はじめて見る顔

もみ もみじ

第1話 路上

 人というものは変われるものなのだろうか?

 

 そんなことはない。


 ある日突然、特殊能力を得て世界がキラキラと輝いておりました、なんてことがあるはずがない。

 ゲームかなんかでそんな魔法があったような。何色のエフェクトだったっけ?


 ――なんにしろ、現実にはありえない。



  つい流されてしまった思考をとがめるように、こちらをのぞき込んでいる顔がある。

 

 「聞いてた? こんにゃろ」

 

 男にしては長めの茶髪の上で踊るアホ毛が疑問符になって近づいてくる。

 とっさに取り繕って言葉を継いだ。


 「思ったよりもフレンドリーだった気がした」


 「だよね! だよねぇ~。そうだよね!」

 

 速攻で帰ってきたレスポンスに、内心胸をなでおろした。


 「出会いだよ。で・あ・い。出会いが俺を待っている~」


 友人、と言っていいのだろうか?

 要はサークルにも入らず、講義の後はバイトにばかり精を出す、キャンパスで所属すべき場所を持たない者どうしの馴れ合い。


 二人で駅に向かって歩いているのは、年が暮れるまでに決めるべきゼミ訪問に一緒に行ってきた帰りだからだ。

  正確には、積極的に攻めている仲間に無理やり連れて行かれた、というのが正しい。半ば強引に付き合わされたことに、わずらわしさと同時に感謝もしていた。


 しかし、常に彼女欲しいオーラ全開の谷山にとっては、ゼミ参加は既に半分を過ぎようとしているキャンパスライフの超重要ポイントで、今ここを押さえなければ大学生になった意味がない! ということになるらしい。



 真っ赤なパーカーの胸元にプリントされたバンドの音楽に乗って天空に舞い上がりそうな男は、今日の成果を噛みしめるようにガッツポーズを取った。


 寒空の下に掲げられた拳に熱を感じる。

 うらましいかぎりだ。

 それにしても派手な服だと思う。


 いざ訪問、の前に、


「また派手な服を着ちゃってまあ……ゼミ訪問だぞ?」


「印象に残った方がいいんだよ。お前は地味すぎ。キリッ」


 やりあった結果は、谷山にとって吉と出たようだ(本人談)。


「――綺麗な先輩だったよな。それに後からきたあの子も同じゼミになったら俺どうしよう? どうしたらいい? おせーて、おにーさん!」


 結んで開いた両の手を頬にあて、ムンクの叫びのような微笑みを振りまきつつ、骨が抜けたような柔軟さで腰をくねらせている。

 この人目をものともしないテンションの高さは、偶然にも訪問が被った女子の中に可愛いがいたことに事を発する。


 既にゼミ加入は確定したも同然、光り輝く未来は俺のためにある、早く来年にならないかなぁ。

 これから冬を迎えるというのに、春めいた男の口は止まらない。気が早ええっつーの。


(ゼミにしても、彼女にしても向こうにも選ぶ権利ってもんがあるんだぞ)  


 そう言おうものなら全力で殺しにきそうだ。このままやらせとこう。

 年上の色香がどうとやら、同い年もいいけどやっぱり年下もすてがたい、妹属性は正義! でもやっぱ今日のあの子最高だし。同い年最強説!

 炎々と続く最強列伝にとりあえず相槌あいづちを打っておく。

 

 やっぱり、あまり乗り気になれなていない自分がいる。


 あと二年か……。


 首裏に寒気を感じて、灰色の空と、味気ない雑居ビルに擬態するようなグレーのコートの襟を立てた。


「で、お前はどうだった?」


 駅ビルが視界に入ってきたタイミング。

 それまでのおちゃらけた雰囲気を引っ込めて、ぐっと引き締しまった声が鳴った。


 すぐに返すことができないことが返事になってしまう。

 

 直後、じっと見つめられていた眼光が緩んだ。

 ニタァ、弧を描いたそれが俺に問い詰める。


「お前のタイプ、教えろよ。気になった娘いた?」


 やっばそっちかよ……。


 それはそれで困るんだけど。



 俺はいいよ。彼女とかメンドクサイからいらない。



 その答えは話しの流れからして無しっぽい。 


 どう答えようか?


 だが、こうなることすら察するのがこの男なわけで。


「じゃあさ! 選択問題な。 1、年上 2、キレイ系、3、かわいい系 4ツンデレ、以下、妹属性、ロリ巨乳、スレンダー、天使、……」


 春真っ盛り系男子の今日の嬉しかった出来事(時系列順)及び、個人的願望が並んだ選択肢を与えられた。天使ってなんだよ!?


「その中だと……年上、かな」


「ははーん。お好みは綺麗なお姉さん系ですかぁ。いいよね! フェロモン全開のお姉さん。あらー、そういうご趣味でしたかぁ」


 うほほほ。

 しなを作って流し目をよこされても困るんですけど……。


 っていうか全然伝わってない。とっさにイメージしたのは白くて柔そうな二つの腕と、光の中で優しさに包まれたような……。


 どう説明すればいいのか分からず、そうじゃなくて、としか言えずにしばし沈黙。


 「うーん、難しいヤツだなぁ。そんじゃ、これは無し、はある?」


 「妹属性」


 「おっ、今度は早いね。で、なぜに?」


 うーん……、


 「実の妹にリアルで恋しちゃうとかあり得ないだろ。ついでに言うと俺、妹いるからこそ年下はかんべん」


 「マジか? 妹いんの? しょーかいして!!」


 「お前が会えたらな」

 とっさ出てしまった……言い過ぎたか?


