「ロリババア」をお題にした小説

 時は平安。場所は京の都、朱雀大路の五条大路。平たく言えば、長方形のほぼ真ん中を、真夜中、一人で歩く男がいた。

 男は名を言葉影星ことのはかげぼしという。年の頃30前の、まだ若い男である。その若さだというのに、一本残らず真っ白になった髪は、若さ故の瑞々しさを残したまま、月明かりに照らされて銀色に輝いていた。鋭い瞳は夜の闇と同じ色をしていて、どこか遠くを眺めているようであった。

 この男、何者かと言われれば陰陽師である。いや、陰陽師とは名ばかりの“怪異殺し”の一族の者であった。

 平安の怪異殺しといえば、酒呑童子や茨木童子を退治した源頼光とその四天王が有名であるが、歴史に残らずとも平安の市井に名を知られているのはこの影星であった。影星。影法師のような男である。言葉ことのはの一族は、名が示す通りに言葉遊びを好む。この平安京を影から支える男に、この名は似合い過ぎる程似合っていた。

 そんな男に、話しかける女が一人。


「良い夜ですね」


 透き通った声である。人がおらず、遮るものが何も無いこの夜の京ということを差し引いても、良く通る声でもあった。

 影星はゆっくりと振り向き、その女の姿を確認した。

 美女、というより妖女であった。夜の闇の中でも尚黒く見える髪と、それと全く対照的な真っ白な肌が、見る者に美しさより薄ら寒さを感じさせる女であった。

 影星は彼女を見て、口の端を少し吊り上げて、言った。


「影星様は確かに頼りになるお方だが、しかしあの方のおられるところには必ず怪異がおると言われるこのおれに、良い夜ですねなどと話しかける女がおるものか。元よりこの影星、不吉の象徴よ。そも、この周りには人払いの結界を張っておる。その中に入ってきている時点で尋常の者ではあるまい。


 女はまくし立てられて狼狽した。目前の男がわけのわからないことを言っていることに対してではなく、その言葉の全てが図星を突いていたからだ。


「貴様……最初からわかっておって、儂をおちょくるために隙をみせるふりをしておったか」


「それはお互い様だろう。鬼の変化を、この影星が見破れぬはずもなし。貴様が昨今京を騒がす鬼、桜花童子だな」


「儂の名を気安く口にするなよ、人間!」


 鬼はとうとう変化を解いた。黒髪から、名が示す通りの桜色の髪に、白い肌から、薄赤い肌に、。その周囲には、桜の花弁が意志を持つように舞い散っていた。


「それがお前の本当の姿か、桜花童子」


「いかにも。恐れ戦くが良い、コトノハの陰陽師!」


(これは……まずいな)


 影星は冷徹で有名な男であった。敵対した怪異には容赦無く死を与える陰陽師、怪異殺しとして味方からも恐れられるほどだ。だがしかし。


(見た目も口調も……おれの心をこうも熱く燃やすものだとは!)


 性的嗜好が、1000年余り未来にぶっ飛んでいる男であった。

 そして思わず、まかり間違っても言葉ことのはの怪異殺しが口にしてはならぬことを、口にしてしまった。


「桜花童子よ。お前がおれの妻になってくれるのならば、お前を退治しないでおいてやっても良いのだが……」


 私情である。私情しか籠もっていない言葉である。喋ることの一言一句に気を遣う言葉ことのはの一族の者が、死んでも声に出してはいけないものである。

 そして案の定、それは目前の鬼を激昂させた。


「どこまでも儂を愚弄するか……人間!」


 ドン、と何かが爆ぜるような音がしたかと思うと、既に桜花童子は影星の懐に入り込んでいた。


(しまった……!いや、しかし……!)


