第3話 天使の羽の生えた悪魔
脱ぎ散らかした衣服の片付けは、家庭教師の仕事に入りますか?
仕立ての良い乗馬服は、無残に絨毯の上に投げ捨てられていた。鹿革の乗馬ズボンは、脱いだままの恰好で床から生えている。ブーツは片方ずつてんでばらばら。
(なんでこんなことになるのかしら……! 王族はしつけというものをされないの?)
王子の私室は、凄まじく迫力がある。
天井が高く、窓の上部にはステンドグラスがはめこまれている。艶やかに輝く木材の壁には蔓草の彫刻が細かく施され、一面にはずらりと書架が並んでいた。さらには、天蓋付きの瀟洒なベッド、マホガニーの重厚な机、
シルクのシャツはくしゃくしゃで、クラバットは床に落ちたクッションの下敷きになっていた。
「あー、もう、だらしないっ! うちのコニーだって三歳になる頃にはこんなんじゃなかったわよ!」
まるで嵐が通り過ぎたみたいな部屋。
(毎日従僕が片づけているはずなのに、短時間にここまでできるなんて、嵐の中でも最低最悪のハリケーンとしか思えない。ハリケーン王子!)
不満はあれど、少しでも片付けようと、散らばった衣類を拾い集めていたのだけれど。
明らかに、使用済みの紳士下着を手にした瞬間、何かがぶつっときた。
「アルバートさま! どこに隠れてらっしゃるのか存じ上げませんが、ご自分で片づけてください!」
ガタン。
書架の前に、高い踏み台が置いてあって、音はそのてっぺんから。
おそるおそる見上げると、天井近い位置の本に手を伸ばしていたアルバート様がいた。
黙っていれば神話の美少年のような美貌に、にい、と意地悪な笑みを浮かべて見下ろしてきている。
「あ~あ。うるさいなぁ。びーっくりして、落ちるところだった」
踏み台の一番上に座り込んでいたアルバート様は、何を思ったのか、大きく体を傾けてみせた。
ガッタン。
踏み台の下の方が、ふらりと持ち上がる。アルバート様が反対に体を傾けると、ゆっくりと床につく。
ガタン。
つまりその音は、アルバート様がほとんど宙に体を投げ出したタイミングで鳴っていて……
あまりのサーカスめいた曲芸に、ひっと息をのんだまま全身が凍り付いた。
「あ、あ、あ、アルバートさま……!!」
「片付けろってことは、下りてきてほしいってこと?」
だらりん、と気だるげに首を傾げて尋ねられて、私は総毛だったまま両手を揉み絞った。
「落ち着いてください。落ち着いてくださいね。経験あります、いえ、言わなくてもわかっています。そうやって高所に上ったあげくに、下りられないでみーみー鳴いている猫、今まで何度か遭遇しています。大丈夫です、いま私がそこに行きますから!」
余裕があるふりしているけど、アルバート様は、下りられないに違いない。
誰かを呼びに行っている間に、落ちてしまうかも!
(その場合、アルバート様は木から落ちた林檎よりも激しく頭が割れ、全身の骨が残らず折れて……死)
私は一度目を瞑って、深呼吸した。
雇い主に、今死なれるわけにはいかない。ここできちんと勤め上げて、実家に仕送りしなければ、妹も弟も教育を受けられないし就職に影響も出てしまう……!!
「いざ、お助けに! アルバート様!!」
目を開けて、勇ましく叫ぶ。
トン。
上段から素早く下りてきていたらしいアルバート様は、床まで数段のところから軽やかに飛び降りてきて、私の目の前に立った。
天使の羽がその背に見えた気がするほどの、鮮やかさ。
性格の悪さを知っている私でさえ、一瞬見惚れてしまったというのに。
口の端を吊り上げて、にいっとわらった王子様はそれはそれは嫌味っぽく一声鳴いたのだ。
「みー」
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