第163話

 二人の騎士と一人の枢機卿――両者の戦いは、基地の上層階を悉く破壊した。戦艦による集中砲火を浴びたかのように、鉄筋コンクリートの破片があちこちに飛び散っている。


 シオンがこの戦線を離脱して一時間もしないうちに廃墟同然と化していたが、それでもなお戦いは終わっていなかった。


 複数のパーシヴァルが、魔術と体術を駆使してリカルドとハンスに強襲する。対する二人はそれを巧みに躱しながら、少しずつ、しかし確実にパーシヴァルを追い詰めていった。当初は十人ほどいたパーシヴァルの人形だが、今では三人にまで減っている。次第にパーシヴァルの動きにもキレの悪さが目立つようになり、彼の体力に限界が見え始めていた。


 不意に、パーシヴァルの一人が動きを止めたのは、そんな時だった。


「ちょっとまずいことになった」


 そんな独り言のような一言を合図に、他のパーシヴァルも揃って大人しくなる。

 異様な雰囲気に、堪らずリカルドとハンスも攻撃の手を止めた。


「何の話だ?」


 ハンスが訊くと、複数いるパーシヴァルのうち二人が突如として糸を切られたように倒れた。残った一人が、疲れたように首を横に振る。


「僕はこの辺で失礼するよ。メンゲルの逃走準備も整ったみたいだしね。というわけで、彼のことは諦めてもらう」


 パーシヴァルの頭部を覆っていたガラス質の黒いマスクが氷のように溶け、素顔が露わになる。

 リカルドが長い息を吐き、脱力した。


「結局、時間切れか。また君ら十字軍にしてやられたって総長に報告したら、今度こそ叱られちゃうね、こりゃ」

「ちなみに、君たちはまだまだ働かないと駄目だと思うよ」


 しれっと不穏なことを言ったパーシヴァルに、リカルドが首を傾げる。


「それは何故?」

「下に降りてみればわかる。ついでに、シオンに手を貸してあげた方がいいんじゃないかな。早くしないと、彼もただじゃすまないかもしれない」


 突拍子もないパーシヴァルの発言に、ハンスとリカルドは揃って怪訝になった。

 騎士団において、シオンの戦闘能力は単騎において相当なものだと認識されている。一対一の戦闘で彼に勝てる者ともなれば、十人も数えられればよい方だろう。剣術と体術を駆使した容赦のない攻撃的な戦法もさることながら、限られた騎士しか行使することのできない“帰天”を体得していることも大きな要因だ。

 そんな男が窮地に陥るとはどういうことか――ハンスとリカルドは思わず間抜けに顔を顰めた。


「シオンが?」

「“教皇の不都合な真実”を知っているかもしれないシオンを失うのは、騎士団にとっても大きな損失だろ? 君らが“それ”にどれだけの期待値を持っているのかは知らないけど」


 パーシヴァルが指を鳴らすと、どこからともなく枢機卿の法衣が現れた。パーシヴァルはそれを軽く叩いて羽織ると、改めてハンスとリカルドに見遣る。


「あのシオンがやられるような何かがあるのか、この基地に?」

「自分の目で確かめてみるといい。僕が今説明したところで、多分納得はしないだろうし。それとも、とことんやり合うかい?」


 パーシヴァルの薄笑いに、ハンスが小さく息を吐いて応えた。


「今ここでお前を再起不能にしたところで、所詮はただの人形か。何より、今からではもうメンゲルを確保するのは不可能ということであれば、お前と戦う理由もない」

「さすがハンス卿。聡明な判断だ」


 パーシヴァルが踵を返す。


「それじゃあ、またいつか」


 そして、それだけを言い残し、忽然と姿を消した。それに合わせて、彼を模していた他の人形がどろりと溶け出し、元の人体実験に使われた肉塊に戻った。

 そうして、それまでの激闘が嘘であったかのように静かになる。


「さっきのパーシヴァル、妙に焦っていたね。不気味すぎる」


 リカルドが瓦礫の一端に腰を下ろしながら神妙に言った。ハンスもそれに同意し、表情をさらに険しくする。


「ああ、嫌な予感がする。休むのは後だ、私たちも急いで基地の下層に向かうぞ」







 基地の一階ホールにて、グリンシュタット軍とシオンとの戦闘が開始してすでに三十分が経過していた。

 当初はシオンが圧倒的な戦闘力を以てして軍を返り討ちにしていたが、次第に疲労が見え始め、銃による攻撃も当たるようになっていった。顔、肩、脇腹からは夥しい量の出血があり、常人であればすでに息絶えていてもおかしくない状態であった。

 兵士たちはそれを見逃さず、ここぞとばかりにさらなる兵力を投入しようとしていた。


「オーガ隊の増援、戦闘準備整いました!」

「コボルトも出せます! ゴーレムもです!」


 通信兵が声高に叫ぶと、指揮官が拳を握りしめた。


「黒騎士にも疲労が見えている! 今のうちに畳み掛けるぞ!」


 ホールの扉から、次々と新たな戦力が送られてくる。

 オーガ、コボルト、ゴーレム――これらの魔物が、疲労で顔を顰めるシオンを取り囲むように陣取った。

 指揮官が手を振り上げる。


「総員、突げ――」


 号令を出して総攻撃を仕掛けようとした時、突如としてホール全体が激しく揺れた。同時に、駐車場へと続く通路が、手榴弾を投げ込まれたかのように吹き飛ぶ。

 その場にいた誰もが吃驚し、爆発の起こった方を見遣った。


「な、なんだ、あれは?」


 慄く兵士の瞳に映っていたのは、異形の“天使”だった。

 それは、頭部の上半分が巨大な双角になっており、表皮は石膏のような白さと硬質さを持ち、四肢は昆虫のそれのように異様に長い。背中には翼膜のない羽を生やし、頭上には大きな青い光輪を携えていた。


