第40話 彼女ノ中のクオリア

 咲恋が消えてから数日が経った。

 俺は魂が抜かれた哲学ゾンビだった。


「辛い思い出より、楽しい思い出を消して欲しい」

 咲恋の言葉を思い出す。 今ならその気持ちも分る。

 俺はこれから、どうやって生きていこう。

 俺の勝手な計画で、咲恋は消えてしまった。

 そして、妹も俺のせいで仲間のとこへ帰れない。

 今の俺には妹を救う方法なんて分らない。


 世界は知らない方が幸せな事は多かった。 一人でトボトボと学校へ歩く。


「なに一人で黄昏れているの!」

 丸襟のブラウスに臙脂色の細いリボン、紺のワンピースに同素材のボレロを着て、黒いタイツに革の茶色のローファーをはく。

いかにも私立って感じの制服。振り向くと、妹の優紀が立っていた。

「なんだ、優紀か……」


「ええ? 何それ! でも、本当に元気無いね」

「あるわけないだろ……あんな事があって」

「あんな事って何?」

「咲恋が消えた事だよ。そして俺はおまえやノルンに酷い事をしてしまった」

「咲恋さんが消えた? ノルン?」

「あ、そうか、咲恋は見えなかったんだよな。ノルンも覚えてないのか。全部俺のプログラムだな」


「何言ってるの? 咲恋さんはそこにいるじゃない?」

「ええ? そんなバカな……おーーい!?」

 俺に見えた、 ウィンターロング、ウェーブの掛った長い髪は、濃く明るクリムゾン。 太陽の光を浴びたそれは、若干青みを含んで紫がかる。


 高めに結ったゆるふわポニーテール。

 瞳は目尻がハッキリしたラインで上がっている。

 色白で桃の花ビラのような色の頬、そして胸元には俺から貰った、シルバーの小さなペンダント。 驚く俺に、咲恋が手を振った。


「なんだ? どうなっているんだ?」

 咲恋が微笑みながら近づいてくる。

「おまえは消えたはずだろ?」

「あら、そんなに私に消えて欲しかったのかな?」

 咲恋のいつも通りの話し方……俺はこれが夢ではないと感じる。

 そんな俺を見ていた優紀が口を開く。

「あのね、お兄ちゃん、ノルンと一緒になった咲恋さんは、この世界に止まれるようになったのよ。あたし達は、心をもたない接する人の内観によって姿が形成される受動態生物。だからクオリアを持つ人間に惹かれてこの星に来た。そして粒斗に連れ去られたあたしを助ける為に、この削られた世界にノルンは来たの」


 ノルンと一緒になった咲恋が続きを話す。

「そうなんです粒斗さん。私の身体と咲恋さんのクオリアが一緒になってこちらの世界でも実体が持てました。あら、ちょっとノルンが出ちゃうね。えっと」


 ノルン風の話し方から咲恋に戻り話を続ける。

「私のクオリアを宿してノルンは咲恋自身になったの」

「そんなバカな! それは正しい事なのか!? ノルンはどうなんだ?」

 俺は咲恋に掴みかかりそうな勢いで聞いた。


「それは分らないわ。でも私は嬉しい。またあなたに逢えたから」

 咲恋に続いて優紀は微笑み俺に伝えてくれた。

「うん、大丈夫。ノルンは幸せ。望み通りにあたしの側にいてられて、大好きな時空粒斗と一緒にいられるから……それにね、あたしはお兄ちゃんに操られた哲学ゾンビじゃないの。ただ感情が足りてなかっただけで、お兄ちゃんと暮らして悲しみや喜び、嫉妬や愛しさ。相反する多様な感情を知ったの」

