第43話 いつかまた
弱々しく歩いて町の近くの河原に来ては琵琶女はただ立っていた。
腹にある玉は、蠢く気配も無くまるで無くなってしまったのかとも思う。
琵琶女はどうしようかと考えた。
どうするも何も、地獄に落ちるしか無い。
突然、煩い蝉の様な音が聞こえて来た。
音の方に目を向ければ、いつもの餓鬼がいる。
「またお前か、ご苦労なことだな、しかし我はもう行く、お前もどこかへ行け」
そう言って手で払った。
餓鬼は止まって、こちらを見ている。
…ぽと。
雨が降って来た。
腹の中の玉が、いつもと違った風に蠢く。生まれようとしているのでは無く、出て来ようとしているのがわかった。
「うっ…」
思わず漏らした声に、餓鬼が寄ってくる。
近寄って来て、腹を支えた。
琵琶女が腹を抑えて前屈みになったものだから、倒れない様に支えたのだ。
これでは、突き破ってくる玉が餓鬼を貫通してしまうでは無いか。
琵琶女は、上手く動かなくなった腕で餓鬼を突き飛ばした。餓鬼は驚いた顔をして尻もちをついた。
その顔が、琵琶女の記憶を呼び起こす。
『なぁ、これはお前が食べろ』
優しく向けたのは、大事な可愛い幼な子だ。
幼な子は母の手から直接口に運んでにこりとした。
ほんの一口しか無くて、もっと食べたかっただろうに文句も言わずにいて、
こんな親で申し訳なかったと心で何度も謝って、
それでも幼な子と居るのは幸せだった。
だからあの時、男に殴られていた時も、
なんとか幼な子に当たらない様、隠した。
最後の最後は隠しきれなくて、突き飛ばし逃がしたその時の幼な子も、
今の餓鬼の様に驚いた顔をしていた。
母に突き飛ばされて痛かったじゃろな?
ぼんっ。
「う…」
玉が、腹から勢いよく飛び出して行く。
玉は我を物の怪にした者の元に戻っていくのだろう。
我の腹は見事に破けて、
物の怪としての力も無くして、
もう倒れるしかないー。
ぽつん、ぽつん。
雨が顔にも打ちつけて、閉じた目を開ける。
雨が線状に見えて落ちてくる。
顔から地に落ちたと思ったが、天を見ているのは何故じゃろな。
「…ぁぁ…」
声にもならない音を、琵琶女の腹を押さえ続けている餓鬼が漏らす。
「…なんじゃぁ、まだおったのか、…」
何故かこの餓鬼は我についてくる。
物の怪になった時にはすでに横にいて、まとわりついて来た。
餓鬼は必死に腹を押さえている。
もう物の怪でも無い我の腹。
突き破れた腹でどうやったとしても生きる術は無い、それが餓鬼にはわからぬのだ。
餓鬼は痩せこけ、腹だけ無駄に丸く突き出て、醜い。
頭にはどこかに打ちつけた様な傷があって痛々しい。
「我の子にも、あったなあ…」
幼な子にも、ある時に頭に傷が出来て、残って、
そこからは髪が生えてこなくなった。
「…ぁ…」
餓鬼が音を漏らす。
言いたい事も言えぬ、憐れな存在じゃ。
餓鬼の頭の傷を見ていると、物の怪になった時の記憶が蘇って来る。
ここと同じ様な川辺に捨てられ、命尽きようとしていた。
幼な子は泣いてしがみついて、憐れじゃった。
こんな幼な子が、一人生きてなどいけない。
我は幼な子を呼んで、一緒に来るか、と問うた。
幼な子は当然の様に頷いて、もっと強くしがみついた。
だから我も幼な子を抱いて、川辺に水が増してくるのを感じて命尽きるのを待っておった。
…そうだな、あの時も雨じゃった。
あの玉を持った奴が現れて、物の怪になった時も、幼な子は離れなかった。
「ああ、お前、我の子か…」
そんな大事な事も忘れてしまい、物の怪になってしまったのだ。
「そうか、お前も、一緒に来るか…?」
餓鬼は腹を押さえたまま、離れない。
「…そうか…」
琵琶女は力を振り絞って、餓鬼を突き放した。
餓鬼はまた驚いた顔をしている。
可愛い我の子。
「お前は今生を生きてしまえば、きっと次はましな生じゃ…我に…ついて…来る事などない…」
あの男に復讐してやろうと、物の怪になった。
人間が愚かしいなど、いつから思い始めた?
どうしてこんな事になったのか、いや物の怪になった時から間違っていたのだー。
「諦めずに…」
ぽつん、ぽつん、ぽつん。
餓鬼の声も聞こえなくなって、雨のあたる感触も消えて、そしてー。
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