3.ストーカーとドッペルゲンガー
「今日中に例の件を片付ける? 急にどうしたんですか?」
才羽学園高等部校舎の屋上で、優利は眉をひそめた。
PIDが展開するホロディスプレイに表示された銀子の顔は、真剣みを帯びている。
『どうもこうも、今朝の送迎中に松村さんの方から催促があったのよ。出来れば早めに解決して欲しいって。どこか、焦ってるというより、あれはもう恐慌状態だったわね』
例の件――ストーカー被害を受けていた松村彩子の護衛依頼のことだ。
昨日引き受けたばかりで、今日はまだ二日目だというのに。
「昨日の今日で一体何があったんです?」
『……また見たらしいのよ』
「見た? 何を?」
と言ってから、ハッとなる。
「まさか」
『そのまさかよ。彼女、また「同じ顔の女」を見たみたい』
「……ドッペルゲンガー」
銀子の話によれば、今朝方、松村が住むアパートまで車で迎えに行き、勤務先の証券会社に送り届ける道中のこと。
歩道を歩くドッペルゲンガーを、松村が目撃したという。
『もう半狂乱で大変だったわよ。とりあえず、仕事どころじゃなかったから、松村さんには会社を休んで貰ったわ』
「それじゃあ、彼女は今自宅ですか?」
『いいえ、東区の警察署よ。今は婦警さんが話を聞いているわ』
「流石ですね」
銀子を称賛する優利。
身の安全の確保は元より、松村が一度落ち着いて貰うためにも、警察署に駆け込んだのは良い判断だ。確実な安全地帯ならば本人も安心できる。
『……ドッペルゲンガーが松村さんの前に現れたのは、これで四回目。昨夜のストーカーのこともあって、彼女の精神状態はかなりヤバイと思う』
「それが解決を早める理由ですか」
『そうよ。この街では、精神的に追い詰める陰湿な輩が多いことくらい知ってるでしょ?』
「それはまぁ、そうですけど」
鋼和市は本土よりもAIやサイバー技術が発達している実験都市だ。
当然ながらセキュリティも高度なもので、街中の至る所に高精度の防犯カメラが設置されており、警備用のドローンも巡回しているため、実は表立っての犯罪行動は起きにくいとされている。
だがその一方で、AIに感知されない程の精神的嫌がらせなどが横行し、社会問題となっていた。
『あともう一つ。やっぱり、松村さんは経済的余裕がないみたいなの。それも早期解決を求める理由よ』
やけに殺風景だった部屋模様を思い出す。
「解りました。午後は早退して、ボクもそちらに合流します」
『……私が言うのもなんだけど、大丈夫なの?』
「ちゃんと出席日数は把握してますし、少しくらいなら大丈夫ですよ」
『頼もしいわね』
「それじゃあ、後でまた連絡しますので、これで失礼します」
銀子との通話を切り上げた直後、昼休み終了を告げるチャイムが鳴る。
同じ屋上でまばらに居た他の生徒たちも、教室に向かい始めた。
ぐ~、と優利の腹が鳴る。
昼休みに入るなり、クラスメイトで学級委員の沖田涼子からプリント運びを手伝わされ、その後の銀子からの電話で昼食を食い損ねたのだ。
「まぁ早退するし、後で食べれば良いか」
例え食事前だとしても、まだ授業が残っていたとしても構わない。
「とりあえず、職員室に行きますかね」
授業が始まる前に、早退することを担任に伝えなければならない。
きっと良い顔はしないだろうが、関係ない。
藤原優利にとって、白野銀子が何よりも最優先事項なのだから。
顔色が良いのに『体調不良による早退』で午後の授業をサボった優利は、足早に学園がある西区から東区の警察署に向かった。
警察署に到着すると、すぐにロビーにいた銀子と松村を見付ける。
「お疲れ様です」
「お疲れ、よく来てくれたわね。ありがとう」
銀子が微笑む。少し疲れた様子だった。
「こんにちは、松村さん」
「……こんにちは」
返答はあるも、松村の声が心なしか沈んでいる。顔色も少し悪い。
これでもだいぶ落ち着いた方なのだろう。
「それで、これからどうするのですか?」
今日中に解決するのであれば、ストーカー全員を捕えるのが一番手っ取り早いが。
「まずは松村さんを家まで護衛しましょう。その後、私達は近くに居るストーカーを見付け次第、捕まえると」
それは本気で言っているのか?
