第35話 見当違い
町の近くにある川は、太い。
人間はそこを渡ろうと試みるのだが、真ん中辺りで流される。
太い本流は諦めて、支流を渡ろうとするだが、これもあと少しというところで渡りきれない。
大昔、鬼達の遊び場だった為に川が凹んでしまった、という言い伝えもあるくらいで、人間がどうにか出来るような所では無かった。
そこに、鬼の鬼丸がやって来る。
遊びたい年頃という訳ではなく、人間の男に頼まれ川底の凹みを埋めるべくやって来たのだ。
川辺に人間がいたので、鬼丸はしばらく草むらに隠れて見ていた。
人間は釣りをしている。
人間は鬼の様に素手で捕まえる事は出来ないが、ああやって道具を使って器用に魚を取る。
手の届かない、川の深い所にある魚を釣っているのかも知れない。
そこで鬼丸は思う。
もし川を埋めてしまったら、あの人間はここで釣りが出来なくなってしまうのでないか?
「…」
人間は魚を釣り上げた様だ。
顔は少しほころんでいる様に見える。
あの魚は今日食うんだろうか?
そんな事を思いながら少し視線をずらすと、見慣れた人間を見つけた。
旦那どのが川辺に来て見回しているではないか。先日いた取り巻きはいない様だ。
「旦那どのぉ!」
姿を現さずに声を上げ、草むらを揺らす。
「こんな所におりましたか、さてさて」
旦那どのは草むらから出る様に草を分ける。
「旦那どの、人間がおる」
旦那どのが分けた草を元に戻す。
「いえいえ、良いんですよ。実は川を埋めて頂けると言う事で、そこの町のもんが鬼丸殿に感謝したいと言い出しましてな。ちょいと来てくださいませんかねえ」
鬼丸は耳を疑った。
呆気に取られている鬼丸をよそに旦那どのは続ける。
「先日の山崩しの話もしたもんで、そりゃありがたい鬼様がいると騒ぎになりましてな」
信じられない話だ。
見るだけで逃げ惑う人間達が、会いたいと?
しかしもしかすると旦那どのが話をして、人間達はとうとう自分の事を認めてくれたのかも知れない。
「人間になれるかぁ?」
「もう少しでなれるかも知れませんな!」
人間の為になる事をしていれば人間になれる。とうとうその時がやって来たのだ!
「やりましたなぁ、さぁこっちへ」
草むらから出て、旦那どのについて行く。
魚釣りをしていた男が不意に振り向き、目があった。すると魚釣りの男はとたんに腰を抜かしてしまったようだった。
「人間達は鬼を見る事に慣れておりませんから、驚くでしょうが、まぁまぁ気になさらずに」
魚釣りの男を見てなのか、旦那どのは言った。
「それでですね、実は…」
旦那どのは足を止めて鬼丸の目を真っ直ぐ見つめてきた。
何か言おうとしているので鬼丸も足を止めて聞こうとしたが、「いやいや、やはり何にも」と言って足を進める。
だがしばらくするとまた、「鬼丸殿…」と言って足を止める。
「なんだぁ、どうしたぁ?」
「…いえいえ、何でも…」
何もないと言うなら聞く事も出来ない。しかし旦那どのは足を止めたままだ。
「鬼丸殿、鬼丸殿にこんな事をお願いするのも不躾だとは思うんですがね、実は…お願いがありまして…」
旦那どのは言いにくそうに話をはじめる。
「何だぁ、言いたい事があるなら言ってみろぉ」
「さすが鬼丸殿、実はですね…」
周りに誰も居ないのに、旦那どのは気にして見回している。
「あの町には物の怪が住み着いているんですよ…」
「物の怪?」
鬼丸が聞き返すと、今まで口籠っていたのが嘘の様にすらすら喋りはじめた。
「ええ、見た目は可愛らしい人間そのものなんですがね、琵琶を弾いては人間達を支配しておるのです…。町の人間達はどうする事も出来ずに、言う事を聞くしかない毎日…」
