第178話
「じゃあ、もうキルヒアイス家とのお見合いの件は何も考えなくていいんですか?」
テロリストの襲撃事件から一夜明け、時刻は正午を過ぎた頃。シオンたち五人は駅構内にあるレストランのテーブルを囲っていた。食事はつい先ほど済ませたばかりで、今は食後のコーヒーを手に一息ついているところだ。
先のステラの問いかけにシオンが頷く。
「ああ。あとはイグナーツが騎士団の名を使って処理してくれるらしい」
「よかったです。一時はどうなることかと……」
「何もよくない。何度でも言わせてもらうが、お前たちの悪ふざけのせいで、危うくグリンシュタットの経済に悪影響を及ぼすところだったんだからな」
シオンの苦言に、他の四人が気まずそうに視線を逸らす。
ユリウスが煙草を取り出し、火を点けた。
「まあいいじゃねえか。こうして一件落着したんだしよ。女々しくいつまでもぐちぐち言ってんじゃねえよ」
なんでお前が偉そうに言うんだとばかりに、シオンが苛立ちで目つきを鋭くした。
そうやってシオンが不機嫌で空気を悪くしそうになり、咄嗟にプリシラが愛想笑いをしつつ、身振り手振りで話題を変えようとした。
「そ、それにしても昨晩は驚きました。イグナーツ卿から呼びつけられた時は何事かと思いましたが、まさかテロリストの捕縛と人質救出を手伝わされることになるとは」
うんうんと、エレオノーラが便乗する。
「しかもその人質がついちょっと前にお見合いしていたキルヒアイス親子だったなんてね。なんというか、因縁なのか因果なのかわからないけど、あの時のアタシたちの状況と照らし合わせると、妙に話ができすぎな感じするわ」
あのような騒動に巻き込まれたのは間違いなく不運と呼ぶべきことだが、そのおかげでお見合いの替え玉問題を解決できたのも事実であった。あの一件がなければ、今もなおお見合いの破談方法について話し合っていたことだろう。エレオノーラの言う“できすぎ”とは、そういうことであった。
「シオンさんたちがいなかったらどうするつもりだったんでしょうね」
「その時はイグナーツとリリアンで対処していたんだろう。実行役をリリアンにして、テロリストを始末しつつ、キルヒアイス親子を救出したはずだ。ただ、エレオノーラの言う通り、俺たちの状況的には少しできすぎな感じがするな」
ステラの何気ない疑問にシオンが即答した。それを聞いたユリウスが、どこか冗談交じりに口の端を歪ませる。
「副総長のことだ。存外、俺たちがここに来てキルヒアイス家と揉め事起こすことを見越していたとかな」
「まさか……」
いくらイグナーツといえど、そこまで状況を把握して事を運んだとは考えにくい。シオンは懐疑的に眉を顰めながら、コーヒーを一口飲んだ。
不意に、
「シオン様。そういえばですが、あの時イグナーツ卿から預かったご自身の“剣のペンダント”はどうされましたか?」
プリシラがそう訊いてきた。シオンはカップを置き、ああ、と思い出したように言う。
「昨夜のうちにイグナーツに返した。さすがに黒騎士の俺がいつまでも持ち歩いているのは、少し不安だったからな。騎士団と黒騎士が水面下で協力関係にあることは、まかり間違っても世間に知られたくない」
それを聞いたエレオノーラが首を傾げる。
「でもさ、キルヒアイス親子にはアンタの正体言っちゃったんでしょ? それは大丈夫なの?」
「イグナーツが口止めすると言っていた。絶対に口外しないように交渉すると言っていたし、あいつなら何とかするんだろう」
次に、ステラが何かを思い出したように声を上げる。
「キルヒアイス親子といえば、あんな事件がありましたけど、結局お見合いはどうするつもりなんでしょうね?」
「キルヒアイス家から破談の申し入れがあったそうだ。今朝、リリアンと電話で情報を共有した時に聞いた」
「やっぱり、カールさんが偽物だったことに怒ったりして破談になったんですか?」
「そこは問題ないらしい。あの親子、意外にもなんの文句も言わず今回の騒動を受け入れてくれたと言っていた。破談になったのも、決してネガティブな理由じゃなく、前向きな検討結果とのことだ」
「前向き? 何が前向きなんですか?」
「さあ。そこは俺も知らないし、聞いてもいないからわからない。何故だか嫌な予感がするけどな」
ふーん、とステラが最後に言って、レストランでの会話は終わった。
シオンたちはその後、レストランを出て駅のホームへと向かって歩いた。これから首都へ向かうため、また汽車の旅を再開するのだ。
大都市の駅ということもあり、昼のこの時間帯は至る場所が人混みで溢れていた。五人は器用に人の流れを避けながら、一度ホーム入口近くの壁際に立ち止まる。
「さて、これで心置きなくこの街から離れられますね。これ以上の厄介事に巻き込まれないよう、早々に出立しましょう。首都に向かう次の汽車は十分後に発車します」