「効率が悪過ぎません? それだと今日中には片付きませんよ」
「む」
助手として苦言を出す。明らかに銀子は気分を害したようだが、流石にここははっきりと言うべきだ。
「昨日提出した凶器については、何か解りました?」
「ええ。指紋が検出されたから、凶器の持ち主はいま傷害未遂の容疑で事情聴取中よ。逮捕まではいかずとも、一時的に留置所行きになるんじゃないかしら?」
少なくとも、昨夜のストーカー一人の動きを封じたことになる。
加えて、今この警察署に居るのならば話が早い。
「ちょっと面会できませんかね? 松村さんも一緒に」
その一言に、「えっ」と松村は肩を震わせた。
「……何を考えているの?」と銀子は眉をひそめる。
すぐに批判をしない辺り、優利に考えがあると踏んでくれたようだ。
「会ってみれば解ると思いますが、恐らくそのストーカーは松村さんとは完全に無関係でしょう」
「……それは、どういうこと?」
銀子の問いに、優利はピースサインを見せる。
「ドッペルゲンガー……同じ顔の人間が二人いるのなら、ありえそうなことです」
もったいぶるかのように僅かに間を置いてから、優利は一つの仮説を立てる。
「ただの人違いだって話ですよ」
「すみません、清水刑事。お忙しいのに無理を言って」
恐縮する銀子に、
「なに、構わないさ。訊いた話じゃ、向こうも支離滅裂なことを口走っていて聴取もままならない感じらしい。これで捜査が進展すれば、
丸刈り頭の中年刑事――清水が快く応えた。
たまたま知り合いの刑事を見掛けた銀子は、彼に件のストーカーとの面会を取り次いだだけでなく、ダメ元で同行を要請したのだ。
まさか、すんなりOKされるとは思ってもみなかった。
(銀子さん銀子さん、清水さんって刑事ですよね? ストーカーを取り扱う部署とは関係ないのでは?)
先導する清水の後ろを付いて行きながら、優利は小声で銀子にそう訊ねた。
清水は鋼和市中央警察署の刑事課に所属している。
本来ならば、ストーカーやDVなどの案件は生活安全課の警官が対応する筈なのだが。
(ああ、それは)
「それは単に、白野さんとは顔見知りだからな」
聞こえていたらしい、銀子に代わって清水本人が答えた。
「違う部署とはいえ、同じ警察官が間に入った方が面会の手続きも楽だろ?」
至れり尽くせりである。
ちなみに清水が東区の警察署に居る理由は、自主的かつ定期的に各警察署に出向いて情報交換をしに来ているのだとか。
一匹狼らしいというより、フットワークが軽くて顔が広い。
昨今は高精度なAIを採用して警察もデジタル化しているが、足を使って地道に築き上げてきた人脈も重要だな……と感心したところで。
一同は面会室に到着する。
さほど広くはない室内の中央に、通声穴と呼ばれる穴の開いたアクリル板が仕切られ、その向こうには優利たちが入ってきたとは別のドアがある。留置所側と繋がっているのだろう。
天井の角には監視カメラが二台設置されてある。
やがて、アクリル板の向こう側にあるドアから、署員に連れられた男が現れた。
間違いない。昨夜対峙した、ストーカーの一人だ。
「ッ、お前ッ!」
ストーカー容疑の男は松村の姿を認めるなり、突然興奮した様子で突進してきた。
「ヒッ!」
突然の出来事に松村は身を竦め、今にもアクリル板の仕切りを破りそうな男をすぐに署員数名が取り押さえた。
怯える松村の肩を抱いて、銀子が「大丈夫ですから、落ち着いて」と優しく宥める。清水は彼女たちを庇うように前に出た。
消去法で男と面談をする役回りは優利だが、元よりそのつもりである。
優利はアクリル板の前に置かれたパイプ椅子に腰掛けた。
「あのー、すみません。ちょっとお話いいですか?」
「あぁッ!?」
両脇から署員に取り押さえられた男は顔を上げ、優利の顔を見る。
見覚えのある金髪童顔と高校の制服に、男は顔を引きつらせた。
「お前は……!」
「昨夜はどうも~。お怪我の具合は大丈夫ですか?」
他人事のように、包帯が巻かれた男の右手を見やる。
刃物を持った男の手首を、警棒で強かに打ち据えたのだ。
手応えからして、骨にヒビは入っただろう。
「……お陰様で」
怒りに燃える目で、男は皮肉を返す。
「それは何より。ところで、貴方は後ろに居る女性とはどんな関係で?」
