1-6

結局のところあの2人は流石に授業にまでは顔を出してこなかったが、それでもタイキのうっすらとした不安は消えなかった。

前方で英語の教師が執拗に黒板を指で叩くのを横目で見ながら、心の中で息を吐き出した。

クロエが請け、リンカが出張ってきたその『仕事』とは何かはよく分からなかったが、やはり危険で、かつロクでもないものである事は容易に予想できた。

「……あの髑髏、取り返したら俺は降りさせてもらうからな。……いいだろ、最初のマソラのアレで貸し借りはチャラなんだ」

教科書を被るようにして顔を隠しながらそう毒づき、遅々として進まぬ壁掛け時計を見上げる。

……そして、その不安は早くも的中する事になった。



全く頭に入ってこない授業が終わりタイキが伸びをしたその時、ズボンのポケットが振動した。

「……あん?」

取り出した携帯電話の画面を確認すると、メールを受信した事を示すポップアップが躍っていた。

差出人は知らないアドレスだったが、本文の内容だけですぐに見当がついた。

『話がある。マソラと一緒に来て。地図添付した』



地図にて示されていた場所は、とある喫茶店だった。

駅まで続く大通りを逸れた路地裏にある目的地にマソラと共にたどり着くと、そこには既に先客の姿があった。

屋外に並べられた白い丸テーブルに椅子を引き、紅茶らしき飲み物片手に新聞を読んでいるクロエと、その隣の椅子にちょこんとたたずんでいる灰色ネコ。

「へぇ、アンタにしてはシャレたところ見つけるじゃない。ぶつ森にありそうな」

「だからお前やめろそのゲーム脳……」

手近なメニュー表を掴み取り、可能な限り安い飲み物を適当に注文すると。

「見つけたのはワタシじゃない。リンカ」

「ふーん。あの金持ちのお眼鏡にかなったってわけね。……で、その本人はどこだってのよ」

「先に中で食事を済ませてくるってさ。結局まだお昼食べてなかったみたいだし」

頭を掻きながら、灰色ネコ。

ちょうどその時、注文したウーロン茶が2つ運ばれてきた。

「……さて、と、だ。ちょうどいい、今のうちに可能な限りキミたちに状況を伝えておきたいんだ。……でもその前に、クロエ」

同時、彼女が懐から何か鈴のようなものを取り出し、軽く振った。

「昨日と同じ、人払い用の呪具マジックアイテム。ワタシたちの周囲、少なくともこの店にいる人たちは突然用事を思い出したり、ここにいると気分が悪くなったりする。……今からするのは、あまり聞かれたくない話だから」

その言葉通り、周囲の人たちが突然会計の列に並び始める。

遠くで話していた、同じ学校の生徒らしき2人組も席を立ったのが見えた。

営業妨害じゃねぇのか、とタイキが口にする前に。

「……で、本題」

今度は、手のひらサイズの小瓶を取り出してテーブルの上に置いた。

「んだよ、それ」

彼女はそれには答えず、読んでいた新聞をテーブルに放った。

日付を見ると、昨日のものであるようだった。

「見て。ここ」

言われるがままに、細い指先で示された箇所をマソラと共に覗き込む。

『――昨日の昼過ぎ、本県と隣県境を通る高速道下り線のトンネル内で、大型トラックと逆走してきた乗用車が衝突。消防署によるとこの事故による死者は奇跡的にゼロであり、警察では双方の運転手から事情を聴くと共に――』

