1-8

部屋に残ったトオル以外の3人で晩ご飯を終え、再度外に出る。

線路沿いの道を歩きながら、幼なじみが伸びをした。

「ふー、食べた食べた。ちびっこ、次はどこ行くってのよ?」

「今度はカラオケっていうのに行ってみたい。あとはボーリングとかいう球投げも気になるし、それから……」

「……お前、遊びに来たわけじゃないんだよな?」

ため息をつき、目を閉じたタイキは。

『60』

それから空の真っ赤な月を見上げる。

「お前なぁ、リンカが言う通りにしろってわけじゃねぇけどよ、もう少し真面目に馬鹿にされない努力を……っ?」

数瞬遅れて、今しがたの光景に思考が追い付く。


普段の綺麗なクリーム色ではなく、真っ赤な満月。


そしてこの光景には見覚えがあった。

時間帯こそ違うものの、昨日幽魔が現れた時と同じ――

「……?」

ふと目をこすると、夜空には普段通りの満月が浮かんでいた。

「何だってのよ、いきなりあたふたして。てかアンタ最近奇行多くない?」

「お前にだけは言われたくねぇよ……。んで、くっそ、また幻覚かよ……」

そしてその隣では、首を傾げるクロエ。

「……別に、何も見えない」

「ねー。なんか変なものでも食べたんじゃないの?」

それに言い返そうとしたその時、空を見つめていたクロエが再度口を開いた。

「……。……いえ、やっぱりアナタは正しい」

その言葉と同時、全員が夜空を見上げる。

見る見るうちに、月は先ほどと同じ深紅に染め上げられていった。

「……この禍々しい気配、間違いない」

「……まさか……」

「そう、やっと見つけた。『原初の者プライマル』」

その言葉と同時に、タイキはマソラと顔を見合わせる。

「……!」

眼前のネクロマンサーとあの高飛車な少女が探しているという、解き放たれた幽魔たちの親玉。

そしてそれを再封印する事が出来れば、自分たちは解放される。

だが当然、その戦いで再度命を落としては何の意味もなかった。

加えて、例の「人質」はクロエに握られたままであり、逃亡するという選択肢も存在しなかった。

「……なぁ、」

そんな事を思案しつつマソラに向けて手を伸ばしかけたタイキは、すぐに彼女の考えている事が自分とは違う事に気づいた。

「さ、アイツよりも先にそのプラ何とかをボコボコにしてやるってのよ!」

やる気満々とでも言いたげに両手を打ち鳴らした彼女は、ふと周囲を見回した。

「それで? そいつはどこにいるってのよ?」

クロエはそれには答えず、インカムでも仕込まれているのか、片手を耳元に当てながら口を開く。

「……トオル。ターゲットを見つけた。すぐに来て。場所は――」

それから彼女は前方を見据え、駆け出した。

「……汚染が最も進行している場所に案内する。付いてきて」



たどり着いた先には、既にとある人物の姿があった。

「……ここに迷い込むなんて、どれほど運が悪いんですの」

その区画の曲がり角に立ち、眉を潜めながら例の扇子で口元を覆うリンカ。

「迷い込んだんじゃないってのよ。この奥にいるっていう、プラ何とかを追いかけてきたんだっての!」

「では訂正しますわ。あなた如きが『原初の者プライマル』に対抗できると思うなんて、どれほど頭が悪いんですの」

「なっ、何を……っ!」

「そちらの弱っちい貧乏人2人は、全力でここから離れなさい。役立たずもとっとと帰りなさい。ここはわたくしだけで十分ですわ」

「……待って」

そのまま背を向けるリンカに、クロエが手を伸ばした。

「何ですの? あなたではありませんから、人払いは既に済ませてありますわよ」

「アナタもワタシたちと一緒に来て。きっとそれが1番安全で効率もいいはず」

「……」

「それにトオルがまだ到着していないから、アナタの力が必要で……」

「お断りですわ。そもそもあの小動物、ある程度はやれるのは知っていますが、せいぜいわたくしの足元程度ですもの。いたっていなくたって大して変わりませんわね」

言いつつ、リンカの歩みが早くなった。

「最終通告ですわ。全員、今すぐ帰りなさい」

「……」

それにしても、ここまで言う彼女が一定の評価をトオルに下している事がタイキには気になった。

……。

それからふと頭上を見上げると、あの真っ赤な月が見え、同時に先ほどより大きくなっているような気さえした。

このおどろおどろしい色は恐らく、この街では自分たちだけにしか見えていないのだろう。