親指で肩越しに松村を指し示すと、男は恨みがましく彼女を睨み付けた。
「……その女は結婚詐欺師だ。交際中は俺から金を搾るだけ搾り取って行方を眩ませた。俺以外にも、貢がせるだけ貢がせておいて、その女に逃げられた男は沢山いる」
「結婚詐欺、ですか」
どれ程の金額を騙し取られたかは知らないが、この男を含めた詐欺被害者たちは相当彼女を恨んでいたのだろう。報復として脅迫状を送り付け、凶行に走ってしまうくらいに。
しかし、松村彩子の暮らしぶりを見るに、金の気配は全然感じられなかったのが引っ掛かる。
「そうなのですか?」
振り返って本人に確認してみた。
「い、いえ、知りません。結婚詐欺なんて私、やってません……その
銀子の腕の中で、松村は何度も首を振る。
「あー、失礼。彼女……松村彩子さんは結婚詐欺などしていないし、貴方のことも知らないと言っています」
男に向き直って彼女の言葉を復唱する。
「とぼけるなよ、一体いくら俺から金を奪ったと……マツムラアヤコ?」
怒りに震えていた男は、突然ぽかんとした。
「……誰だ?」
その一言に、その場に居た全員が動きを止めた。
「……誰って、そこに居る彼女ですよ。貴方がストーキングしていた」
再び松村を指差す。
「そいつが? いや待ってくれ、その女は
男のその発言に、「やはり」と確信を得た優利が改めて訊ねる。
「……誰ですって?」
***
東区にある高級デパートのアクセサリーショップにて。
ショーケース越しに、海外の高級腕時計を興味深そうに眺める客を演じつつ、クロガネは不審に思われない程度に、やや離れた位置に居る女性を見やる。
年齢はクロガネと同年代の若い女性で、とにかく派手の一言に尽きる。ブランド物の服にバッグと、全身を高級品でコーディネートしたセレブだ。
お得意様なのか、女性はこの店のオーナーが揃えた様々な指輪を指に嵌めて物色している。
「はんッ、イマイチ……やっぱり安物はこんなものかしら?」
そして一々文句を言っては指輪を雑に外す度、
「……お客様のご期待に添えず、誠に申し訳ございません」
恐縮したオーナーが何度も頭を下げていた。
『一番安いものでも、六桁はありましたが……』
多機能眼鏡のフレームに仕込んだ無線機を介して、相棒の呆れた声が聞こえる。
(大金を得ると態度もデカくなる典型的な悪い金持ちだな、あれは)
声を出さずに骨伝導を利用して美優と話す。
二人の会話は周囲に聞こえていない。
(それで、どうだ?)
『ちょっとイマイチです。もう少しだけ、彼女の顔を正面から映せませんか?』
(了解、少し待て)
店内の商品を眺めながら自然な足取りで近付き、やがて女性を正面から捉える。
『……照合完了。瞳の虹彩や耳の形状、顔の骨格から九八%の確率で
(了解。写真は?)
他の指輪を物色中の女性――青葉の横を素通りし、店を出る。
『良いのが撮れました。データをPIDに転送します』
懐から着信音が聞こえた。
その場から離れてトイレに向かう。個室に入って施錠し、PIDを取り出してホロディスプレイを展開。
指輪を嵌めた手を掲げる青葉信子の隠し撮り写真があった。
一目で彼女だと解るくらい、綺麗に撮れている。
カモフラージュとしてトイレの水を流し、個室を出て洗面台の方へ。
手を洗いつつ、正面の壁一面に貼られた鏡に映る自分の顔を見る。
眼鏡に仕込んだ超小型カメラ――クロガネの視界と同期している彼女の眼にも、鏡に映る彼の姿が見えていることだろう。クロガネ側からは、美優の顔は見えないが。
(ありがとう、よくやった)
離れた場所に居る美優に労いの言葉を掛ける。
『お褒めに預かり嬉しいです』
(この時間はまだ授業中だろ? なのに、突然仕事を持ち掛けて悪かったな)
『問題ありません。通信だけなら授業と並行して行えます。今なんてリアルタイムで英語の長文を音読してますし』
(器用だな)
人間では絶対に真似できない芸当である。
トイレから出るや、他の買い物客に紛れて歩く。
(美優はこのまま青葉信子をマーク。同じ顔の松村彩子も同様にな。何かあれば知らせろ)
『解りました。……ところで、松村彩子はいま東警察署の面会室に居ますね。すぐ近くに清水さんと白野銀子、助手である藤原優利くんが居ます』
思わず足を止める。
(それは本当か?)
