1-2


「……ネクロマンサ―?」

相手から言われた言葉を、そのままオウム返しにする。

立ち上がった彼女の背は、こちらよりも頭1つ分は小さかった。おそらく、タイキよりもいくらか年下なのかもしれない。

「そう。名前を聞いた事くらいはあるはず。墓場から死者を引きずり出し、生き返らせる者」

相手の少女は、無表情のまま淡々と通告するように言う。

「それがワタシ。そして今、アナタを生き返らせた」

「……生き返らせたって、お前は――」

何を言っているんだ、と言おうとして。

「あ……」

フィルムが巻き戻されるかのように、唐突に蘇ってきた記憶があった。

やたら白いだけの謎の空間を歩いていた事。

そこへどうやって行ったのか覚えていない事。

そして……黒い犬の集団に襲われた事。

「っ!」

とっさに周囲を見回すが、その犬らしきものの姿は影も形も見えない。

「もうこの周辺は浄化した。安心していい」

そうつぶやき空を見上げる彼女につられ、タイキも何の気無しに目を向けた。

「なっ……」

先ほどまで綺麗な夕焼け空が広がっていると思っていたが、違った。

今頭上にあるのは、まるで真っ赤な鮮血で塗られたかのような、不気味なまでの真紅に染まった空。

「ただ、この区域全体を浄化しないと、汚染はいつまでも拡大し続ける」

「なんだよ、こんな空の色……。こんなの今までに見た事なんて一度も……」

「ワタシには見えてた。昔から、こういう時はいつも」

つまらなそうに、息と共に吐き出す相手。

「アナタにも、今なら、いえ、これからはずっと見えるようになるはず。奴らに1度殺されて、天界に触れた魂を持ったアナタには」

「奴ら……?」

この数分程度でいくつ目になるのかタイキが疑問を口にした辺りで、眼前の相手は唐突にこちらに指を突き付けた。

「それにしても、酷い恰好。もしかして気づいてないの? 鏡でも必要?」

「……? うおおおっ!?」

彼女の示した通りに、自身の恰好を見下ろしたタイキはすぐさま大声を上げた。

首筋から胸元にかけて真っ赤なペンキでもぶちまけたかのような、血染めの制服。

「思い出した?」

どこか面白そうな声音と共に、しかし無表情のまま彼女が告げる。

「ワタシが到着した時には、アナタは首筋から血を噴き出してそこに転がっていた。ほぼ即死。生きている人間を対象にした現代医療技術なんか、何の役にも立たない」

そう言われて首筋を触る。痛みはおろか、傷跡さえどこにも残っていなかった。

「……それで、お前が魔法で死んだ俺を生き返らせてくれた、と?」

今思うと、あの白い空間は『あの世』だったのかもしれなかった。

「そうなる。ただ、魔法じゃない。蘇生術」

「……?」

「正確には、蘇生術の模造品レプリカ。完璧な術式は、とうの昔に失われている」

ふと、何かに気づいた彼女がつかつかと道路そばまで向かっていく。

「……でも、ネクロマンサーは霊と対話する存在。蘇生技術は不完全でも、こんな事も出来る」

言いつつ、彼女が視線を向けた先にいたのは。

ガードレールのそばに立ち尽くす、半透明な姿の20代ほどの男性。

「まさかコイツも……!」

手にしたカバンを、まるで武器のように構える。

先ほどの黒犬たちと同じなら、今にも襲い掛かってくるかもしれなかった。

だが眼前の彼女は、小さく息を吐いた。

「大丈夫。この魂はまだ汚染されていない。……今はまだ」

そう言って、どこか困惑したようにこちらを見つめる男性に手をかざした。

『あの、僕は……?』

「アナタは死んだ。この場所で地縛霊になった。信じても信じなくてもいい。でも、どちらにせよもうワタシの力では生き返らせる事は出来ない」

ふとそこで、半透明な男性の頭部には真っ赤な血がべったり付着している事にタイキは気づいた。

「……そして、今からここは戦場になる。それに巻き込まれないうちに、成仏した方がいい」

それから彼女が目を閉じると、お辞儀をした相手の姿はうっすらと宙に溶けるようにして消えていく。

「ゴッド・ブレス・ユー。いい旅を。そして、来世にもまた神の加護あらん事を」

彼女は両手で十字を切り、後には何もない元のガードレールだけが残された。

「今、一体何を……?」

「彷徨える魂がいたから、アナタを襲った奴らの影響を受けて同じ存在にならないうちに、成仏させただけ」

「じゃあ、天国にでも行ったのか……?」

「彼が天国へ行くか地獄へ行くかは、生前の行い次第。……なんて。いわゆる地獄に行く事はそうそう無い」

「……そう、かよ」

今しがた目の当たりにした不思議な光景を、どうにか飲み込もうと努力していると。

「さて。そろそろ来るはず。待ち人」