いつしかリンカの姿は視界から外れ、その場には3人だけが残された。

「……あー、で、どうするんだ? アイツ、絶対に俺たちに手は出させないつもりみたいだが」

「言われた通りこのまま退散する、という選択肢はワタシにはない」

それから、懐に手を入れる。

「……もちろん、アナタたちにも。そうでしょう?」

「……ああ」

「だから、今すぐ後を追う。気を引き締めて」



その大通りに出たタイキたちは、言葉を失っていた。

昨日とは比べ物にならないほどの、幽魔の大群。

犬のような形をしたもの、それより二回りほど大きくサイのような形をしたもの、ゾウのような形をしたもの。

それらが、道路はもちろん歩道をも一面埋め尽くしていた。

そして――

「おいっ!」

その群れの中央で囲まれる、1人の少女。

思わず駆け出そうとしたその時、リンカを中心に天から降り注いだ数本の氷柱が、周囲の群れを串刺しにした。

それらの幽魔はほぼ同時に雲散霧消したが、すぐに後から現れた別の群れが再度リンカを取り囲む。

と。

視界の奥の彼女が、唐突に片手を耳元に当てた。

『日本語が理解できませんの? 英語で言い直しましょうか? それともドイツ語の方がよろしくて?』

クロエのインカムの奥からは、どこか息が上がったリンカの声が微かに聞こえてきていた。

『わたくし、1人でやりますの。誰の手も借りませんから、お気になさらず』

一方的に通信が切れると同時、視界内で再度氷柱が降り注いだ。

「……リンカなら、きっと大丈夫。だから、焦らずにワタシたちはやれる事をやる」

次いで、クロエの手元に見覚えのある白い光が灯った。

「一帯をまとめて浄化する。おそらく注意を引く事になるから、そっちのアナタよろしく。3分でいい、保たせられる?」

「当然!」

マソラの叫びと同時、こちらを向いた数体の幽魔が宙に舞い上がった。



次から次へと押し寄せる幽魔が、風に巻き上げられ、押しつぶされ、地面に叩きつけられて、消えていく。

そしてそんな嵐の中心で、マソラが叫ぶ。

「見なさい! これがあたしの『空の統括者スカイオペレーター』の力だってのよ!」

「スカイ……?」

聞き慣れない単語に、背後で身をかがめているタイキはつぶやく。

その隣では、昨日と同じようにクロエがあの魔方陣を描いていた。

「名前が風のギフトってのもつまらないから、昨日考えてきたっての。……おりゃあああっ!!」

まるで武器か何かのように片手にまとわせた風の渦が、突っ込んできた1体を地面へと叩きつけた。

ふと前方を向くと、再度氷の矢が降り注いだところだった。

そしてその中心のリンカは、今度は何をするわけでもなく自身の手の平を見つめ、ただ立ち尽くしている。

周囲の幽魔たちも、飛び掛かってもすぐに串刺しにされる事を理解しているのか、取り囲んだ彼女に吠えるだけで、動こうとはしなかった。

だがそんな膠着状態も、いつまで保つか分からなかった。

「……おい、アイツもバッテリー切れくせぇぞ!」

そしてその群れの一部の視線が、無防備なクロエを向き――

「こっちを向けっての、よっ!!」

大ぶりな風で、まとめて近くのビルの外壁へと叩きつけられた。

そして新たな脅威を認識した幽魔たちが、一斉にマソラを向く。

「くっ……上等じゃない! まとめて相手してやろうじゃないってのよ!」

いつしか幼なじみの顔にはうっすらと脂汗が浮かび、一瞬足取りがフラついた。

確かにリンカを囲む幽魔の数は減ったものの、その半分弱ほどが一斉にこちらを向き――

「……!」

ふとクロエが懐から何かを取り出して、今まさに飛び掛かろうとしていた群れの中央へと投げつけた。

同時、その幽魔たちがまるでこちらを見失ったかのように立ち止まり、一斉に辺りを見回し始める。

「……『調停者の遺灰』。非常用の呪具マジックアイテム。霊体にのみ作用し、一時的に敵意を喪失させる」

「……はぁ!? 一時しのぎじゃない! 一気に倒す道具とか何かないわけ――」

と。

「スマートじゃありませんわね」

遠く離れていながら、その声はやけにはっきりと聞こえた。

いつしかリンカの周囲には、小さな氷の粒が舞っていた。

「見なさい、お金も思考回路もド貧民のそこのあなた。これがあなたが喧嘩を売っている相手ですわよ」

言うなり、片足で地面を2度軽く蹴りつけた。

次の瞬間、その地点から次々と巨大な氷柱が突き出しては幽魔を串刺しにしていく!