プリシラが時刻表を見ながら言って、シオンが頷いた。
「ああ。切符はもう手に入れてある。さっさとホームに――」
「おーい!」
突然、シオンたちに向かって何者かが声をかけてきた。駅の喧騒を突き破ったその声の主は、
「き、君たち! 酷いじゃないか!」
外交官の息子であり、今回の厄介事を持ち込んだ張本人――カール・エーベルトだった。
カールは肩で息をしながらシオンたちの方へと駆け寄り、近くに止まった。
「……何が?」
訊かれて、カールは両膝に手を付きながら何回か深呼吸をしたあと、汗まみれの顔を勢いよく上げて見せた。
「お見合いの件だよ! ハルフリーダ・キルヒアイスが、実はとんでもないナイスバディの美女だったって!? どうしてすぐに教えてくれなかったんだ!? そんなことなら破談になんてしなかったのに!」
この期に及んで何を言っているんだと、シオンたちは無言で顔を顰めた。
ユリウスが舌打ちをしたあとで大きく紫煙を吐き出す。
「仮に本物のてめぇが出たところでお見合いは成立しなかっただろ。もりもりに盛った写真の件があるからな」
「それでも、もしかしたらってこともあるじゃないか! あーもう! こんなことになるなら、大人しくお見合いしておけばよかった!」
どこまでも都合のいいことを言うカールに、今度はプリシラが顔を引きつらせた。
「何もかも自業自得だ。これ以上私たちに関わるな。消えろ」
そして、シオンたちは踵を返し、一斉にホームへと歩みを進めた。その背中をカールが弱々しい足取りで追いかける。
「ま、待ってくれよ! お願いだ! 今度は前と逆で、僕とハルフリーダ・キルヒアイスの仲を取り持ってくれ!」
「寝言は寝てから言え、ハゲ。もう付いてくんな」
ユリウスがこれ以上付き合っていられないと殊更に態度に示した。だが、それでもカールは引き下がらなかった。
シオンたちの苛々が徐々に高まりつつあるこの時――それは突然やってきた。
「ちゃんとお礼はする! だから――」
「シオンさまあああ!」
聞き覚えのある若い女の声が起こり、シオンたち全員が駅入り口の方へ振り返った。
するとそこにあったのは、人目もはばからず右腕を大きく振りながら駆け寄ってくるハルフリーダの姿だった。
げんなりとするシオンたち五人。一方で、カールは目を輝かせながら、ハルフリーダの方へ一歩足を踏み出した。
「は、ハルフリーダ嬢! は、初めまして! 僕こそが本物のカール・エーベルトで――」
ハルフリーダの容姿に鼻の穴を膨らませていたカールだったが、当の彼女はそのことなど眼中にもない様子だった。あまつさえ、邪魔、と一言放ち、カールを突き飛ばしてしまう。カールはそのまま頭を駅の柱に強く打ち、白目を剥いて気絶してしまった。
「シオンさま! こんなところにいらしたのですね!」
駆け寄ってきた勢いのまま、ハルフリーダがシオンの胸へと飛び込み、強く抱きしめてきた。
まったく状況が理解できないシオンたち――そこへさらに、
「おお! ようやく見つけたぞ! シオン君!」
ハルフリーダの父親である、アルベルト・キルヒアイスまでもが登場した。
「いやはや、イグナーツ卿も粋な計らいをしてくれたものだ! ハルフリーダとシオン君の結婚を認めてくれるとはな!」
そして、そんなとんでもないことを言ってきた。
寝耳に水であるばかりか、到底信じられない言葉に、シオンたちは暫く硬直してしまう。
ようやく動くことができたのは、駅構内で何かのアナウンスがかかった後だった。
「は!?」
五人全員が、揃って吃驚の声を上げた。
「そ、それはいったいどういう……!?」
シオンは、まとわりつくハルフリーダを引き剥がそうとしながら訊いた。
ハルフリーダが面を上げ、シオンに顔を近づけてくる。
「わたくし、もう外交官の息子とのお見合いなんてどうでもいいですわ! だって、真に愛を分かち合うべき人をここに見つけたんですもの!」
娘の告白に、アルベルトが満足そうに頷いた。
「見ての通り、ハルフリーダがどうしても君のことを諦めきれなくてな。しかし、騎士は結婚どころか、恋愛を禁止されている身分だろう? どうにかできないものかとイグナーツ卿に相談してみたんだが、あっさりと君が恋愛、結婚することについて許可を出してくれたのだ。初めて会った時は妙にいけ好かない男だと思ったが、私が思っていた以上に柔軟な考えをする御仁だったよ。昨今の騎士団の振る舞いには疑問を呈するところが幾つもあったが、これなら私も彼らとの付き合いを改めることができる。折角なので、これからハルフリーダが騎士に嫁ぐことを鑑みれば、騎士団とキルヒアイス家が深い繋がりを持ついい機会だとも考えてね。交換条件というわけではないが、イグナーツ卿から申し出のあった騎士団への資金援助については、快くさせてもらうことにした」