「支配って、なんか悪さすんのかぁ?」
旦那どのは鬼丸がまだ喋っている最中から、目を見開いて物言いだけに口を構えている。
「そりゃぁもう悪さ悪さ悪さですよぅ!人間達を操って争わせて!しまいにゃあの世に送っちまうんだからひどいもんだ!」
それは悔しそうな声で旦那どのは嘆き怒っている。
「こ、殺しちまうのか!?」
「ええ、ええ、もう毎日毎日…」
今度は突然悲しみはじめた。鬼丸はつられて涙が出そうになるのを堪える。
「そこで!!」
また急に顔を変えて突然、声を張り上げた旦那どの。その小さな手で鬼丸の手を握って来た。
「鬼丸殿に、あの物の怪を退治して欲しいのです!」
「退治ぃ?」
「そうです!琵琶を聞いてしまえば鬼丸殿も支配されてしまいますからな、出会った瞬間に一思いに潰して欲しいのです!」
物の怪とはいえ、生きている者を潰すなどは出来ない。しかし、旦那どのは構わず喋ってくる。
「ああ、鬼丸殿が町に行く事は、川を埋めに来て頂いたという事で、向こうも承知しておりますので、安心してくださいな」
さあ行きましょうと言わんばかり。
「それじゃぁ騙し討ちじゃねえかぁ」
鬼丸が素直に受けてくれると思っていたのか、旦那どのは返事に驚いた顔をしている。
「今日も誰かがあの世に送られているんですぞ!」
その言葉に、鬼丸は悩んだ。
「しかしなぁ、潰すなんて酷いことは…」
旦那どのは待ってましたとばかりに、懐から大きな、べっこうの数珠を取り出した。
「鬼丸殿は優しいですからな、そんな事もあろうかと用意したんですよぉ、これを。これをあの物の怪の首に掛けさえすれば、この数珠の玉の中に封じる事ができるそうなんです」
べっこうの玉にそんな力があるとは知らなかったが、旦那どのがいうのならそうなんだろう。
しかし不思議な事に気づく。
「そんなら旦那どのがやったらいいんじゃねぇかぁ」
意外な言葉に、旦那どのは言葉を無くした様だ。
少し間をおいて、慌てて捲し立てて来る。
「お、鬼丸殿は何をおっしゃる!あんな恐ろしい物の怪を前にしただけで、私らは体が震えて上手く動かないんですよ!」
鬼丸はまた不思議に思う。
鬼丸だって物の怪は怖い。
「俺も物の怪は怖いぞ」
旦那どのはまた驚いた顔をする。
「またまた、そんな事を。鬼丸殿の強さを持ってすればあんな物の怪など一捻り!」
「俺は気がのらん」
後ろを向いた。
「お、鬼丸殿!」
旦那どのは慌てて前に回り込んで来て、また手を握ってくる。
「鬼丸殿が最後の綱なんですよ!このままでは町の人間が皆あの世行き!こんな小せえ童も皆んな!」
身振り手振りで童くらいの大きさをなぞっている。
「…。じゃぁ、そんなんやめるように話をしてみたらどうだぁ」
「は、話ぃ!?」
驚いた旦那どのは勢いよく返事した。
「お、鬼丸殿…あれは物の怪、話を聞く耳など持ってませんよぅ」
「いや旦那どの、何でそんなんするか聞いてみたらいい。もしかするとなんか理由があるかもしんねぇだろぉ。そんで、もしかしたら止めてくれるかもしれねぇ」
「鬼丸殿!馬鹿な事はよして下さいよ!」
焦っているのか呼吸が荒い。
鬼丸は町に向かって歩き出す。
「鬼丸殿!鬼丸殿!鬼丸殿!」
旦那殿は鬼丸を止めようとするも、止まる気が無いものだから、勝手に引きずられている。
「鬼丸殿!止まって!止まって!」
どんなに止められても、鬼丸は止まらなかった。
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