『はい。現在リアルタイムで面会室に設置された監視カメラと同期していますから』
(どんな状況なんだ?)
『昨夜、松村彩子をストーキングしていた容疑で拘留中の男に対し、当事者全員でストーカーの動機などを質問しています。何故か管轄外である筈の清水さんが仲介に入ってますね』
この件に
クロガネは内心ほくそ笑む。
(上手く行けば、今日中にこの件は片付くぞ)
再び歩を進める。
『青葉信子の所在を突き止めた時点で、人捜しの依頼はほぼ達成ですしね』
(……ところで、白野銀子の助手――藤原くん、だったけ? 美優とは同じ学校の同級生なのか?)
『クラスメイトです。学園祭が終わった三日後に、本土にある他校から転校してきました』
(ふーん、転校生か……)
藤原優利。
白野探偵社の社長、白野銀子の助手にして美優のクラスに現れた転校生。
『どうしました?』
急に黙り込んだクロガネに、美優が訊ねてくる。
(……いや、何でもないよ。転校して来たばかりで、まだ色々と不慣れだろう。困っていたら、良くしてやってくれ)
『解りました。それとなく、白野探偵社についても探りを入れてみます』
(それはしなくていい)
美優も
むしろ美優ならば、会話よりもハッキングで調べた方が一番手っ取り早いし確実だろうが。
「さて、大人しく待っていたかな」
美優との通信を切り上げたクロガネは、デパートにテナントを出している雑貨店へ足を運ぶ。
目的はナディアの回収だ。
一人で事務所に残るのは嫌だと言った彼女を、仕事の邪魔をしないことを条件に同伴させたのだ。
そして連れて来るなり、「仕事の間は暇だから、ここで待ってル」とたまたま目に付いた雑貨店で時間を潰して貰っていた。
長い日本生活で言葉は通じるし、PIDには翻訳アプリもある。
鋼和市にはナディアの他にも在住している外国人はたくさん居る。
謹慎中の身だから銃も持ってないし、彼女も不用意に目立つ真似はしないだろう。
とはいえ。
「……大丈夫だよな?」
一抹の不安を抱きながら店内を見回すと、目的の褐色少女はすぐに見付かった。
「あっ。おかえり、クロ」
「……何してんだ、お前は?」
そこには。
裏地が赤い黒マントを羽織り、
どれも安っぽい生地と玩具のような造りをしている。
「何って、試着してタ。もうすぐハロウィンだシ」
言われてみれば、ジャック・オ・ランタンの小物にキャンドル、各種パーティーグッズ、様々なお菓子が並ぶコーナーと、雑貨店はハロウィン一色に染まっていた。
そして、ナディアが今居る場所はコスプレコーナーだ。
彼女が身に着けているマントやシルクハットには、『見本』と手書きで書かれたラベルが貼ってある。
「その恰好、吸血鬼か?」
「いや、怪盗だってサ。最近の流行に便乗してるみたイ」
「……ああ、幻影紳士か」
最近巷を騒がせている怪盗〈幻影紳士〉。
そして、その怪盗が予告した次の犯行日は十月三一日――ハロウィン当日である。
「少なくとも、そんな古臭い恰好はしていない筈だがな。解りやすいけど」
マントにモノクルにシルクハット。
怪盗の定番とも言えるそのコスチュームは、アルセーヌ・ルパンのイメージが元になっている。だが現実的に考えてヒラヒラした衣装は動きづらいし、目立ち過ぎるし、実用性はないだろう。
「きっと、吸血鬼の衣装に少しだけアレンジを加えたものだろうな」
大量に余った吸血鬼コスの在庫も、この怪盗ブームに便乗して売り出そう! といった感じだろうか?