「……?」

と。

「ものの見事に逃げられたね。僕が到着した時にはもぬけの殻さ」

ふとどこか高めの少年らしき声が聞こえ、辺りを見回すが誰もいない。

「こっちこっち。下だよ」

言われてその方向を向くと。

「やあ。血みどろだけど……とりあえずは大丈夫そうかな」

「……ネコ?」

タイキの足元で、小柄な灰色の小動物がちょこんと座っていた。

周囲に誰かいるのかと思い辺りを見回すが、他にそれらしき人影は見当たらない。

「……何だコイツ」

「ワタシの使い魔、みたいなものだと思ってくれればいい」

「優秀なエージェント、と言ってほしいね」

淡々と返す少女と、どこか抗議気味に声を上げる灰色ネコ。

「それにしても珍しいね、キミ。僕を見ても驚かないなんて」

「……」

立て続けに起こる状況に、タイキが言葉を返せずにいると。

「ま、今はそれどころじゃない、かな」

そうつぶやくように言うと、どこか困ったかのように前足で頭を掻いた。

「……で、一回り見てきたけど、やっぱり区画全体の汚染が進んでるね。これは急がないとまずいかな」

「……。今行く」

ふと黒いローブを翻し、少女が背を向けた。そしてその後ろに灰色ネコが続く。

「お、おい、俺はどうすれば……」

「危ないからアナタはそこにいて」

「ごめんね。事情は後で話すから、しばらく待っていてもらえるかな」

それだけ口々に言うと、彼女とネコは駆け出していく。

残される形となったタイキは、舌打ち気味に吐き出した。

「……くそ、一体何だってんだ……」

ふと空を見上げると、広がっていた不気味で真っ赤な空はその濃さを増していた。

そしてとある方向は、より一層禍々しいどす黒い血の塊のような色に包まれているようにも見えた。

その方向は……今しがた1人と1匹が向かっていった先だった。



「……これはワタシの仕事。アナタは来ないで」

彼女を追いかけてたどり着いた、異様な空の真下。

そこで少女から、淡々と言葉が投げつけられた。

「来ないで、って……あの状況で放っておかれて大人しく従えるわけが――」

舌打ちし、彼女に詰め寄る。

と。

ふと視界の端に、何か白いものが転がっているのが見えた。

よくよく見ると、それは近くのゲームショップのビニール袋だった。

袋を拾い上げると、底に空いた穴から新品のゲームソフトがいくつかこぼれ落ちる。

「なんでこんなものがここに?」

どこか不思議そうな声音と共に、灰色ネコが前足でソフトをつつく。

「……っ!」

「ちょ、ちょっと、どこ行くのさ! 危ないからキミは戻ってってば!」

同時、背後からの声も無視してタイキは駆け出していた。

その小動物が小突いていたソフトのタイトルは。

『暁のガンオブクロス』。



「おい、どこだッ!!」

叫び、辺りをただ探し回る。

昼間、自身があれほど離れたいと願った存在を。

死んでも気にしてやるものかと吐き捨てた存在を。

必死になって探し回る。

そして、その建物の裏手の路地に。

「……あ」

一瞬、ドラマか何かの撮影現場かと思った。

何故なら目の前に広がる光景は、日常生活ではまず目にしないものだったから。

まず、目に付いたもの。

赤。

紅。

あか。

一面に咲く赤い花の中心に沈んでいるその人影は……。

「マソラッ!?」

やっと思考が追いついてきて、ただ叫ぶ。

うつ伏せに倒れ込んだ、血だまりの中の幼なじみ。

そして彼女の周囲に、あの時タイキが見たのと同じ黒犬たちがいた。

それらがマソラの周囲に集まり、彼女に噛みつき始める。

まるで、ハゲタカが獲物を喰い漁るかのように。

「……離れろッ!!」

咄嗟とっさに、持っているカバンを振りまわす。

カバンこそ当たらなかったが、闖入者ちんにゅうしゃに気づいた黒犬たちは「食事」をやめ、タイキから距離を取った。

「下がって」

ふと、背後から声がした。

振り返ると、先ほどの小柄な少女とその肩に乗っている灰色ネコ。

「ここからはワタシたちの仕事。まずはあれを駆除する」

彼女が言うと同時、その肩から飛び降りた灰色ネコがタイキたちと黒犬の間に立ちはだかった。

「……。誘導と排除よろしく」

「すぐ終わらせてくるよ」

そして近くの塀に飛び移り走り出したネコの後を、黒犬たちは追いかけていった。

「……っ」

血だまりの中の彼女へ駆け出そうとすると、服が後ろから引っ張られた。

「もう手遅れ。どうやっても助からない」

遠目からも、幼なじみが生きていない事は分かっていた。

さっきの黒犬たちの牙で貫かれても、悲鳴一つ上げないのだから。

でも。

