幕間 愛憎

第180話

 シオンたちがリーデンフェルトを出て早三時間が経過した。彼らを乗せた首都ゼーレベルグ行の汽車は、渓谷の鉄橋を夕日に向かって進んでいる。今は一月だが、この地域は降雪量が少なく、代わりに、外の景色には岩や草木に霜が降りていた。


 汽車の座席はすべて対面式のクロスシートで、乗客の数は少なかった。そのおかげでシオンたちは、車両の左右それぞれの座席を専有するようにして、広々と利用することができている。進行方向に対して右側がステラたち女性陣、左側がシオンたち男性陣という形だ。


 リーデンフェルトでのお見合い騒動から逃げ出すように出発して間もなく、シオンはその疲れから、今の今まで気絶するように眠ってしまっていた。

 そしてつい先ほど、窓から差し込んだ夕日の日光に当てられて、渋い顔をしながら両目を開けたところだ。

 辺りを軽く見渡すと、通路の挟んだ向こう側の座席では、ステラとエレオノーラがお互いにもたれかかるようにして眠っていた。その対面の席では、プリシラが何かの本、おそらくは暇つぶし用に買った小説を一人静かに読みふけっていた。


 そこまで確認して、シオンはふと、ユリウスの姿を見かけないことに眉を顰めた。


「ユリウスはどこに行った?」


 プリシラが、ハッとして小説を閉じて脇に置く。シオンが目を覚ましたことに驚きつつ、座る姿勢を正した。


「デッキで煙草を吸うと言っていました。あそこだと煙草を自由に吸えるので、かれこれもう三十分は戻ってきていません」


 シオンは、そうか、と一言返して、座席に座り直した。座った姿勢のまま数時間眠っていたため、体の節々が痛む。肩や首を軽く回しながら、シオンは長い息を徐に吐いた。

 その後で、プリシラを見遣る。


「こうしてお前と二人になるのも久しぶりだな」

「は、はい……!」


 プリシラが微かに頬を紅潮させた。

 彼女がまだ従騎士だった時、かつては師弟として二人で大陸中を任務で回ったものだと、シオンは懐かしむように思い出した。


 超人的な能力を持つ騎士とはいえ、当時はお互いにまだ青く、うら若い十代だった。青春と呼べるほどの甘酸っぱい記憶はないが、それでも二人にとってのお互いの存在は、人生の思春期を共に長い時間過ごした、ある意味で特別な存在なのである。おしなべて騎士の師弟というものは、このようにして双方の間に何かしらの絆が芽生えていることが常であった。


「そ、それにしても、リーデンフェルトの一件、昔、シオン様に弟子としてお仕えしていた時を思い出しました」


 二人だけの会話の空間に間が持たなかったのか、プリシラが少し上ずった声でそんな話題を振ってきた。前髪を忙しなくいじりつつ、姿勢よく座ったまま、シオンの方へ体の正面を向ける。


 シオンは暗い表情になって、視線を下に落とした。


「……ああいう出来事は、もうあまり思い出したくない」

「も、申し訳ございません!」


 シオンの触れられたくない過去であったことに、プリシラが自身の失言だとしてすぐに謝罪した。

 それからまた数秒の間、妙な沈黙が生まれてしまうが――


「そ、その……」


 汽車の走行音の隙間を縫うように、プリシラが神妙に口を開いた。


「何だ?」


 シオンが首を傾げると、プリシラはさらに真面目な顔になった。


「シオン様は、本当に私のことを罰しなくてよいのですか? “リディア”様を死に追いやったのは私です。シオン様が望むのであれば、私は――」

「もうその話はするなと言っただろ。何度も言わせるな」


 シオンの声は微かに張っていたが、怒りの感情は込められていなかった。どちらかといえば、呆れや嘆きに近い。


「何が納得いかない?」


 続けて諭すように訊くと、


「……過去の自分の、全てです」


 プリシラが首を垂れる用に、ぽつりと呟いた。

 弟子のそんな姿に、シオンは堪らず溜め息を吐く。


「それはただの後悔だ。必要以上に自責の念に囚われるな。俺が気にしないと言っているんだ。もういいだろ」


 しかしプリシラは、何とも言えない顔になって、じっとシオンを見つめだした。唇を横一文字に弱々しく噤み、今にも泣き出しそうな顔だった。


「なら逆に訊くが、俺がお前に何をすれば、お前は納得する? 言っておくが、殺してくれだけはナシだ」


 シオンの質問に、プリシラは再度、項垂れた。


「せめて――罵られ、蔑まれ、責められた方が、まだ心が楽になります……」


 シオンはまた長い溜め息を吐いた。それからガシガシと髪の毛を片手で軽く掻き毟り、暫く黙り込む。

 その後で、


「……なら、お前を少しでも楽にさせることを目的に、これだけは言っておく。お前の密告が“リディア”を死なせることになった――この事実をふと頭に思い浮かべると、お前のことがどうしようもなく憎くなる瞬間が、正直今でもある」


 そう告げると、プリシラが勢いよく面を上げた。


「では――」

「だが、だからといってお前に何かしようという気には一切ならない」


 厳しい口調で言ったシオンに、プリシラが呆ける。


「……何故、ですか?」

「たとえお前がやらなくても、他の誰かが“リディア”を死に追いやっていた――教皇の、ガイウスの計略でな。だから、お前を恨んだところで意味がないんだ」


 プリシラは膝の上で両手を強く握りしめた。


「……仰る通り、“リディア”様がハーフエルフだと私が知ったのは、教皇にその事実を教えられたからでした。あの時は私も未熟で、とにかく貴方に認められたい一心で、だから――」