「……これが?」

「このトラック、ワタシたちの組織が手配した車」

「……は?」

「いくつかのマジックアイテムや研究資料などをまとめて運んでいた。積み荷はほぼ無事だったけれど、1つだけ失ったものがある。それが……この中身」

言いつつ、空の小瓶を指で弾く。

「……?」

「『原初の者プライマル』。この中にはそう呼ばれている、太古の悪霊が入っていた」

「それが、僕とクロエの仕事の標的さ」

「幽魔の親玉……って、それの事か?」

その言葉に、1人と1匹がゆっくりとうなずく。

「正確には太古の悪霊の残りかす。それでも十分な力がある。……浄化するには至らず、封印するのでやっとだった程度には」

「そんなもん、お前ら……と、俺たちだけでどうにか出来るもんなのかよ」

「十分な力があるとは言ったけど、それは本来の力を取り戻したら、だけどね」

「……?」

「『原初の者プライマル』は封印の影響が抜けきらず、まだ弱体している。正確には衰弱していると言った方が近いかもしれない。だから、早いうちに対処すれば「どうにかなる」はず」

手元の紅茶を飲み干し、小さい彼女が吐き出す。

「という事はつまり……」

「そう。最盛期の力を取り戻されたら、とても太刀打ちなんか出来やしないよ」

ひとしきりの話を聞いたタイキは、ふとある事に気づいて顔をしかめた。

「……で、その封印を解いた馬鹿はどこのどいつだよ」

「それが、さっきの事故。衝突の衝撃で『原初の者プライマル』を封印した瓶が割れて、奴が逃げ出した」

眼前の相手も、どこか困ったように見えた。

「中から割られないように、外から他の幽魔が助けようとしないように、封印の小瓶には霊的、魔術的なものを遮断する防護策が何重にも張られていた。……でも……」

「……オカルトに対しての備えは万全だったが、物理的な破壊は頭から抜け落ちていた、と?」

「……」

コクリ、とうなずく。

んなアホな、とタイキが続ける前に、クロエは目の前の小瓶をつまみ上げた。

「この小瓶はスペア。『原初の者プライマル』を再封印するには、これしかない。……その時が来たら、アナタたちにも手伝ってもらう」

「……おう」

軽くうなずいたタイキは、氷が大分溶けてきたウーロン茶を手に取りつつ心の中で舌打ちした。

原初の者プライマル』だか何だか知らないが、そんな物騒なものお断りだ、と。

適当な頃合いを見計らって例の品を取り返し、後は知らぬ存ぜぬを決め込むまで――

「もちろんだってのよ! あの偉そうな金持ちよりも先に、アンタの仕事を終わらせてやるわ!」

「……」

ふとクロエはどこか驚いたような色を一瞬だけ浮かべたが、すぐにいつもの無表情に戻った。

「……別にリンカとは協力してもしなくても、仕事が終わったら『魂の棺桶』はちゃんと返す」

「それもあるけど、あたしは個人的にアイツに負けたくないってのよ! ああいうのが限りなく気に入らないの!」

「……」

こいつはこの状況をゲームか何かだと思ってるんじゃねぇのかと、再度心の中で舌打ちした。

「……そう。何にせよ積極的になってくれるのは助かる」

カップを口に運ぼうとし、中身が空である事に気づいた彼女は小さく息を吐いた。

「ところでちびっこ。にゃんこでもいいけど、アイツの弱みって何か知らないの?」

「弱み……?」

「実は見せかけだけで本当は借金まみれだとか、頭が弱いとか、おなかが弱いとか。要するに、冷血金持ちの弱点は何かないわけ?」

その言葉に、トオルが口を開いた。

「……『セントラル』のネクロマンサーとサポーターは、僕たちみたいに2人1組が通例、っていうのは前に話したよね」

「うん」

「でも例外があって、単独で行動する人もいる。あの彼女みたいな、ね」

空の小瓶を見つめながら、続ける。

