ヘルメットと布団圧縮袋と常識
ポピヨン村田
茜とヘルメット
ヘルメットをかぶることは常識だ。朝起きて顔を洗うように、道で困っている人がいれば声をかけるように。
今日も茜は鏡をチェックする。
否。いつもより入念に、鏡に映るヘルメットを真剣に見つめた。
ヘルメットの角度、艶を確かめて、最後に細かい傷がないかよく見聞する。
茜は満足してうなずいた。
今日も、あたしのヘルメットはばっちりだ。
「相変わらず熱心ねぇ」
朝っぱらから洗面所を独占する茜を見て、母は溜め息をついた。
「ヘルメットなんて何でもいいじゃない。あんた、また何時間もかけてそれを選んだんでしょう」
茜はちらりと母を見やる。
母のヘルメットは随分と年季が入っていて、縁はひしゃげているわ切れかかったベルトはガムテープで繋げてあるわでひどい有様だ。
たぶん、ペットのクロ(芝犬:オス6歳)のヘルメットの方がまだ上等だろう。あっちは最近買い換えたばかりだ。
「別にいいでしょ、わたしの勝手!」
茜はぷいとそっぽを向いて学校鞄を手に取った。
途中、父とすれ違う。
「おはようお父さん」
「おはよう……」
父は眠そうだ。あいさつもそこそこに、コーヒーカップを手にキッチンへと消えた。
元々、物静かな父である。
しかし娘がいくらヘルメットを買い換えても小言を言わないので、茜は正直父の寡黙さに助かっていた。ヘルメット一個でも、中学生のお小遣いでは少しばかり痛い。
「いってきまーす!」
茜は玄関で声を張り上げた。
「いってらっしゃい、帰りにヘルメットショップに寄り道するんじゃないよ!」
「いってらっしゃい……」
クロが元気よく鳴いて茜を見送った。
茜はいつもの道を行き、学校を目指す。
いつものように小学生の集団登校や、犬の散歩中のご近所のおばさん、駅へ向かって駆けていくサラリーマンとすれ違う。
茜はそれらをすべて見逃さず、ヘルメットの具合を確かめた。
小学生がかぶるちいさなヘルメットには、茜の母校の校章が入っている。
茜は、小学校の入学直前に、『あんなダサいヘルメットをかぶるなんて絶対嫌!』と駄々をこねたことを思い出して、少し笑った。
近所のおばさんのヘルメットは、茜の母同様大分ガタがきている。しかしおばさんは全く気にならないようで、堂々と道を闊歩していた。
母曰く、『物は何でも、使い倒してこそ価値を認められる』らしいが、たぶんモッタイナイ精神で捨てられないだけなのだ。
そういえばあのおばさんの母に当たるおばあさんは、孫が高校生の頃に使っていたアバンギャルドなデザインのヘルメットをいつの間にか自分のものにしていた。だから、きっとそういうことだ。
散歩されている犬のヘルメットはおそらく新品なので、茜は心の中で『よかったね』と声をかけた。大事にされているようで安心した。
スーツ姿で必死に走るサラリーマンのことは、茜はちょっぴり苦手だった。
このサラリーマンは身なりがややだらしなく、ポケットは中身がめくれかえっているし髭は剃ってないし、何よりヘルメットをきちんとかぶらず、ベルトを首にひっかけて後頭部に垂らしていた。
あの様子はご近所の主婦にも評判が悪い。
『いやぁね、みっともない』
『子供が真似してちゃんとヘルメットをかぶらなくなったらどうするのかしら』
『最近の若い人ときたら常識がないんだから……』
茜は、母とご近所のおばさんたちの井戸端会議を思い出しながら、うんうんと深くうなずいた。
そうこうしているうに、学校へ辿り着いた。
茜は、校門の前に立ち、朝の清々しい空気をおもいきり吸い込む。
いつもの朝だ。けれども今日は、最高の日だ。
おろしたてのヘルメットは、やはり気分が全然違う。
みんな、きっと茜のヘルメットが昨日と違うことには気がつかないだろう。
茜はそれを少し寂しく思うが、それでもよかった。
茜は、みんなが当たり前にかぶるヘルメットのことが、特別好きだったからだ。
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