神薬デュランダル
梅田志手
第一部:夕焼け
第1話 性質の悪い風邪
午後12時35分。いよいよ症状が悪化してきた。
しつこい
もううんざりだ。あまりにも辛い。自宅のリビングでまんじりともせず、母が帰宅するのを待っている。TVの音で頭痛がするので、つけずに静かに待っている。
待っているのはそう、風邪薬だ。
両親は製薬会社に勤めている。この街の中心に位置する大きな会社「日本楼蘭製薬工業」に勤めていて、新薬の研究、開発に携わっている。
私の名前は
市販の薬では一向に治りそうにない、性質の悪い風邪をひいてしまって3日目。最終手段として両親に頼み込んで、自社製品の風邪薬を処方してもらい、それをじっと待っていた。
「ただいまー」
玄関から母の声がする。きた、やっと来た。リビングに入る母は私に自社製品を手渡す。手渡された薬は3種類。
「まずこの散剤、粉薬を飲んで。強めのお薬選んだから胃薬を先に飲んで」
「うい・・・」
私は
・・・ヤバイ、スゴイマズイ。
「錠剤は16錠。全部のんで」
次は小さなボタンくらいある錠剤。一度に全部呑み込めない絶妙な大きさで一錠ずつ呑むしかない。灰色がかっていて呑む気が失せる色合いだった。
「16錠!?」
母に手渡されたそれを見て沈黙するが、背に腹は代えられない。一錠ずつ確実に呑みこんで、白湯で流す。母が白湯のお代わりを出してくれる。
「カプセル型は最後に飲んで」
最後は市販のものよりやや大きめなカプセル。カプセル色は白と光沢のある水銀のような色の組み合わせ。
・・・絶対これ試作品だ。私が経営者ならまずこんな金属みたいな色は採用しない。市場じゃこんな色したカプセル、売れる訳がない。むかし父が親戚のおじさんたちと集まって、誤飲防止に付けるカプセルの色で売り上げが変わるって話を聞いたことがある。
「ごっくん」
色々と言いたいことはあるが、今は苦しい症状を何とかしたい。黙って私はすべての薬を飲みこんで、白湯も全部飲み干した。
「最後にこれ。1個ずつ舐めるのよ」
市販の、いつも私が選んでいるのど飴を差し出す母。ありがたい。あるとないとじゃ大違いだ。今は少しでも不快な事やストレスになる事を減らしたいから、これで痰を出し続けることにしよう。
ティッシュ箱を新しく1つ出してもらって、私は2階の自室へ持ち帰る。
部屋は和室で、相変わらず質素なものだった。部活動もしていないから道具類もないし、据え置きのゲーム機もない。ごく普通の高校生を自称しながら、皆が普通に持っているようなものが足りない、そういう部屋。
のど飴をなめつつ痰を出し続け、ごみ箱の半分をティッシュで包んだ痰で詰め込んだころには眠気が襲ってきた。
“カクンッ”と顎から落ちるような重い眠気。
布団を自力で敷いて、もぐりこんで10秒で意識が飛んだ。
「――――――んあっ」
目を覚ました。一切夢を見ず、いきなり全身の重みが抜けて、濡れているようで冷たい。口の中は乾いた感じがする。
軽くパニックになっている自分を客観視しつつ、布団から這い出る。
布団の中はぐっしょり濡れていて、全身でおねしょしたみたいで焦る。
唇が固く乾いていて、痰もでない。
ひどく喉が渇く。
腹が減った。
自室を出たら窓から陽光が射している。今は何時だろう。
フラフラするけど慣れた階段でいつも通り降りて、リビングへ。掛け時計を見ると午前8時20分。普段なら遅刻しそうだと焦る時間だというのに、他人毎のように感じる自分がいた。
机の上にメモが置いてある。
“学校にはお休みの連絡を入れておきました。薬が効いているけど今日は休みなさい。いつもどおり朝ごはんは自分でやっておいて下さい。念のため食後の栄養剤を用意したから飲んでおいてね。”
淡々としているが、人並に心配してくれるあたり、まともな両親の下で育ったんだなぁと実感する。若干仕事優先で放任な所もあるが、もう慣れっこだ。
「嗚呼、腹が減った・・・」
