サグリ屋

平鍋 鐶

彼岸ひがん此岸しがんは表裏一体である。 

 あの世、黄泉、向こう側、Gehenna、Heaven、Hell、冥界。

 時や場所が変われば呼ばれ方も変わる。

 しかし、ソレは確かに存在しているのだ。

 人の世とソレは、ぴったりと一体化している。

 大抵は。

 それこそが正しい形である。二つの世界の境界面が滑らかである限り問題は起きない。では、そうでない場合は?

 要因は人の世に由来するのか、それとも向こう側に由来するのか。

 時として二つの世界の調和は、簡単に崩れ去る。

 二つの世界の間には、断層が複数存在している。その断層を通れば、二つの世界の存在が互いに行き来することは容易だ。

 例えば、黄昏時に出会う影の、五つに一つは、ヒトならざる存在だったりする。

 例えば、突然現れた森に飲み込まれ、出られなくなることがある。

 例えば、墓場を彷徨くうろつく影。例えば川の中からこちらを見つめる視線。

 例えば、歩けども歩けども、新たな部屋や廊下にいきあたり続ける屋敷。

 霧の晴れない広大すぎる平原。


 人々は、そんな隣人と共存してきた。古来よりあり続ける断層は、それこそが二つの世界における「アタリマエ」として存在し続けている。

 

 「アタリマエ」の断層が存在するならば、当然「アタリマエ」ではない断層も存在する。

 時に意識的に、時に無意識的に、二つ世界の境界面には、圧力がかけられることがある。その圧力が臨界に達した時、そこには新たな断層が生まれる。

 そして、新しく生まれた断層は、非常に巨大化しやすい。巨大化した断層は、厄介な問題をもたらす。言うなれば、活断層である。巨大化した断層から紛れ込む存在の中には良からぬモノが多い。

 しかし、それもまたムコウとコチラで共存してきた長い歴史の一つに過ぎない。所詮、気を付けていれば、容易に回避できる問題である。

 改めて申し上げよう。彼岸と此岸は、表裏一体であり二つの世界が共にあることこそが平穏をもたらす。

 ならば問おう。

 彼岸から完全に切り離されたヒトの生活に、平穏はあるのだろうか?



 

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