 ゆっくりと近づいてきた咲恋は、俺の手を握った。


「なにか、とってもおかしな気分。あなたに触れる事が出来る。あなたを感じる事が出来る」

 優紀と咲恋はお互いを見て視線を交わらす。

「粒斗ってモテモテだね。特に地球外生物にはね。あはは」

 咲恋が感心して頷いた。

「ノルンは変わった子だったけど、色っぽくて可愛かったなあ。ちょっと惜しいかも」

 咲恋と優紀が同時にため息をつく。


「はぁー、なんで、そこでエロへ走るかな」

「天才だった時の粒斗も激しくベッドで私を求めたけど」

「おいおい、妹の前で生々しい事言うなよ咲恋。でも、そうだったのか……時々見ていた過去の天才の俺は。夢じゃなくて、記憶の断片だったんだな」


「そうよ、封印した粒斗の記憶は徐々に解除さているけど、いまだに不完全で……あれ? なんか、残念そうね……どうして?」

 咲恋が不思議そうに聞く。

「いやーー! 折角思い出すなら、そのベッドで激しくの記憶がいいなぁと思った」

「はぁあーー??」

 また同時に咲恋と優紀が呆れた。

 今度は前より落胆しているのが分かる。


「しょうがないだろ! エロは男の反射なんだからさ!」

 優紀がげんなりしながら聞いてきた。

「あのさ、いくら記憶を封印した、そう言っても、天才の粒斗と、あんたとの大きな格差はなんなんの? 殆ど別人よ」

「そんなの知るか! あ、そういえばノルンもそんな事言ってたな」

 ノルンは真実の世界で天才の俺に会っている……とても優秀だけど……とても冷酷だと言ってた。

「優秀で冷酷って……全然、俺には似合わない感想だな」

 咲恋がため息をついた。


「ふぅ。まったくこの男は自分の事がまったく分かってない。優紀ちゃん、次空粒斗の本質は変ってないわ。若くして天才と呼ばれ、世界を変えると言われた粒斗は、高校生活も研究に没頭していった。そして、世界の終末を予想した時、粒斗の責任は地球を救う絶対の使命になった。ある意味、真実の世界での粒斗は、幼い時から自身の意思で動いた事ないんじゃないかな。だから自分で造りだしたこの削られた世界では自分の好きなように生きたいと思ったのよ」


 妹の優紀が大きく頷いた。


「そっか、だから、エロいのも、マニアな動画が好きなのも、ゲームに没頭するのも、全て、向こうの世界で出来なかった事を、今、粒斗はやってるわけね」

 今度は咲恋が頷いた。

「そう、おばかでエロい高校生、次空粒斗は天才の憧れだったわけね。普通の日常を求めた。そして妹も。粒斗はクオリアの研究の為に、優紀ちゃんを軍の施設から連れ出した。でもね、幼くして無くなった妹の姿を投影してしまい、研究が完成しても、優紀ちゃんを殺す事が出来ない。悩んだ粒斗は、優紀ちゃんと一緒にいる事にしたの。私は反対したけどね」


 懐かしそうな表情を浮かべた優紀。


「うん、覚えている。わたしは必要が無くなった……少しの時間だったけど愛してくれる人が出来た。それで十分だったんだ」

 二人の話を聞いた俺は少しだが、天才だった次空粒斗の苦悩を感じた。

「そうか、結構、大変なんだな昔の俺も、いや、今の俺もすげー大変だぞ! 親父に怒られ、母親に部屋を荒らされ、妹には物理攻撃と精神攻撃をくらい……それから」

 咲恋と優紀が目を合わせてから、同時に首を振る。


「それは今の、つまり、次空粒斗、あなたの問題でしょ?」

「え、俺か?」

「あ・た・り・ま・え」

「……ノルンが幸せなら俺も少しは救われる……そして俺もノルンに改めて感謝する。咲恋にこうして触れる事が出来るから」

「ダメよ!」


 今まで握っていた、俺の手を急に解く咲恋。

「も~~絶対ダメ! そんなの出来ない……しばらくエロい行為は禁止!」

「な、なんだよ。感動的な場面でエロなんて思っているはずないだろう……いや、少しくらい思ってもいいのでは? こんなチャンスを逃すのはどうかと思うぞ」


 咲恋は呆れてそっぽを向け、優紀は笑った。

「ダメよお兄ちゃん。私の大事な姉の体でもあるのよ……お兄ちゃん、わたし好きだったのに、妹にされてしまったのよ」


 はぁあ? いや、どうみても兄が嫌いな妹だろ? と悩む俺に咲恋がやれやれと補足した。


「優紀ちゃんは、いつでもあなたの側から離れる事が出来たの。あなたは優紀ちゃんにプログラムを施していないかった。哲学ゾンビじゃなかったの。彼女は粒斗が好きだったから、この世界に止まっていたの。気がつかなかった?」


「マジかよ……なんでこんな俺が、そんなにモテモテなんだ?」

 俺の最大の疑問に咲恋が答えた。

「そんなの決まっているじゃない……次空粒斗は天才で世界を救った英雄なの」

 その後を優紀が続ける。

「そうよ。そしてエロい動画が好きで、可愛い女の子にはすぐにいけない妄想するし、家族からの評価は最悪なのよね!」


 咲恋と優紀が同時に笑い出した。


「俺は本当に喜んでいいのか? おまえたちは幸せになったのか?」


 二人は目を合わせてから頷き、声を合わせて同時に答えた。


「うん。一緒にいられるから。大好きな次空粒斗と」


 了

 

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「狂っている人」と書いて「オレ」と読む こうえつ @pancoo

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