 “天使”は、氷上を滑るように宙を移動し、ホール全体をぐるりと見渡す。それから、瓦解した通路を見て、にやりと口元を歪めた。


「すごい! わたし、こんなこともできるようになったんだ!」


 幼児のような無邪気な声――シオンはそれに聞き覚えがあった。


「……まさか、ヴァンデルの娘か?」


 “天使”もとい、ヴァンデルの娘――クラウディアは、シオンのその一言に反応したかのように、彼らの方へ顔を向けた。その所作は、目がないにも関わらず、まるで視覚以上にこの場の状況を捉えているようだった。


「みんな、なにしてるの?」


 まるで仲間外れにされていた子供が友達の集まりを見つけたかのような声色で、クラウディアは徐に兵士たちの方へ近づいた。

 自動小銃を握る兵士たちの手に、反射的に力が込められる。


「く、来るな!」


 目の前の異形の“天使”が変わり果てた姿のクラウディアであることに気付くはずもなく、兵士の一人が悲鳴を上げて銃口を向けた。

 それから間もなく、無数の銃弾が放たれる。その兵士を皮切りに、続々と他の兵士も後に続いた。けたたましい銃撃音が、ホールの空気を小刻みに振るわせる。

 そうやって驟雨のように撃ち込まれた弾丸は間違いなくクラウディアを捉えていたはずだが――


「なにするの! やめて!」


 弾丸はすべてクラウディアより二メートルほどの場所で時が止まったように静止し、あろうことか、次の瞬間には兵士たちに向かって跳ね返るように飛んでいった。クラウディアから戻された弾丸は、兵士たちの小銃から放たれた時よりも数段に早い弾速で飛んだ。思わぬ反撃を受けた兵士たちが、自らが放った弾丸に血肉を抉られながら悲鳴と共に伏していく。


「なんだ、この化け物は!?」


 兵士の絶叫が迸った。


「標的変更! 直ちに正体不明の化け物に集中砲火を浴びせろ!」


 指揮官が喉を裂かんばかりの声量で号令を出し、兵士たちが気付けを受けたかのように隊列を正す。

 それを見たクラウディアの口元が、寂しそうに歪んだ。


「なんでわたしをこうげきするの?」


 その問いかけも虚しく、次々とクラウディアに向かって銃弾が撃ち込まれる。しかし銃弾はクラウディアに一発も当たることなく、見えない障壁によって阻まれた。


「隙を与えるな! 有りっ丈の火力をぶつけろ!」

「また、わたしをとじこめようとしているの?」


 幼子のように首を傾げるクラウディア――


「――そうだ!」


 突然、何かを閃いた声を上げ、あどけない笑みを浮かばせる。


「ここをこわせば、もうじっとしているひつようもない! どこにでもいける!」


 クラウディアが両腕を広げると、彼女の周囲に青白い光と電撃が展開された。直後、周囲のコンクリートの床や壁が音を立てて爆ぜる。


「総員、退避! 退避しろ!」


 その異変は、始めは小さなコンクリート片が宙に浮かぶ程度だった。しかし、十秒もしないうちにクラウディアを中心にヒト一人の大きさもある塊が浮かぶようになる。


「これ、かえすね」


 そしてクラウディアが指の先を正面に伸ばしたのと同時に、これまで兵士たちが放った弾丸と共にコンクリートの塊が兵士たちへ強襲していった。灰色の濁流は到底常人が反応できる速度ではなく、瞬く間に兵士たちを消し飛ばす――はずだった。


「く、黒騎士!?」


 兵士たちの前に突如として降り立った“天使化”状態のシオンが、電磁気力を全開に振るってそれを阻止した。弾丸とコンクリートの塊は勢いを失い、一斉に音を立てて床に落ちていく。

 しかし、連戦によって体力を消耗していたシオンはすぐに“天使化”が解け、その場に膝をついてしまった。


「何故、我々を……!?」


 状況が飲み込めない兵士が狼狽する。

 そこへ、いつの間にか接近していたクラウディアが、笑いながら腕を振り上げていた。

 咄嗟の出来事に誰もが反応できない。

 異様に時の流れが遅くなる刹那の瞬間がこの場に訪れる。


 無数のハルバードがクラウディアの身体を打ったのはそんな時だった。ハルバードはクラウディアを守っていた不可視の障壁を容易く貫き、彼女をホールの端へと追いやる。


 シオンと兵士たちが面食らって驚いているところに、二つの人影が立つ。


「一体全体どうなってんの!? 何だい、あの白い怪物は!?」


 酷く驚いた声を上げたのはリカルドだった。

 それを見たシオンが、安堵の溜め息を吐く。


「多分、ヴァンデルの娘だ。亜人の血肉を取り込んだ身体に“騎士の聖痕”を刻まれて、細胞の異常活性が起きたんだ」


 シオンの見解を聞いたリカルドが、げんなりとして首を横に振った。


「“天使化”した騎士が纏う電磁気力と同じようなものが彼女の周囲に展開されている。これで強さも“天使化”した騎士と同じだったら、パーシヴァルを相手にするよりキツイかもね」


 そんな時、不意にシオンが痛みに顔を顰めた。首に針のようなものを刺し込まれたのだ。

 見ると、ハンスが青い液体の入った注射器をシオンに打ち込んでいた。


「応急用のポーションだ。これで立てるな? だがその身体だと戦えるのは持って五分だ。それまでにカタを付ける必要がある」


 シオンは自身の首から注射器を引き抜き、刀を抜いて立ち上がった。


「充分だ。アンタらも一緒に戦ってくれるならな」

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