ワンライ置き場

まつこ

「TS」をお題にした小説

 薄暗い部屋に、男女が二人――――――これだけを見れば変な想像をしてしまいそうなものだが、この二人はそういった関係ではない。何より、男の方はよわい90にもなろうかという老人である。

 そして、部屋にある物も、色気とは程遠い。フラスコ、試験管、怪しげな動物の部位のホルマリン漬け……つまるところ、研究室と言われるべき場所だった。この中に入った人間は薬品の匂いにむせかえるほどだろうが、今部屋にいる二人にとって、それは最早自身の体臭である。今更気になるものではない。


「いよいよですね、師匠」


 女の方が、部屋に満ちる緊張感に耐えられなくなったのか、口を開く。それに対して老人は静かに答えた。


「ああ。いよいよ完成する。我ら錬金術師の悲願……賢者の石が」


 賢者の石、あるいは柔らかい石。錬金術師の求める真理の1つ。それはあらゆる病を治す万能薬……否、薬エリクサーの原料になり、鉛を金に変える物体。この男女二人は、錬金術師とその弟子であった。


「ええ、師匠。この石さえあれば……」


「ああ……儂は、儂は……」


 老人は泣きそうな声でそう呟き、弟子もまた、喜びに震える師を喜びの感情を籠めて見詰めた。


「儂は……美少女になれる!!!」


「は?」


 錬成された賢者の石を手に持ち、突如意味不明なことを言い出した師に、弟子は最大限の罵倒の意を込めて、その一音を放った。だがしかし、老人は意に介していない。なんなら小躍りしている。


「長かった!いや本当に!儂寿命長くてよかった!あと5年寿命が短かったら出来てなかったもん!!!」


「おいテメエクソジジイ何言ってやがる!全能薬作って世界中の人の病気を治すんじゃなかったのかよ!!!???」


「へーへっへっ、ありゃお前という優秀な助手を勧誘するための甘言じゃアホめ!だってお主天才じゃったもん!言うてこの賢者の石作れたの8割お主の功績!」


「ありがとうございます!!!じゃねえ!!!テメエその賢者の石渡しやがれ!!!」


「いやじゃぁぁぁ!!!儂はこれを使って美少女になる薬作るんじゃああああ!!!」


 90の老人と、17歳の少女の取っ組み合いの喧嘩が始まる。今まで必死にかき集めてきた研究資料や器具をしっちゃかめっちゃかにしながら。


「儂の夢だったんじゃぁぁぁ!良いじゃろ!儂が美少女になってからまた改めて作り直せば!もうちゃんと作り方わかったし!」


「うるせえ!90の小汚ぇジジイの薄汚れた夢のためにそんな貴重なモン使えるか!!ってか賢者の石で美少女になれるわけねえだろ!!」


 今まで思っても口に出てこなかった数々の罵倒が激しい語気と共に吐き出される。正直、彼女のことを可愛い女の子だと思って弟子にした老人はかなりドン引いていた。


「なれるじゃろ!鉛とか銅とかを金に変えられるならジジイ一人美少女に変えるくらい余裕じゃろ!」


「仮に出来たとしてもやらせねえよ!クソッ、渡せ!!!」


 とうとう弟子は師を部屋の隅に追い詰めた。両足に力を入れ、渾身の勢いで飛びかかろうとした、その時。


「ぐっ、ぐあああああっ!?」


 突如老人が苦しみだした。胸の辺りを抑え、床をのたうち回る。


「し、師匠!?猿芝居ならやめてくださいよ!?」


 流石に弟子も本当に心配になり、元の口調に戻りながら師に駆け寄る。


「いや違う、これガチなやつ、ガチなやつ!」


「ガチなやつならそんなこと言えなくないです!?」


 とはいえ、本当に顔は青く、今にも死にそうである。これから医者を呼んでも、間に合いそうになかった。となれば、解決する手段は……


「師匠、賢者の石を渡してください!」


「なっ、お主、この期に及んで……!いや、そうか!」


「はい!今からそれを水に溶かし、全能薬を錬成します!」


「た、頼む……!」


 そうして老人は弟子に賢者の石を手渡した。弟子の少女とて、5年近く面倒を見て貰ったこの男に死んで欲しくはない。それが例え、賢者の石を使って美少女になりたがっている狂人だったとしても。

 大慌てしてはいたが、慣れた手つきで弟子は器具を用意し、賢者の石を溶かした。師の呼吸音はどんどんと苦しげなものになっている。

 弟子は出来上がった全能薬をコップに入れて、師を抱き起こしながらそれを飲ませた。呼吸は安定したが、しかし、しばらくすると師はゆっくりと目を瞑った。


「師匠、師匠!?」


 弟子は何度も師の体を揺すり、動かなくなった師の体に縋り付いて泣いた。やがて泣き疲れ、その場で眠ってしまう。


 そして、翌日。


「うぅ、師匠……」


 悲しみの中弟子が起きると、そこに師の死体は無かった。


「し、師匠!?」


 叫んであたりを見回すと、師の白衣が作業台の向こうで揺れているのが見えた。這うようにそこに進み、師の姿を確かめる。果たしてそこには。


「いやあ、助かった。本当に助かったぞ、我が弟子よ」


 ニンマリと笑いながら、師と同じ口調で話す、自身と同じ年頃の少女がいた。


「て、て、テメエクソジジイィィィィー!やっぱ猿芝居だったのか!ホントに殺してやるゥゥゥゥ!!!」


 脳が一瞬で、これは賢者の石の力によって美少女になった師だと理解した。胸ぐらを掴み何度も揺する。昨日よりよほど軽い体だった。


「待て待て待て、早まるな!死にそうだったのはガチじゃ!信じてもらえんかもしれんけどガチじゃ!あんな演技がこの研究一筋の男に出来るわけなかろうが!いや、今は美少女じゃが!!!」


 その言葉には説得力があった。確かに、あの時の師は本当に死にかけていたと、弟子も思う。ということは、なんとかギリギリ処置は間に合い、師は蘇ったのだろう。彼の理想の美少女として。


「あ~~~~~、もう何も言えない……ってか師匠、なんで美少女になりたかったんですか」


「む、むう、聞くか?ちょっと恥ずかしいのじゃが……」


 もじもじと頬を赤らめて、金髪碧眼の美少女になった師は言う。これが老人の姿だったら弟子もうわっと声を上げたであろうが、不覚にも、その仕草が可愛いと思ってしまった。


「笑うなよ。儂はな、お前と姉妹のように買い物がしてみたかったのじゃ」


 意外な返答であった。てっきり女湯に合法的に入りたいだとか、女になった自分の体を好き勝手したいだとかの下卑た欲望のためだと思っていた弟子は、すっかり毒気を抜かれてしまった。


「まあ、儂のわがままのためにこんな研究に長い間付き合わせたのは悪いとは思うが、これからはたくさん二人で女の子らしいことをしようじゃないか」


 そう言われて、弟子は随分と嬉しい気持ちになったが、しかし……


「アンタが私より可愛いの、納得いかねェ~……」


 そう呟いて、大きく溜め息を吐いた。

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