ひとまず、なにか腹に入れておきたい。リビングから台所へ、冷蔵庫へ歩いて行き、力強く扉を開ける。
「おお」
昨日まで何もなかった冷蔵庫が、珍しく食料品でぎゅうぎゅう詰めになっている。すぐ下の冷凍庫も開けてみたら、冷凍食品でぎちぎちだ。
野菜室からバナナを取り出して、すぐに皮を剥いて一口。二口目には全部頬張った。とにかく腹が減っている。8本が繋がっているバナナ一房を全部食べたら、1000mlの牛乳パックを開けて一気飲みした。
「まだ足りない・・・」
これだけ食べても飢餓感が満たされない。しかし少し腹が膨れて余裕ができたため、自分の体を客観視できるようになっていた。
手を見ると爪先は黒く汚れていて、袖をめくって手首から下の腕も垢まみれで、少し頭を掻くと皮脂とフケが落ちてくる。
「薬のせいで代謝が上がってるのか・・・?」
冷蔵庫をしめ、空になった牛乳パックを流し台において、風呂場へ歩いていく。
汗でべたつく部屋着をなんとか脱いで、ふと脱衣場の壁に設けてある鏡にうつる自分を見る。震撼した。
毎日この鏡で自分を見ているからわかる、昨日の自分と比べてひどく痩せている。
肉が内面から削げ落ちてアバラが浮き上がっていた。腹筋もどことなくへこみ、内臓が前へ出てるような形をしていた。肌も垢にまみれてか、まばらに浅黒い。
性質の悪い風邪、と称していたが、本当に悪い風邪だったようだ。
熱いシャワーで全身を洗い流し、素手で肌をこすると垢がボロボロ出てくる。
ここまで来ると逆に面白い。石鹸で丁寧に全身を洗い、顔も洗いはじめる。するとまつ毛のすぐ上の所が目ヤニでおおわれており、ベリベリと剥がれるじゃないか。気づかなかった。いや、目ヤニがまつ毛のすぐ上で固まりになるなんて初めてだからこれは気付かないのはしょうがない。
なんだか穏やかな脱皮を体験しているようで奇妙な感じだ。
風呂場を出てバスタオルで全身を拭いているが、一向に汗が止まらない。病み上がりとはいえ体温がまだ高いようだ。2枚目のバスタオルを使いながら、2階の自室へ。新しい部屋着に着替えて1階へ降り、バスタオルを洗濯機前の籠へ投げる。
とにかく、腹が減った。台所で簡単に作れる朝食のレシピを頭の中で思い浮かべ、冷蔵庫を開ける。材料を全部出してから調理を始める。幸いにも炊飯器の中は炊き立ての白いご飯が出来上がっており、いっぱい食べられそうだ。
いつもの茶碗ではなく、丼に白いご飯をよそう。それから飯に合う簡単な料理を作りっては食べ、作っては食べを繰り返した。
母が用意した栄養剤を飲み下した時には、冷蔵庫の中はいつも通りくらいの内容にまで減っており、炊飯器の中身も空だった。自分のお腹を触ると、ボコンとでっぱっているのが解る。
腹が満たされると、大分周りの事を気にかけられるようになる。
病み上がりで頭の中がすっきりしているからか、五感で汲み取れる情報が次々と入り込んでくる。普段見えているものの中から見えなかったものが見える。窓から差し込む光の色合いが何重にも重なって見える。汗が噴き出る音と感触がわかる。大きく深呼吸すると視野が広がる。
これまでの事を思い出すと、ありとあらゆる情報がひも付けされて、学校で習ったことすべてが、ゴチャゴチャしていて億劫だったモノが、理路整然としたモノへと変遷する。両親が時折話し合っていた薬学と医学の知識も、不思議と思い出せる。その知識に対して判らないものは判らないままだが、そこに不安を覚えるはなく、いますぐ専門書を読めば判りそうな万能感を覚える。
「薬のせいで気が大きくなっているかな」
そう結論付けて、食器を洗っている。腹が満たされて冷静で平坦な気持ちだ。
何を始めれば良いのか、どれから手をつけたらいいのか、贅沢に悩めそうなくらいだ。とりあえず学校の宿題から片付けよう。それからレンタルしていた映画を全部消化しよう。
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