「……へ? ちょ、ちょっと! こっち来るんじゃないってのよ!」

まるで波のように進んでいく人の背丈ほどの氷柱は、辺り一帯全ての幽魔を貫き、マソラの目と鼻の先の辺りで消失した。

「……ふぅ、流石に疲れますわね。でも、同じ労力をかけるならこちらの方が効率的でしょう? 力の差が理解できまして?」

「あっ、アンタねぇ! 今あたしにも刺さるかと思ったってのよ! ってかちょっと刺さった! 見なさいよこの針の穴みたいな傷! なんか血も出てきたし、って、おい、無視すんなっ!」

叫ぶなり、その場に座り込む幼なじみ。

息も絶え絶えなマソラと、一応額に汗をにじませてはいるもののまだ余裕が見られるリンカ。

「ほんと、持久性は最悪のようですわね。フルマラソンを全速力で駆けている自覚はありますの? ああ、だから力をセーブする発想も無い貧乏人は嫌いなのです」

扇子で口元を隠して、そう言い放つ。

「……ですが、わたくしもまだまだですわね」

「……これで、か?」

未だ魔方陣の構築が終わらないらしきクロエを横目で見ながら立ち上がったタイキは、リンカを見つめた。

「何も無い俺からすると、十分すぎる火力だと思うんだが」

「十分? 全然足りませんわ。……もっともっと、より強くなりませんと」

「……」

その言葉で、やはりあの時の推測は正しかったのだとタイキは気づいた。

やはりリンカは、力を求めていた。

そしてそれはきっと、復讐のため。

幽魔たちをより早く、より強力に滅するための力をリンカは欲しているのだろう。

「で、そっちのあなたは本当に何のギフトもありませんの?」

吐き出されたため息に、タイキは舌打ちした。

「無いものは無いんだ、仕方ねぇだろ」

「せめて口から火を噴いたり、前触れもなく爆発したり。そういう事が出来ると、そこの頭が悪い彼女も少しは楽になると思いますわね。……あなたのギフト、『役立たず《ホープレス》』とでも呼んで差し上げましょうか?」