商魂たくましい店側の気概が透けて見える。
「でも、おしゃれダロ?」
バサッ、とマントを翻すナディアの顔はニマニマしている。
「……気に入ったのか?」
「まぁ、それなり二」
怪盗コスチュームを一式購入した。
お値段は五千円と、割と高かった。
「……大事に着てくれよ」
「モチロン、金額分はナ」
***
ストーカーと面会し、彼から情報を引き出した銀子と優利、そして松村は揃って東警察署を出る。時刻は午後三時を過ぎたところだ。
「とりあえず、松村さんと似た女性は同じ人間だったわね」
どこか安心した様子の銀子に、優利も頷く。
「ええ、結婚詐欺師の菊池峰子。とはいえ、それが本名かどうかは怪しいですけど」
標的にされた男性と捜査の目を眩ますため、偽名はいくつも持ち合わせているのだろう。
そして偶然か必然か、菊池峰子の顔と瓜二つの松村彩子が詐欺被害に遭った男達から命を狙われる危機的状況とあっては、もはや警察も黙ってはいない。過去の類似事件を元に、菊池峰子の捜索に本腰を入れ始めた。
警察用の検索AIを使えば、市内各地にある防犯カメラやPIDをはじめとした本人確認証明の顔写真などから『
「とにかく」
銀子が松村を見て笑顔を見せる。
「ようやく警察も動いてくれましたから、もう大丈夫ですよ」
「あ、ありがとうございます」
松村彩子の顔色も、先程より良く見えた――のも束の間。
彼女は目を見開き、表情を強張らせる。
それを見た銀子と優利は反射的に。同時に。松村の視線の先――自分たちの背後を振り返った。
車道を挟んで向こう側の歩道。
夏でもないのに、一際目を引く真っ赤な日傘を差した女性がひとり、佇んでいた。
女性のその顔は、二人の探偵のすぐ傍に居る依頼人と全く同じもので。
意味深な笑みを見せると身を翻し、歩き去ろうとする。
真っ赤な日傘が、遠ざかっていく。
「ッ、銀子さんッ!」
いち早く我に返った優利の声に、銀子はハッとなる。
「追い掛けようッ。松村さんも良いですね?」
「えっ、あっ、は、はいっ」
反射的に頷く松村。
そこに清水が現れる。
「ああ、白野さん。ついさっき、菊池峰子の検索結果が出たんだが」
「丁度良かった! その菊池峰子と思しき女性があそこに居るわ!」
「は? どこに?」
銀子が指差した方向。
小さくなっていく赤い日傘を清水が見やるも、何故か彼は首を傾げた。
「詐欺事件の容疑者、もしくは最重要参考人よ! 先に行くから、早く車まわして!」
「ちょ、待て――」
制止の声を待たず、銀子、優利、松村は走り出す。
「……ああもうッ! 最近こんな役回りばっかだな……!」
残された清水は苛立たしげ気に丸刈り頭をガシガシ掻くと、駐車場へ走った。
季節外れの赤い日傘は、とにかく目立つ。
おかげで発見から追跡に至るまで時間と距離があったものの、見失わずに済んだ。
予期せぬ信号待ちで足止めされるも、三人の視界は赤い日傘を捉えている。
「松村さん、大丈夫ですか?」
息を整える松村を優利が気遣う。
「は、はい、これでも元陸上部ですから」
気丈に笑顔を見せる松村。彼女が
信号が青になる。
横断歩道を渡り、角を曲がり、付かず離れず赤い日傘を尾行する三人。
その間、優利はPIDを操作し、車で移動する清水をナビゲートしていた。
追い掛けて。追い掛ける。
やがて、赤い日傘は建設中の工事現場の中に消えた。
「ここは……」
流石は経済区でもある東区、防音壁に貼られた看板には『新たなオフィスビルを建設中です』とあった。
『安全第一・関係者以外立入禁止』と書かれた金網フェンスの隙間から、工事現場を覗き見る。
時刻はもう夕方、晩秋だけに日が短い。
暗くなる前に仕事を終えて帰宅したのか、作業員の姿は見えなかった。
赤い日傘が、さらに奥へ奥へと進んでいく。
「行くわ」
「待って、罠かもしれない」
勇ましく、開けられたままのフェンスをくぐろうとした銀子を、優利は咄嗟に止める。
「今更言うのもなんだけど、彼女は意図的にボクらをここへ誘導した感じがする。深追いは危険だ」
「でも、すぐそこに容疑者が居るのに、このまま見逃すわけがないでしょっ」
慎重な助手に、強く反論する銀子。
(やはり……)
彼女の言動には、どこか焦りが見え隠れしているのを優利は感じ取った。
先日の出来事が、脳裏にフラッシュバックする。
『……前々から言っているでしょう。私は、この街で……いや、この国で最も優れた探偵であることを示したいのっ』
『私が有能であることを示さないと……私は……』