「その理由は大体、強いからさ。1人でも危なげのない実力がある事で、単独行動を許されているというか。身近な例では、僕の姉さんとかもそうなんだけど……」

「あれ、にゃんこ。アンタったら姉ネコいたのね」

「うん、姉ネコっていうか……まあ間違ってはいないんだけど……それは置いといて」

前足を口元に当てて、軽く咳払いをした。

「リンカの実力は頂点ではないけれど、確かにトップクラスではある。だから、相方がいないんだ。彼女が拒否しているという理由もあるけどね」

「拒否、っつーと?」

「弱くて足手まといだからいらない。って言い放ったらしいね。それが本心かどうかは分からないけど……」

「あー、もう、やっぱアイツ気に入らないってのよ! 絶対負けを認めさせてやるんだから!」

「……ところでお前は、どのくらいの実力なんだ」

ふと、気になって聞いてみる。

「僕かい? 一応、平均よりは上の方さ。自分で言うのも何だけど、これでもかなり優秀なんだ」

「……うさんくせぇ」

今度は実際に、舌打ち交じりに吐き出す。

「う、うさんくさいとは何さ! 僕だってリンカには及ばないかもしれないけど、そこら辺の幽魔には負けないよ! あと彼女みたいに前線を張るのは苦手だけど、それでも結構いい線……」

「うるせ。その『セントラル』とやらの評価基準が何だかは知らねぇけどよ。鏡見ても同じ事が言えるのか?」

「この姿は、その……」

器用に二本足で立ち上がり、頭を抱える灰色ネコ。

「……とにかくだ。アイツが強いのは分かったけどよ、こちらの戦力だってコイツくらいだろ」

言いつつ、親指でマソラを指す。

「俺のは何か知らんが不発、お前は自分で言ってた通り戦力外、ネコは知らん」

「……」

「だから、アイツより先に親玉を封印するっつーより、アイツと協力してどうにかする、ってのを考えた方が得策じゃねぇの、と思うんだが」

「……そう。ワタシもそれが1番いいと思う。向こうが乗り気じゃない事を除けば、だけど」

「……あー、僕たちを足手まといみたいに言ってたから、全部1人でやっちゃうかもねあの子……わわっ!?」

困ったように首を傾げるネコを、マソラがむんずと掴んだ。

「あの高慢ちきが協力する気が無いんなら、あたしたちもそれでいいじゃないっての。大体アイツが強いって言ったって、能力からしてあんな冷血みたいな……。って」

「……」

そこでふとタイキは、リンカが氷を操っていた事を思い出した。

こちら2人の沈黙の意味に気づいたのか、クロエが小さくつぶやくように言った。

「そう、リンカも1度死を経験している。そして生き返った。アナタたちと同じく」

「……」

そしてその言葉を、トオルが引き継いだ。

「彼女について、ちょっと調べてみたんだ。『セントラル』内では僕たちとはあまり接点が無かったからね」

「……?」

「端的に言えば、彼女、元々は良家のお嬢様なんだ」

「お嬢様みたいってか、本物の、か?」

「そう。で、小さい頃に、幽魔の襲撃を受けて家ごと全滅。襲われた原因は未だに不明」

「……」

「焼け跡から生き残った、いや、生き返ったのは彼女ただ1人だけ。そこで僕たちの組織に引き取られ、開花したギフトの件もあって今に至るといったわけさ」

「……」

そこで再度、思い出した。

先ほど学食にて、自分が欲しいものはと言いかけて、そのまま背を向けた彼女。

それはおそらく……過去の惨劇を招いた、幽魔に復讐する力なのだろう。

「あ、そうそう。そんな彼女の実力は実際に高いけど、たまに仕事を失敗して帰ってくる事があってね」

ふと、世間話でもするような口調でネコがつぶやいた。

「具体的にはターゲットと指定された幽魔を逃がしてしまったり、ね。彼女の実力では決してそんな事はないはずなんだけど……。ああ、ちなみにその幽魔は結果的に別のサポーターが倒したさ」

