第273話

 ガリア軍を迎え撃つ決戦当日の早朝――シオンは、エレオノーラと滞在した国境線近くの町で、ステラと合流した。ステラの護衛に付いているユリウスとプリシラも含め、今は五人で町はずれの平野で立ち話をしている最中だ。


「本当に来たのか」


 ステラを前にして早々、シオンはやや呆れた声色で言った。あと数時間後に、ここから程近い場所でガリア軍と議席持ちの騎士たちが軍事衝突を起こすというのに、女王自らがこうして近場に赴いている。シオンは、怒りを通り越し――いや、こいつはこういう奴だったなと、怒りの感情が沸く前に、諦めが先行しての態度だった。


「はい。教皇の計画通りであれば、ガリアに連れ去られたログレスの国民は、ここに送られてくるはずですから」


 ステラはシオンに対し、毅然とした振る舞いで応えた。

 教皇の計画――ガイウスは、今回の粛清に当たり、ガリア軍に強制連行されたログレス国民の返還も計画に含めていた。おそらくは、大陸諸国に向けた心象操作が目的だろうと、シオンたち騎士は想定している。連れ去られたログレス国民を無視してガリア公国を粛清すれば、多数の反発の声が上がることを懸念しているのだろう。ログレス王国の主権回復に一役買った直後とあっては、それなりの温情を世間に見せた方が、ガイウスも色々と都合がよいと考えているのかもしれない。

 また、その理由と併せて――


「連れ去られたログレス王国民全員の返還を条件に、ガリアがログレスに侵略することを教会は黙認する――ガリア大公はその取引が成立したと思い込んでいるようだな。ガイウスはただ、ガリア大公から侵略黙認の打診を受けた時に“ログレス国民全員を返還しろ”としか言っていないのに」

「勝手に思い込んだ方が悪いんですよ。私の立場からしてみれば、いい気味です」


 ログレス王国民の返還は、ガリア大公を“その気にさせる”ための餌にもなっていた。ガリア大公は今、ログレス王国獲得のために冷静さを欠いており、その隙をガイウスは利用したのだ。

 どことなく卑しさを感じるやり口だが、ガリア大公が今までやってきたことを鑑みれば、自業自得と言わざるを得ない。先のステラの発言も、それに肖ったものだ。


 しかし、あの優しいステラの口からそんな辛辣な言葉が出てくるとは――シオンの双眸には、どことなく寂しさが浮かんでいた。


「それにしても、わざわざ女王自ら出迎える必要はないだろ。ここから数十キロ先は戦場だぞ」

「ちゃんと全員が戻ってくるのを、私の目で確かめたいんです。それに、この国はシオンさんたち議席持ちの騎士たちが守ってくれるんでしょう? であれば、何も心配ありません」

「女王になってから、厚かましさが一層増したな」

「信頼しているんですよ。ていうか、口には気を付けてくださいね。私はもう大国の女王なんですから。不敬ですよ」


 ステラはそう言って、わざとらしく威張り散らした。シオンは顔を顰め、肩を竦める。


「俺たち騎士は教皇以外の君主や権力者への服従義務が特権で免除されている。お前に軽口を叩いたところで何のお咎めもない」

「シオンさんこそ相変わらずじゃないですか」


 お互い様だと、二人は苦笑した。

 次に、シオンは表情を真面目にした。


「お前の護衛にはユリウスとプリシラ、それとエレオノーラを付ける。他にも十人ほど騎士がこの街に駐在するが、ガリア公国との戦闘が終わるまでは必ず三人と一緒に行動するように」

「はい」


 言われて、ステラはエレオノーラに視線を向けた。エレオノーラは、シオンの後ろで、何故か居心地悪そうにしている。いや、もじもじしている、という表現の方が妥当かもしれない。


「最近はエレオノーラさんと話す機会も少なくなっちゃいましたよね。久しぶりにお話できるの、楽しみです」


 ステラが声をかけても、エレオノーラはまるで耳に入っていない様子だった。


「エレオノーラさん?」


 もう一度ステラが訊ねて、エレオノーラはようやく目の前に意識を向けた。


「え、え? な、なに?」

「どうしたんですか? 何か考え事ですか?」

「い、いや、考え事というか……」


 エレオノーラが、もごもごと、尻すぼみに声を小さくする。

 そのあとで、


「なんでこいつは平然としていられんのよ……!」


 シオンのことを恨めしそうに睨んだ。だが、その頬は微かに紅潮しており、恥ずかしさに居たたまれないといった面持ちだ。


 そこへ、プリシラが、ずいっとやってきた。


「おい」

「な、なに?」


 プリシラは、エレオノーラの顔を見るなり、まるで悪霊に取り憑かれたかのよう表情で凄みを利かせた。


「私の気のせいか? 少し見ない間に、随分と様子が変わった気がするが?」


 プリシラからの鋭く凍てついた視線に、エレオノーラは咄嗟に顔を背ける。後ろめたそうに、顔には愛想笑いが浮かんだ。


「な、何のこと?」


 しらばっくれるエレオノーラを、プリシラは暫く無言で睨みつけた。だが、間もなく、ため息と同時に表情を元に戻す。


「まあ、いい。従者になったからと言って、あまり調子づくなよ。シオン様に迷惑をかけるようなことだけはするな」

「別に迷惑なんか……」


 エレオノーラはそう言って、ちらりとシオンを見遣った。しかし、すぐに顔を赤くし、視線をまたどこかに逸らす。

 その視線の先には、にやにやするステラの姿があった。


「何か“進展”あったんですか?」


 ステラの小声の質問に、エレオノーラはますます居心地悪そうに押し黙る。


「え、っと……」


 そんな女性陣のやり取りを尻目に――煙草に火を点けたユリウスが、シオンの隣に立った。


「お前以外の議席持ちはもう現地なのか?」


 シオンは頷いた。


「何人かはもう着いているはずだ。あと数十分でヴァルターの迎えがここに来る。それに乗って、俺も現地に向かう」

「これから軍事大国相手にドンパチやろうってのに、随分と余裕だな。ガリア軍の規模はわかってんのか?」

「イグナーツによれば、現時点で保有する戦力の三割を投入するつもりらしい」


 それを聞いたユリウスの顔が、苦虫を嚙み潰したように歪められた。


「たった十三人で捌ききれんのか?」

「そこは心配いらない。総長には、“加減なしに全力で迎え撃て”と言われている」

「議席持ち十三人全員が本気で暴れる戦場か。半径百キロ以内には入りたくねぇな」


 そうこう話している間に、漆黒の空中戦艦――ヴァルターが改修した先代の“セラフィム”が、大気を轟かせながら平野の空を横切った。遅れてドローンが一隻、シオンたちの近くに降り立つ。ドローンは、周囲の草木を風圧で激しく靡かせ、鳥が羽休めをするかの如く、着陸した。


 ドローンの扉が開くと、そこから出てきたのは議席Ⅶ番アルバートだった。


「シオン、準備はいいか?」


 アルバートに訊かれ、シオンは頷く。


「ああ」


 それから二人はすぐにドローンに乗り込んだ。ほぼ同時に、ドローンが忙しなく地上から離れる。徐々に高度を上げながら、扉がゆっくりと閉じられていく、その間際――


「シオンさん」


 ステラが、少し張った声で、シオンに呼びかけた。


「お気を付けて」

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