 「……? ふむ……苦手意識があって、隠したくなると。――よほどレベルの高いツンデレちゃんと見た。これで引きこもりだったらエロ漫画家先生だな! いいね!! もえるわ!」


 そうじゃなくて!

 この軽口がなければモテるんだろうけどなぁ。ルックス悪くないのに。


 「――けどさ。ちっちゃくて守ってあげたくなる系の正統派妹属性ってのはいいもんだって。――ほら、あの娘みたいにさ」


 顎をしゃくった先に目を向けると、ショーウィンドウを見つめる、明るめな髪をショートカットにした小柄な女の子がいた。


「小さい体に黒ニーソ。絶対領域がいいね。しかも小顔でかわいい」


 どこから説明してんだよ。

 けど、たしかに小さいけどスタイルのいい子だ。


「いや、あの娘まじでかわいいわ。近来まれにみるどストライク」


 冗談ではなさそうな小声が届いた。

 

 あれ? あの娘、もしかして。


 二人の強い視線に気がついたのか、明るめの髪がゆれて、すっと通った鼻筋の上の大きな瞳がこっちを向く。


 一瞬、見開いた瞳を輝かせて、見覚えのある愛くるしいあひる口が開いた。


「あーっ!! 先生っ!」


 袖を通しただけのハーフコートの中で、白いブラウスを揺らしながら女の子がぱたぱたと小走りに近づいてくる。


 そのまま胸元まで駆け込んできたつぶらな瞳が見上げてきた。

 フローラルなシャンプーらしき匂いと共に放たれる言葉。


 「お久しぶりです! やっと会えた! わたし先生にお礼を言いたくて会いたいなぁ、ってずっと思ってて。隣の大学なのに全然会えないんだもん」


 化粧っけのない自然な笑顔をまばゆいばかりに輝かせ、色白の頬が呼吸にあわせて薄桃色に染まってゆく。

 赤面してしまいそうなほどに顔が近い。


 ポカーンと目と口を逆三角にして固まっている、チャラ男風まじめ男が絞り出すような声を出した。  

 

 「先生? どーゆーこと?」


 「去年塾講師のバイトしてたって俺、話したよな? そのとき生徒さんだったナナミさん。今は大学一年だけど」


 三年生のJKに教えてたってこと? 

 トンビがくわえた油揚げを狐に盗まれたような顔をした谷山を無視して続ける。


 「えっと、友達の谷山。同じ大学の」


 「すいません。お友達がいるのに。私ったら。えへっ」


 ぺろんと舌をだした彼女は俺から少し離れた。


 「ナナミナナミです。苗字が名前のナと波で名前の方は七つの海です。よろしくお願いします」


 張りのある声。それでいてちょっと舌足らずなしゃべり方。


 さっきまで浮かれていた男はいまや成層圏まで舞い上がっている。きっと今頃、天上に姿をおぼしめした神々に感謝の祈りを捧げていることだろう。

 そして、そんな彼でも会話の突端とったんを捕まえていた。さすがにこれは話のきっかけになる。


 「苗字と名前、同じなんだ」


 「そうなんですよ。呼びやすいでしょ? それに覚えてもらいやすくて気に入ってます。先生も覚えててくれたし」


 ビーナスが迷える子羊に視線を向けたのは一瞬だった。くりくりとした目線が戻ってくる。


 「やっぱりインパクトあるからね。忘れないよ。――でもどうして? 挨拶なら合否発表の後にしたでしょ?」


 「そうなんですけど……わたしが受かったのって先生のおかげだなぁ、って思うところがあって、個人的にお礼が言いたくて。――入学したあとにあらためて塾に行ったんですけど、先生辞めちゃってるし、個人情報だからって連絡先も教えてもらえなくて……」 


 「元々代理で講師やることになったようなもんだったから……それと塾っていってもあそこ企業経営だからそういうとこしっかりしてるかもなぁ」


 「しっかりしすぎですよぉ。おかげで再会するのにこんなに時間かかっちゃった。隣の大学なのは知ってたんで、会えないなぁ、ってずっと思ってたんですよ?」


 小動物のようにふるふるしている彼女は、いちど唇を締めてから、


 「いま時間ありますか? よかったらゆっくりお話できると嬉しいんですけど」

 強い光りをたたえた眼差しを向けてきた。



 どうにかここで済ませられないものだろうか。

 思案しているうちに「俺はいいから行ってこいよ」谷山に背中を押されてしまった。

 

 ついさっき年下には興味はないと言い放っていた男と、近来まれにみるどストライクの美少女を残して、口から魂を放出した谷山は、ハイライトの消えた瞳を地面に落としてふらふらと歩いてゆく。 


 すまん。


 心の中で手を合わせた。


 背中を丸めた赤いパーカーがエスカレーターにのまれてゆくを見届けて、二人はゆっくりと歩き出した。

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