圧電流が流れます」
「はい」
「次にシャッターが下りて退路を遮断した後、室内に催涙ガスが噴出されます」
「……はい」
「そして動けなくなった賊を、オートマタが拘束する流れですね」
「なるほど」
確実に賊を捕らえることに徹底した美術館側に、少しばかり恐怖を覚える。
「停電中なら、トラップは作動しなかったのではないでしょうか?」
「だとしても、無理にこじ開けられた痕跡はないわね」
美優の発言に、銀子がパーティションの外側から身を乗り出してケースを凝視する。
台座のある真下以外、どの角度からも中の展示物が見れるシンプルな直方体状のガラスケースだ。
ガラスといっても特注の強化ガラスのため、ライフル弾ですら貫通できず、特殊な弾頭か高周波ブレードでもない限りは破壊も切断も不可能な代物である。言うまでもなく、ガラスの表面には傷一つない。
「ちょっと開けて貰っても良いですか? 中に何か手掛かりがあるかも」
「解りました」
優利の提案に館長が応じてパーティションの中に入る。
そしてケースの台座の縁下に指を掛けると、
――ピピッ、カシャンッ。
軽い電子音と共に、金属音が響き渡る。
ケースのロックが解除されたようだ。
「指紋認証。そんな所に」と感心するクロガネ。
館長はポケットから取り出した手袋を着けると、ガラスケースに手を添えて持ち上げた。
「……え?」
「は?」
「なっ」
「んんっ?」
室内に居るほぼ全員が一斉に戸惑いと驚愕の声を漏らす。
何故ならば。
ガラスケースを取り除いた台座には。
盗まれた筈の黒いダイヤモンドが静かに鎮座しており、その存在感を際立たせる美しい輝きを放っていたのだから。
「どうして、【貴婦人】が……?」
安堵よりも戸惑いから、館長は思わず黒い宝石に手を伸ばした――
――瞬間。
横合いから伸びた手にその腕を掴まれ、捻り上げられて堪らず膝を着いた。
「ぐっ……何、を?」
動きを封じられた館長を始め、その場に居る全員が驚愕する中。
「ありがとうございます、館長。ボクのために鍵を開けてくれて」
悠々と『彼』は【宵闇の貴婦人】を手に取り、一同に向かって高らかに宣言する。
「お宝は、確かに頂きました」
藤原優利が、不敵な笑みを浮かべた。
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