シオンたちが、ハッ、と気付きの声を上げる。
「あの男、それが目的で俺たちを使ったのか……!」
テロリストの鎮圧とキルヒアイス親子の救出にシオンを実行役としたことや、一夜限りシオンが騎士を名乗るのを許したことなど、これまでのイグナーツの計らいはすべて、ハルフリーダがシオンに惚れていることを見込して、その恋心を利用するためだったのだ。キルヒアイス家が騎士団へ資金援助をするように、イグナーツは仕向けたのである。
お見合いの破談理由が前向きなものであったことに嫌な予感がしていたのはこのためだったのだと、シオンは今更ながらに納得した。
「さあ、シオンさま! これからわたくしたちの愛の巣へと向かいましょう! お父様がわたくしたちのために新居を購入してくださったのですのよ! それはもう立派で――」
ハルフリーダがシオンの両頬に手を当てながら、うっとりとそんなことを言ってきた。
愕然としていたため、シオンはそれに気付くのが遅れてしまう。あと少しのところで互いの唇が重なりそうになり――駅構内に轟音が響いた。
シオンとハルフリーダの仲を引き裂くように、両者の間に突如として床から一枚の壁が現れたのだ。
それは間違いなくエレオノーラの魔術で、そのことを裏付けるかのように、彼女はいつの間にか自身のライフルをスーツケースから取り出して地面に突き立てていた。
「今のうちにさっさと行くよ!」
エレオノーラが強引にシオンの腕を取り、ホームの方へ走り出す。ステラ、ユリウス、プリシラもその後に続き、五人は改札を飛び越えるように通り抜けた。
シオンたちはそのまま目当ての汽車があるホームへと駆け込み、急いで車両に乗り込んだ。ちょうど発車を知らせる汽笛が鳴り、扉が駅員によって次々と閉められるところだった。何気に、乗り遅れる寸前のようであった。
車両内の椅子に、ステラが息を切らしながらドカッと座る。
「あの、イグナーツさんがシオンさんの恋愛と結婚を解禁したっていうのは……」
プリシラがステラの隣に座りながら首を横に振った。
「あり得ないです。いかに騎士団の副総長とはいえ、そんな権限はありません」
ユリウスもそれに同意し、頷く。
「おおかた、“別に好きにしていいですよ”くらいのことを適当に言ったんだろ。それをあの金持ち親子が都合のいいように勝手に解釈しただけだ。それに、そもそもこいつは黒騎士だ。今更、騎士の戒律を馬鹿正直に守らなきゃ駄目な身分でもねえ。聞き手によってどうとでも汲み取れるいい加減なことを言っただけなんだよ、きっとな」
「まるで詐欺ですね……」
エレオノーラがライフルをスーツケースにしまいながら肩を竦めた。
「それがあの人――イグナーツ卿のやり方。利用できる物や人は、何の躊躇いもなく利用するの。我が魔術の師匠ながら、やることすることえげつないったらありゃしない」
今知ったわけではないが、本当にとんでもないことを悉くしでかす男だと、一同は揃って思いながら項垂れた。
やがて、汽車がゆっくりと動き出す。
これでようやく、この馬鹿げた騒ぎから解放される――と思った時だった。
「シオンさまあああ! わたくし、待ってますからあああ! ずっと、待ってますからあああ! 永遠の愛をここに誓いますううう!」
ハルフリーダが、まるで劇のワンシーンのようにして、涙ながらに汽車と並走していた。
シオンがそれに顔を青くしている隣で、
「今ここで焼き殺してやろうかあの女……!」
エレオノーラが再度ライフルを手に、顔を鬼のようにしていた。
それを宥めたのは、意外にもプリシラだった。
「そうカッカするな。せっかく騎士団がキルヒアイス家から資金援助を受けられるようになったのだ。ここで敢えて台無しにする必要もない」
想像以上にプリシラが落ち着いていることに、ステラが眉間に皺を寄せた。
「プリシラさん、昨晩と違って今日は妙に落ち着いてますね」
「昨晩は、ちょっとこういうことが久しぶりだったのでつい……。これくらいのことであれば、シオン様が黒騎士になる前は日常茶飯事でしたからね。実は、結構慣れています」
そうなのか、とステラが苦笑していると、
「酷い例を一つ言えば、こいつに求婚するためだけに騎士団本部に兵隊連れてカチコミ決めてきたやばい貴族の令嬢とかいたからな。それに比べればずっとマシだ」
ユリウスが、あの時は心底大変だったと言わんばかりに顔を顰めて言ってきた。
「もはや何かに取り憑かれているレベルで女運が酷いですね……」
ステラがそう言って、
「黒騎士でもお祓いってしてもらえるんだろうか……」
シオンは真面目な顔でぼそりと呟いた。
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