「銀子さん」
公私混同はするな。目的を履き違えるな。
今、現場には自分たちが守るべき依頼人も居るのだ。
目先の手柄に目が眩み、松村の安全を疎かにするわけにはいかない。危険に晒すわけにはいかない。万一の事があってはならない。
助手としてそう意見すべきだ。
正論を語り、逸る彼女に現実を直視させるべきだ。
理性が、そう訴える。
だが。それでも。
「……この工事現場は、出入口がこの一箇所しかありません」
PIDでマップを開き、優利はそう言った。
「なので、目標は今ボクらが居る場所以外から外に出られない筈です」
清水のPIDに、現在地と簡単な状況を送信する。
「追い掛けるならせめて、清水刑事と合流してからにしましょう。ボクらだけならともかく、松村さんも居るのですから」
淡々とした優利の言葉に。妥協した折衷案に。
うん、と銀子は冷静さを取り戻して頷く。
「……解った、それでいきましょう。……ユーリ」
「はい」
「……ごめんなさい」
銀子はそっぽを向いて、素っ気なく詫びた。
「少しばかり、気が急いてしまったわ」
「問題ありません。今まで通りボクがフォローします。助手なので」
「……ありがとう」
耳を赤くした銀子の背中を、優しい眼差しで見つめる優利。
そんな二人を見守っていた松村は、
(どうしよう、ちょっと帰りたくなってきた……)
自身がお邪魔虫であることを悟った。
それから間もなく清水が合流し、四人揃って工事現場――建設中のビルの内側へと足を踏み入れる。
さながらジャングルジムのようにそびえ立つ、組まれた鉄骨とそれに纏わりつく足場。金属製の骨組みの隙間から差し込む黄昏の灯りが、四人の影を伸ばし、鉄骨たちの影と交錯して地面に闇を落とす。陽が沈めば、周囲の全てが真の暗闇に染まるだろう。
「あれは……?」
銀子が、とある一点に向けて指を差す。歩を進め、それに近付く。
暗い地面の上で、一際目立つ赤い花――あの日傘が開いた状態で置いてあった。
周囲を見回すも、持ち主の姿はどこにも居ない。
「彼女はどこに」
行ったの?
銀子がそう言おうとして口を閉ざす。
近付いてくる複数の足音に気付き、全員が来た道を振り返る。
銀子たちと同じ道を辿り、四人の男性が現れた。
「何だ、あの人達……」優利が呟く。
彼らも銀子たちの姿を認めるや、意外そうな表情を作った。
「あれ? 先客が居るな。アンタらもその詐欺師に用があって来たのか?」
男達の一人が、松村彩子を指差してそう言った。
「用? 何のことだ?」
警戒する清水は、銀子と松村を庇うように前へ出た。優利も彼に続く。
「詐欺師と解っている女にすることなんて、決まってんだろ?」
男達が懐から、ポケットから、これ見よがしに刃物を取り出した。
「報復だ」
息を呑む松村を銀子が「大丈夫」と抱きしめる。
「いきなり実力行使はマズいかと。詐欺師に対する報復なら、まずは警察と弁護士に相談が筋なのでは?」
優利は冷静に説得を試みつつ、ポケットから取り出した手袋を嵌める。
「あんたら、その女の仲間か何かか?」
敵意と怒気を剝き出しにし、男達は喧嘩腰で睨んでくる。
松村彩子のドッペルゲンガー……菊池峰子に貢がされた被害者たちの恨みは、かなり根深いようだ。
「いや、俺は警察。そしてそこの嬢ちゃんと学生は探偵だ」
清水が警察バッジを見せる。だが。
「警察ぅ? どうせ偽物だろ。詐欺師と一緒に居るお前も、やっぱりお仲間だろ?」
詐欺師に騙されただけあって疑心暗鬼だ。清水は冷静に説得を試みる。
「いや、本物だが。俺は中央署刑事課の刑事で、階級は」
「うるせぇッ! もう騙されねぇぞッ! このペテンがッ!」
「そっちから訊いといて話を聞かないのは、流石にひどくないか!?」
清水がもっともな指摘をするも、殺気立つ彼らの耳にはどんな言葉も届かない。
どうやら、説得は不可能。
ならば、実力で黙らせる他ない。
静かに覚悟を決めた優利が、腰裏の特殊警棒に手を伸ばす。
ジャキン!
清水が先んじて警棒を抜いた。
「とりあえずお前ら、銃刀法違反の現行犯だからな。怪我しても文句は言うなよ」
相手が敵意と刃を向けてくる以上、警察官として
優利も警棒を抜いて構える。
互いの殺気が加速度的に膨れ上がり。
刃物を持った男達と激突する――寸前。
――チャリチャリンッ!
場違いなベルの音と共に。
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