「何で……っ! 俺が、コイツと離れたいなんて願ったから、かよ……!」

「もう死んでる。諦めて」

無情に、冷たく告げる。

「ただ、普通の手段ならば、だけど」

言いながら、事切れたマソラに近づいていく。

「だから……ワタシがいる。任せて」



「―――――――――」

小さな少女は手をかざして、何かをつぶやき始めた。

同時に周囲は白い光に包まれ、その光はかざした手へと徐々に収束していく。

そして光は彼女の手を通し、倒れているマソラへと流れ込んでいった。

「……」

彼女がつぶやいているその言葉は、何語とも取れない呪文のようなものに聞こえた。

しかし同時に、どこか流れる詩のようだとタイキはボーっとした頭で思った。

そして、漂う光がいきなり霧散すると同時。

「んあ……大佐……って、あれ?」

頭に手を当てつつ、マソラがむくりと起き上がった。

「おい、大丈夫か!?」

取っ手部分が千切れたカバンを投げ捨て、彼女に駆け寄る。

「アンタ何してんの? ……ってか空あんな色だったっけ? あとそっちは?」

自身に何が起こったか全く理解していないまま、のんきに伸びなどしているマソラ。

タイキ、次いで謎の少女に視線を向けては首を傾げる彼女に、ひとまずは安堵する。

「んーと、あたしは確か……あ! それよりも戦利品は、って……なんじゃこりゃあああっ!」

手元から消えた買ったばかりのゲームを探し始めた彼女は、そこでようやく自身の身体の状況に気づいて大声を上げた。

「何だってのこれ……血まみれだし、アンタも……」

「おはよう。どう、今の気分は?」

そこで例の少女が、先ほどと同じようにそっと手を差し出した。

「改めて。ようこそ、第2の人生へ」

だがマソラは首を捻り、そのままタイキへと視線を向けた。

「……ねぇ、この暗そうなちびっこは何だっての」

「ちび……っこ……?」

ずっと無表情のままだった少女の表情が、一瞬だけピクリと動いたような気がした。

「……。ワタシは死体蘇生者ネクロマンサー。アナタたち2人を生き返らせた」

「ふーん。で、死霊使いがこんなところで何してるってのよ? 術薬探し?」

「……。疑問は無いの? アナタはずいぶんと飲み込みが早い」

「……諦めろ、こいつはこういう奴だ」

少女はどこか納得いかなそうな顔だったが、すぐに先ほどまでの無表情に戻った。

「……。聞いて。アナタたちは殺された。ワタシが追いかけている存在によって」

「ふんふん」

「……」

全く疑う余地もなく素直にうなずくマソラと対照的に、タイキは無言のまま首を捻った。

先ほどの自身、そして今しがたマソラに対しても行われた、眼前の相手による蘇生という行為。

それは疑ってはいなかったが、状況に頭が追い付いてこなかった。

「信じても信じなくてもいい。ワタシはただ、仕事をしたいだけ」

そしてふと、彼女は背を向けた。

「だから、その仕事を――」

と。

「ひとまずの分は終わったよ。あくまでも一時しのぎでしかないけどね」

聞き覚えのある声が聞こえ、タイキは先ほどと同じように足元へと視線を向ける。

声の主は辺りを見回しているマソラの肩に飛び乗り、前足で顔を掻いた。

「こっちも終わったみたいだね、クロエ。しばらくは安全だろうけど、早いうちにこの場を離れるべきだと僕は思うよ」

「へー、これアンタの使い魔?」

灰色ネコにクロエと呼ばれた少女は、興味津々に小動物をつつくマソラへと視線を向け、それから息を吐いた。

「……。そう言えば自己紹介が遅れた。クロエ。コードネームのようなものだから、好きに呼べばいい」

「じゃあ、ちびっこ」

「……それはやだ」

「えー、あたしよりも小さいってのに」

お互いの頭頂部に手を当てて身長を比べているマソラの手を払いのけ、クロエはアスファルトの上に降り立った灰色ネコを指した。

「こっちはワタシの相棒。割と便利。トオルって呼ぶ」

「……んだよ、随分と人間みたいな名前だな」

だが少女はそれには答えず、空を見上げた。

いつしか先ほどよりも「どす赤く」染まった、見た事のない空の色。

「さっきも言った通り、この空も、アナタたちの死も、ワタシが追いかけているものが原因。それを排除……いえ、封印する事がワタシとトオルに与えられた仕事」

「……そうか、大変だな」

「ギルドからの討伐任務ってヤツ? 頑張ってねー。あ、生き返らせてくれてあんがとね」

お互いそれぞれの感想を吐き出した時、ふとクロエは再度背を向けた。

「それで、ワタシの仕事を……アナタたちにも手伝ってもらう」

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