「……」

言われずとも分かっている、と返す前に、相手は前を向いた。

「ま、弱っちいものは仕方ありませんわね。それが定めですもの」

と。

「……終わった」

見ると、クロエの描いた魔方陣は昨日同様に立ち昇る白い輝きに包まれていた。

「『原初の者プライマル』に再度汚染されるまで、しばらくこの一帯は安全になるはず」

ふとタイキが頭上を見上げると、夜空に浮かぶ赤い月の色がより濃くなっているような気がした。

それは血染めという言葉すら生温い、赤くて紅くて朱い――


次の瞬間、魔方陣の光がどす黒いものに変わった。


「……っ!」

とっさにクロエが中心に手を伸ばすと、魔方陣は一瞬にして砕け散る。

「だから役立たずだと言っていますの」

扇子を口元に当てたリンカが、大きく息を吐く。

「おい、どうしたんだよ……。失敗したのか……?」

「……。幽魔による汚染が逆流して抑えきれなくなったので、ワタシも影響を受ける前に術式を破壊した」

「それって……」

「相手の力が強すぎて抑えきれなかった。つまり……」

ふと4人同時に、前方を見やる。

数十メートル先の曲がり角から、新たに先ほどよりも大きな群れが迫ってきていた。

「くそ、また……!」

だがその幽魔たちの姿は、徐々に夜の暗闇の中に溶けるようにして消失していく。

そしてその後には、何事も無かったかのように夜道だけが残された。

「……消えた……のか……?」

「……。いえ、もっとまずいもの」

クロエのその言葉と同時に、それは現れた。



夜の影の中からゆらりと現れた、巨大な影。

頭にはねじ曲がった双の角が生え、2本足で立ち上がっていた。

そしてそれに付き従うかのように、背後で吠え猛る無数の幽魔たち。

何かの動物のような姿をかたどった、しかしながら何にも似ていない「幽魔の親玉」。

原初の者プライマル』が、そこにいた。



魔神といった形容が近いそれは、7、8メートル近くはあろうかという体躯をもってタイキたちを舐めるように見回す。

「……ここ数日で下級の幽魔たちを十分に取り込んで、動ける程度までは回復したみたい。でも、今ならまだ対抗できる範囲のはず」

ふとタイキは、そんな事を口にするクロエに背後からゆっくりと手を伸ばしていた。

あの髑髏を今すぐ奪い取り、この服従関係を終わらせてやる。

いや、今まで散々脅されてきた仕返しをするのもいい。

こちらの様子には全く気付いていない彼女の懐へと伸ばそうとしていた手で、その細い首を掴もうと――

「……気を付けて。強大な力を持った幽魔は心の弱み、欲望に付け込んでくる」

「……っ!」

同時に、自身が何を考え、何をしようとしていたかに気づいたタイキは、額に脂汗を浮かべて手を引っ込めた。

「取り込まれないように意識をしっかり保って。完全に呑まれたら、もうどうしようもない」

隣では、自身と同じような表情を浮かべていた幼なじみが慌ててリンカから身を引いた。

と。

原初の者プライマル』に付き従う幽魔たちが、ゆっくりと姿形を変えていく。

「な……っ」

犬のようなものはサイのような姿へ。

サイのようなものはゾウのような巨体へ。

ゾウのような幽魔は一回り大きく――

吠え猛るその声も、より一層大きくなっているような気さえした。

それらが、主を守るかのようにゆっくりとタイキたちへと押し寄せてくる。

「……『原初の者プライマル』、聞いていた通り。その場にいるだけで周囲を汚染する、呪われた存在」

ポツリとつぶやくように口にしたクロエが、ふとタイキとマソラに視線を向ける。

「……準備はいい? ここで全部終わらせる」

「……ああ」

「もちろんだってのよ! 多少は回復したし、親玉が目の前にいる! ここまで来て逃げられるかっ!」

「……」

こちらに視線を向けたリンカが顔をしかめたその時、マソラが風を1番近くにいたゾウのような幽魔に投げつけた。

その巨体は吹き飛び、他の幽魔を巻き込んでガードレールに叩きつけられた。

が。

その数体は、何事も無かったかのようにゆっくりと起き上がった。

「……げっ……、プラ何とかが出た途端いきなり強く……」

「……ようやく分かりました? なら、あなたがやるべき事は1つですわ」

数十メートル先にいる、『原初の者プライマル』の巨体。

だがその手前を、先ほど以上の大群が埋め尽くしていた。

王を戴いた幽魔たちが吠え、猛り、近づけない。

「……この数に、『原初の者プライマル』の汚染により強化された状態。ワタシのエンチャントドレスでも強行突破は無理」

それからクロエは、再度片手を耳元に当てる。

「……トオル、急いで。こっち、戦力が足りない」

その奥から聞こえる声は、タイキたちにも何とか聞き取れた。

『ああ、先ほど到着してね、『原初の者プライマル』はこっちからも見えてるさ。……けど、この状況じゃキミたちへの接近は無理そう……だ!』

同時に何か銃声のようなものが聞こえたが、すぐに周囲の幽魔たちの叫び声にかき消された。

「さて、そこのいけ好かない金持ち。あたしたちはやれる事をやろうじゃないっての。あたしが時間稼ぐから、アンタはさっきの何かスゴいヤツの準備を……」

「……あなた、本っっっっっ当に心の底から頭が悪いんですのね! この状況で、そんな事が言えるなんて!」

「……」

ふとタイキも、おそらくはリンカと同じ事を考えていた。

大部分を消耗しきったマソラ。

彼女ほどではないにしろ、大技を使った直後で疲労しているリンカ。

先ほどよりも大群で、より強力な幽魔の群れ。

そして仮にそれらを突破しても、その奥に控えた『原初の者プライマル』。

「……おい、勝ち目ねぇぞこれ……!」

「はぁ!? 何言ってんのよ、そんなのやってみなきゃ分から……がふっ!」

ふと、リンカが扇子でマソラの喉元を突いた。

「そちらのあなたはまだ頭がいいようですわね。……理解できたなら、この極限お馬鹿さんを担いで早く逃げなさい! ここはわたくしが時間を稼ぎます!」

「……くっ」

確かに逃げ出したいのはやまやまだったが、それをすると自分たちは……。

とっさにクロエを向くと、彼女は片手を懐へ入れたまま、何故かどこか困ったかのような表情を浮かべていた。

「さぁ、何をしていますの! 今すぐ走りなさい! 奴らが一斉に来た場合、わたくしでもどこまで太刀打ちできるか――」

と。

最奥の『原初の者プライマル』の姿がわずかに動いたかと思うと。


その姿は現れた時と同じように、夜の闇に溶けて消えていった。


同時に、前方を埋め尽くす幽魔たちもその後に続くようにして一斉に姿を消す。

「退いた……んですの……?」

信じられないといった面持ちで前方を見つめるリンカと、大きく息を吐いて立ち尽くすクロエ。

ふと頭上を見上げると、浮かぶ満月は普段通りのクリーム色をしていた。

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