「せっ……へきッ!!!!」


 思わず声に出たのは、そんな叫びであった。性癖、を言い損ねたものである。いや、そもそも性癖を性的嗜好という意味で使うのは誤用であるから、この時代では絶対にその意味で使われないというツッコミは勘弁願いたい。そもそも1000年余り未来にぶっ飛んだ男である。こういったこともあったのだろう。


「ムッ、ヘキ……霹靂、稲妻か!?おのれ小癪な!」


 意外なことに、桜花童子は影星の叫びを聞いて後ずさった。何故かと言えば、言葉ことのはの一族が使うしゅは、名の通り言葉に関するものであるからだ。

 言葉ことのはの呪は、禹歩うほを踏み、殲、という一言と、何か意味のある文字を組み合わせるだけで、急々に律令の如く“成る”のである。例えば、殲、霹と叫べば稲妻が落ちるような。先程の影星の叫びは、偶然にもそれをやったかのように桜花童子には聞こえたのだ。言葉ことのはの呪を知っているが故の警戒である。全く的外れであったが。


「でまかせか……まったく、これだから言葉ことのは相手はやりにくいのじゃ!」


(い、命拾いをした。まさかこの影星がここまで心を波立たせるとは。何にせよ、仕切り直しだ)


「覚悟せよ!殲、爆!」


「ぬぅっ!」


 今度こそは真実、呪が発動する。桜花童子を中心に爆発が起こらんとするが、彼女は間一髪、後ろに飛んで爆発を回避した。しかし、そこに影星の声が重なる。


「殲!鎖!」


 サ、という一音だけでは、桜花童子は何が起こるのか理解出来なかった。しかし、すぐに実感としてそれをすることになる。

 爆発が、追ってきていた。燃焼の連鎖、爆裂の鎖!生き物のように、爆発が桜花童子を追う!


「なんとォッ!」


 本来なら後ずさるところを、しかし桜花童子は、爆発と爆発の一瞬の隙間を狙って、前進することで回避した。だが、これに影星は冷静に対処する。


「殲、縛!」


「1つ覚えかぁッ!」


 バク、という音を聞き、桜花童子は先程と同じく爆発が起こるのだと判断した。しかし、それは謝りだ。影星の掌からは、夜の闇に紛れる紫色の紐が幾本も放たれ、桜花童子を囲んでいた。


「取った!殲!棘!」


 桜花童子を取り囲んでいた紐から、鋭い棘が一斉に生え、あたかも獣が獲物を噛み砕こうとするかの如く襲い掛かる。


「甘いわぁッ!500と余年を生きる大妖の儂を侮るでないぞ!」


 棘が桜花童子に届くことはなかった。棘の一本一本が、桜花童子を取り巻いていた桜の花弁に止められている。いくらそれを砕こうとしても、金剛石を素手で潰そうとするかのようにまるでびくともしない。

 そうして再び、桜花童子は影星の懐に入り込んだ。彼が纏う狩衣に、彼女の体がのしかかろうとする。


(しまっ……うわ顔ちっちゃ……!可愛ッ……目が潰れる!)


 死の間際の人間の思考は、極限まで加速される。今までの記憶や経験から、この状態を脱出する術がないか検索するためだ。そして影星は、推しの顔面が目前にあることに尊死とうとししかけながらも、なんとかそれを導き出した。


(目が潰れる……そうか!)


「殲!光!」


 彼が唱えたのはただ光を出すだけの呪。だがその単純さ故に、極めて強く効果は現れ、一瞬だけだが京の町は昼間のように明るく照らされた。

 桜花童子の


「なっ、ぬっ!?何も見えん……!おのれ影星!この勝負、預けておくぞ!」


 当然影星も強い光の中で目は見えぬ。だが、耳元で聞こえる愛らしい声に、だらしない表情をしていた。桜花童子の目が見えなくなっていて幸いであったろう。


 こうして、大妖桜花童子と怪異殺し影星の最初の対決は幕を閉じる。この二人、この後も様々な出会い方をするのだが、それはまた、別のお話。

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