百語
@chauchau
第1話
昔々あるところに、心優しい青年が居りました。
祖父母とともに平和に暮らしていた青年は、鬼と呼ばれる一族が無辜の民に働く悪辣卑劣な行いを耳にし立ち上がります。
祖父が打った刀と祖母が拵えた黍団子を携えて、青年は旅立ちます。最初は一人だった旅に、いつしか三匹の御供が現れました。
数多の困難を乗り越えて、ついに青年は鬼を討つ。
数十年にも及ぶ鬼の支配からの開放に多くが湧きたちました。そして続くは誰もが夢見た平和で安全な世界。それを創り上げた青年への感謝は幾万の言葉を用いても語り尽くせるものではありませんでした。
たとえ、
幾年が過ぎようとも……。
※※※
「やってられっかァア!!」
陽の光など届きようもない深き地下世界に響く少年の叫び声に驚く者など居りはしない。誰もが巻き込まれないようにと知らぬを貫き通す。
すぐ隣に居る者でさえほんの一瞬視線を動かした程度の結果にしかならない日常に、声を荒げた少年の留飲は下がるどころか上がる一方であった。
「どいつもこいつも死んだ目しやがって……ッ! オレはお前らみたいにゃならねえぞ!」
投げ捨てたツルハシが岩盤に突き刺さる。だが、周囲の者たちの顔色を変えたのは、少年の蛮行などではなくそれを聞きつけて駆けてくる者の足音だった。
「九十九番! またお前か!」
「いい加減にしろ! 殺処分にされたいのか!」
「処分ァ……? やれるもんならァ……!」
駆けつけた立襟の肋骨服姿の男たちが、腰の刀を抜いても番号で呼ばれた少年の気概が収まることはなく、むしろ高まり続けている。そして、男たちが行動を起こす前に腰を低く落としたままに一番近くに居た男へ少年は体当たりした。
低い位置からの衝撃に男は簡単に押し倒されてしまう。そうなってしまえば、刀を持っていることなど何の利も産むことはない。
「やってみろやァア!!」
殴る。殴る。殴る。
馬乗りになり、軍服姿の男の顔面に次々と拳の雨を降らせ続ける。見る見るうちに男の顔は原形を留めなくなっていくが、少年の優勢はここまでだった。
複数居る相手の一人にのみ掛かりきりになってしまえばどうなるかは火を見るよりも明らかである。別の男に蹴り飛ばされた少年は、立ち上がる間も与えられずに囲まれ蹴り踏み潰されていく。
「ガふッ!?」
少年に殴られていた男から恨みつらみを込めた重い蹴りを顔にもらい、ボロ雑巾と化した少年は意識を手放した。動かなくなった少年へ、顔の変形した男が刀を突き刺そうとするが、それを仲間が羽交い絞めにして止める。なおも殺させろと騒ぎ引きずられていく仲間を見送って、残された男たちはため息を零すしかなかった。
「いい加減にしてほしいよ、まったく……」
「これで今月三度目だぞ? 朱頂蘭様はどうして処分の許可を出してくださらないんだ」
「こいつも殺されないと思って調子に乗ってるしよぉ、きっちり見せしめねえと他の奴まで暴れ出したら手に負えねえよ」
「そこ。愚痴ってないで動け。目を覚ます前にこのガキを懲罰房に運ぶんだ」
「分かってますよ……、はぁ……、おい、そっち持ってくれ」
「重ぉ……、碌なもん食ってねえくせにどうしてこんなに重いんだよ」
「鬼だからだろ」
※※※
青年に討たれた鬼の一族は、女子供残らず全てが殺されるはずだった。多くの民が望み、現実へと変えようとした。当然の報いであった。それほどまでのことを彼らは民にし続けて来たのだから。だからこそ。
青年の言葉に民は耳を疑った。
罪だけを憎めと青年は説く。
いつの日か人と鬼とが手を取り合う日が必ず来ると青年は説く。
その日まで罪を償えと青年は説く。
「単純に奴隷が欲しかっただけだろうが」
痛みでぼやける視界のなかで、気絶している時でさえ見てしまうほど染みついた言い伝えに少年は反吐を吐くほかなかった。目を覚ましたのは、傷が癒えたからではなく、強い痛みで無理やり起こされたから。天井に見える鉄格子から数メートルほど落とされた衝撃に背中が悲鳴をあげる。もっとも、それがなかろうと彼の全身はすでに悲鳴をあげていたのだが。
ちょろちょろと聞こえる始める水音に、痛みを無視して彼は重い腰をあげる。投げ捨てられた懲罰房は、彼には馴染みのものとなっている。つま先立ちぎりぎり程度になるまで水を流し込むこの場所に放り込まれれば、始めは悪態をつき続ける誰もがいつかは音を上げる。
温かみなど何も感じない暗闇の石牢に、限界量の水と一緒に過ごし続けるなど精神が壊れてしまってはおかしくなどない。
「らくちん、らくちん。はァ……、寝よ」
おかしくないはずの状況で、水に浮かんですやすやと寝てしまう少年のほうがおかしいのだろう。
ほかにも極寒に冷える牢獄や、灼熱の牢に入れられても少年は変わらない。労働をしなくて済むとばかりにむしろ快適に暮らしてしまうのだから、軍服たちの苦労もそれ相応のものである。
水上で器用に寝返りを打った少年の頭には、角というよりは、小さなコブでしかない突起物が存在していた。
「……ぶはァ!?」
なお、溺れかけたのは言うまでもない。
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