「ふーん。弱みじゃない、それ。何だかんだ言って本人が1番無能ってわけ?」

「それは分からないけど……。もう1つ、彼女が請けた仕事では、ある共通点があったんだ」

と。

「……一体何をしていますの?」

頭上から、聞き覚えのある声と共に扇子が突き出された。

「……あー、何でもないよ」

「……おう」

慌てて首を振るネコに相槌を打ったタイキは、背後を振り向いた。

引っ込めた扇子を口元に当て、息を吐くリンカ。

「ま、ド貧民たちが何をしていようとも構いませんわ。それよりも……」

言いつつ手近な席に座り――ただしこちら3人と1匹からはある程度の距離を取り――、扇子をパチンと閉じた。

「流石にこの時間で話くらいは済ませたのでしょう? 『原初の者プライマル』と、例の事故について」

「……そういえば、そのプラ何とかはどこ行ったってのよ? 逃げ出したのはいいけど、まだ見つかってないんでしょ?」

「うーん、現状手掛かりも特に無くてね……」

灰色ネコが、困ったようにクロエに視線を向けた。

「さっき、その『原初の者プライマル』は封印から解かれて逃げ出した、今はおそらく弱体化している、っていうのは言ったよね」

「うん」

「人間に当てはめると分かりやすいかな。弱体化しているという事は、自分で食物、要するにエネルギーを摂取するための行動をする余力は無いんだ」

「……つまり?」

「自身の力で活動できないって事さ。自身が動けないから活動は出来ず、だから僕たちが探し出すための痕跡も見つからない」

そう言われてふとタイキは周囲を見回した。

人気のなくなった店内は目につくものの、やはり『原初の者プライマル』とやらの気配は何も感じなかった。

「動けないんだったら、何も出来ないんだろ? だったら放っておけば……」

「そうもいかないんだ。奴は、存在だけでゆっくりと周囲の幽魔を活発化させるからね。例えば、キミたちを襲ったような、ね」

「……」

「かつ、そのような幽魔たちは……エサになりますの。『原初の者プライマル』の」

「……?」

トオルの言葉を、リンカが引き取った。

「悪霊が他の悪霊を取り込んで、より大きくなっていく。そう言った方が分かりやすいかしら?」

「で、そんな格下の幽魔たちの気配は感じるんだけど、『原初の者プライマル』自体の動きは見つからない」

「向こうから姿を現すように、エサでも必要かしら」

ふと、リンカの視線がこちらを向いた。

「……俺たちに囮になれってか?」

「まさか。現在もゆっくりと回復しつつある『原初の者プライマル』は、力が強いものをエサとして取り込んで、完全に復活しますの」

「言い方は悪いけど、キミたち程度じゃおやつくらいで終わりだろうね」

「……もっと大きなエネルギーを取り込まないと満足しない、か」

「そういう事。だから現れた幽魔たちを辿っていけば、近いうちに『原初の者プライマル』へとたどり着く。それが、1番の近道」

ずっと黙って話を聞いていたクロエが、席を立った。

「さ、おしゃべりはこの辺でいいだろうね。捜索再開といこうか」

そして、その後に続く灰色ネコとリンカ。

最後に、それをタイキとマソラが追う。

「あら、貧乏人たちは帰りませんの? 弱っちくて戦力にすらなりませんのに」

「言うじゃない! アンタなんかあたしの本当の実力を見て驚いて……むがっ」

何かを叫び出した幼なじみの口元を塞ぎ、強引に引き戻す。

「……悪いが、手伝わせてもらう。そういう約束だからだ」

「せいぜい、わたくしの足手まといにならないようにしなさいな」

言いつつ、リンカは手早く自分の分だけの会計を済ませ、表に出ていった。

その後に、小柄な少女がレジに何かを差し出した。

「クレジットカード。ここ、使える?」

それを店員が読み取り機にかざすが、すぐにブザー音が鳴った。

ふと、足元でネコが小声でクロエの足をつついた。

「……あー、確かカードは支払いが滞って、この前止められたんじゃなかったかな……?」

「現金はない。……困った。払って」

「……おう」

学食でのトオルの話を鵜呑みにするならば、『セントラル』とやらで金があるのは実力がある奴だという。

つまり、金が無いのはまた同時に……。

「……」

タイキは財布を取り出しながら心の中で舌打ちし、どうやって早く逃げ出すべきかの算段を立て始めていた。

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