「だからもうその話はしなくていい。俺は懺悔を何度も聞く気はない」


 しかし、プリシラは話すのを止めようとしなかった。


「『“リディア”が身分を偽ってシオンを騙している。だからお前が救い出せ』、と教皇は――」

「その続きを喋れば、今度こそ俺はお前を赦さない。もういいって言っているだろ」


 いつになく厳しい声でシオンが制止した。

 プリシラは一度静かに深呼吸をした後で、改めてシオンに向き直る。


「かしこまりました。シオン様が私に罰を与えられない件に関しては、今後一切、口にいたしません。ですが、これだけはお聞かせください」


 急に雰囲気を変えたプリシラに、シオンは眉を顰めた。


「何故、教皇は“リディア”様を陥れたのでしょうか? “リディア”様が大陸同盟の締結を妨げる政敵であったことには違いありませんが――以前、ブラウドルフでシオン様が仰っていたように、それだけが理由だとは思えません」

「どうした、急に?」

「“リディア”様がいなくなったことで教会内部は大いに荒れました。“リディア”様の擁護を口実に、分離派がここぞとばかりに勢いを増し、これまで盤石だった教会の支配体制が揺らぐ結果にもなりました」

「そうだ。だからこそ教皇はガリアと結託し、大陸同盟締結を迅速かつ主導的な立場で進めるため、ガリアの亜人弾圧を黙認した」


 プリシラが頷く。


「その後、シオン様が”リディア”様の遺言を受け取って亜人たちを救いに行き――そして、騎士団分裂戦争が勃発した」

「結果、教皇が一人勝ちした。邪魔な”リディア”が消え、ガリアが亜人を制圧し、教皇庁を抑止できる騎士団は内部紛争で勢力を弱めることになった。今思えばそれぞれが、教皇の権力強化、大陸同盟締結の促進、十字軍設立の準備、だったんだろうな」

「――では、何故シオン様を黒騎士に仕立て上げたのでしょうか?」


 プリシラのその台詞は、まるでナイフの切っ先を刺し込むような言い方だった。

 堪らず、シオンが怪訝に表情を険しくする。


「どういう意味だ?」

「騎士団分裂戦争で処分された騎士はシオン様以外にもいます。捕まった騎士のうち、シオン様以外の全員が処刑されましたが、異端審問の場で黒騎士に認定されたのはシオン様だけです。確かに、教皇に反旗を翻した時点で死罪は免れない状況であり、黒騎士に認定されたところで終身刑か死刑になるしかありません。ですが、どのみち死刑になるのであれば、わざわざシオン様だけを黒騎士にする必要性も感じません。これはいったい、どういうことなのでしょうか?」

「それはイグナーツも言っていただろ。“教皇の不都合な真実”を俺が知っているからかもしれないと。万が一俺が逃げ出した時、黒騎士であれば誰も俺の言うことに耳を傾けることはないから――」

「私も始めは聞かされて素直にそう思いました。ですが、それらしい理由ではある一方で、冷静に考えればあまりにもこじつけが過ぎます。あらゆる可能性を虱潰しに辿っていった結果、それが最も有力な説だったのかもしれません。しかし、まさに取ってつけたような理由です」


 プリシラの見解に、シオンは固まる。

 確かに、何故自分だけが黒騎士に認定されたのか――シオンは今まで、一度もその理由を考えたことがなかった。


「たとえ黒騎士ではなかったとしても、戦犯であることが自明であるシオン様の仰ることに、あの状況下では誰も耳を傾けないでしょう。仮に黒騎士にしたのが念のためにという理由だったとして、面倒な異端審問をしてまでやるのは、どうにも腑に落ちません。まして――」


 プリシラはそこで一度区切り、訴えかけるような眼差しをシオンに向けた。


「あの合理的で完璧主義者であるガイウス・ヴァレンタインです。本当にシオン様を無力化した上で死に追いやることが目的であれば、より効果的で効率的な手段を選ぶはずではありませんか? もし仮に“教皇の不都合な真実”が世間に知れ渡ることを防ぐためであれば、私が教皇なら、あらゆる特権を利用し、異端審問や死刑を待たずして、シオン様を自らの手で葬ります。それが何より、確実です。もしや、シオン様を死に追いやることと、シオン様を黒騎士にしたことには、何か別の理由があるのでは? どのみち死という結末に至ることになったとしても、シオン様を黒騎士に仕立て上げたい理由があったのではないでしょうか?」


 黒騎士――それは、裏切り者であり、背信者であり、重罪を犯した騎士である。この大陸において、最も不名誉極まりない称号であり、不吉の象徴でもあった。

 今の時代でこそ、久しく現れなかった存在であるが故、黒騎士を目の当たりにしても一般人の反応は薄い。しかしかつては、神の教義を蔑ろにし、騎士の戒律を侵した身勝手な兇賊であるとされ、あらゆる地域で疎まれ、憎まれ、恨まれた、恥ずべき、忌むべき存在なのである。それこそ、黒騎士と親しく関わる者がいようものなら、親兄弟、友人、飼い犬までもがその対象になっていたほどだ。


「……存外に、ただの嫌がらせだったりしてな」


 そんなことを思い返しながら、シオンの出した精一杯の結論が、そんなくだらない理由だった。

 自分で言っておきながら馬鹿馬鹿しいと、シオンは自嘲気味に頭を横に振って、それきり黙った。


 一行は、首都ゼーレベルグへと進む。

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