第146話

 時刻は十二時を回り、ノリーム王国の王城――会談の間では、今まさにノリーム王国とガリア公国による軍事同盟の調印式が行われるところだった。

 長テーブルを挟み、ノリーム王国の国王と、ガリア公国の大公が迎え合わせに座っている。双方の両脇を数人の補佐役が固めている中で、書面による調印が交わされようとしていた。


「そ、それでは、これで我が国は晴れて貴国と同盟を結んだということで……」


 ノリーム王国の国王が、恐る恐る、署名した紙を差しだそうとした。

 ガリア大公は、それをつまらなさそうな顔で見下す。どこか不機嫌で、あからさまに苛立ちを周囲に知らしめていた。


 そこへ――


「ロス隊長!」


 突如として会談の間の扉が勢いよく開かれた。入ってきたのは、王国騎士団六番隊隊長のセシリア・ロスだった。その髪は酷く乱れており、人相もまるで幽鬼に取り憑かれているかのようだった。いつもの美麗かつ屹然とした佇まいは、微塵も感じられない有様だ。


「何事だ! ガリア大公の御前であるぞ!」


 国王が驚き、怒り、慌てて椅子から立ち上がる。

 セシリアは、手に持っていた“それ”を床に投げ捨てた。ボールのように転がったそれは、額を銃弾で穿たれたミーアの頭部だ。会談の間に、悲鳴が迸る。


「このエルフが死に際に自供しました。自らがガリア公国のスパイであり、くだんの亜人の集団亡命を手引きした張本人だと」


 死んだ魚のような目で訴えるセシリアだったが、周囲はざわめきを増すばかりだった。

 そんな中、ガリア大公が、自身の足元に転がってきたミーアの頭を見て、小さく鼻を鳴らす。


「何を言い出すかと思えば、とんだ世迷言だ。そもそも、何故ガリアが亜人の亡命の手引きをする必要がある? 損をするだけではないか」


 そう言ってガリア大公がミーアの頭を蹴り返すと、セシリアは激昂に顔を歪めた。


「同盟締結を直前に亜人が全員亡命したとして、あらぬ言いがかりをつけるつもりだったのだろう!」

「そうすることで我々に何のメリットが?」

「この国をグリンシュタット侵攻の拠点にするため以外に何が考えられるか! 我々と同盟を結ぶつもりなど、始めからなかったのだろう!」


 鬼気迫る表情でガリア大公へ迫ろうとするセシリアを、複数の王国騎士たちが羽交い絞めにして止める。

 顔を青くした国王が、すぐにガリア大公のもとへ駆け寄った。


「よさぬか! ガリア大公、我が国の騎士がとんだご無礼を。ここはどうか――」

「不愉快だな」


 ガリア大公が、明後日の方を見ながら言った。


「とても不愉快だ」


 さらに強調して言い直すと、酷く冷めた表情で国王を見遣った。


「そもそも、だ。今回の騒動の指揮を執っていたのは、ラルフ・アンダーソンとかいうこの国の元貴族らしいな。いったいこの国の統制はどうなっているのだ?」

「そ、それは……」


 口籠る国王には構わず、ガリア大公はさらに続ける。


「それに加えてこの難癖――わしの気分は酷く害された。ああ、とても気分が悪いなあ!」

「が、ガリア大公、いったいどうしたので――」

「やめた」


 ガリア大公は大げさに声を上げたあと、いきなりテーブルの上に足を置いた。そのうえで、署名したばかりの紙を雑に手に取る。


「同盟はやめだ」

「な、何をなさるので!?」


 そして、事もあろうか、その紙を左右に勢いよく引き裂いた。気が触れたとしか思えない突然の奇行に、この場にいた誰もが驚きに声を上げる。


「我が国にそんな嫌がらせをするような国と、どうして同盟など組めようか。そうだ、わかったぞ。始めからお前ら、わしの国を陥れるつもりだったな?」

「まさかそのようなことは! どうされたのだ、ガリア大公!」


 狼狽する国王を余所に、ガリア大公が葉巻を懐から取り出して吸い出す。

 そして――


「そうとわかれば、早速対処せねばな」

「ガリア大公、お気を確かに――」


 よろよろと力なく近寄ろうとした国王の頭を、ガリア大公が自身の銃で撃ち抜いた。

 会談の間に悲鳴と絶叫が迸ると同時に、王国騎士とガリア兵が戦闘を始める。しかしそれは一方的であった。最新鋭の武装を持つガリア兵に、王国騎士たちはなす術もなく討たれていく。強化人間とヘルハウンドが、数分と足らず会談の間を血祭りにあげていった。


 それを他人事のように眺めていたガリア大公――葉巻の火を、床に滴る血だまりで消したあとで、不意に後方を見遣る。

 そこにいたのは、パーシヴァルだった。


「パーシヴァル・リスティス枢機卿猊下。何か問題はございますか?」

「いえ、特に」


 パーシヴァルの回答を受け、ガリア大公は満足げに頷いた。


「よろしい。では、今日この時より、ノリーム王国はガリア公国の占領下に置くとする」


 そして、いつの間にか死んでいたセシリアの死体を足蹴にして、ガリア大公は会談の間を後にした。







 教皇庁本部であるルーデリア大聖堂のとある回廊にて、ランスロットは一人歩いていた。数週間前にあったラグナ・ロイウでの一件が収束して間もなく、次なる十字軍の任務へ向かおうとしていた矢先のことである。


「やあ、ランスロット」


 不意に、後ろから声をかけられた。振り返った先にいたのは、パーシヴァルだった。

 ランスロットはパーシヴァルの姿を見るなり、露骨に眉間に皺を寄せる。


「そんな睨まないでくれよ」

「貴様は今ガリア大公の監視についているはずだろう。どうしてここにいる?」


 怪訝に訊くランスロットに対し、パーシヴァルは肩を竦めた。


「ちゃんと人形を使って仕事をしていたよ。それに、ついさっきそれも終えた」

「ということは、ガリアとグリンシュタットを戦争状態にせず、ノリーム王国をガリアの占領下に置いたということか」

「うん、なかなかに刺激的な仕事だったよ。自分でも、うまいこと回せたと思っている」


 自画自賛するパーシヴァルを見て、ランスロットは小さく鼻を鳴らした。


「ご苦労だったな。吉報だ、ガイウス様にさっさと報告しに行け」

「それがさ、猊下は今、“秘密の部屋”に入っちゃったみたいでね」

「なら後で報告しに行け」


 それきり話を切り上げようとするランスロットだったが、パーシヴァルがそうはさせまいと、彼の行く先に立ち塞がった。


「ランスロット、君は気にならない? 猊下があの部屋で何をしているのか?」


 厭らしく笑うパーシヴァルを前に、ランスロットは嫌悪に表情を歪める。


「あの部屋は“聖域”だ。教皇の地位を持つ者以外、立ち入ることを許されていない。我々がそれを知ることは禁忌と思え」

「あの部屋には“写本”がある」


 突拍子もなくそう言ったパーシヴァルだったが、ランスロットはさらに不機嫌になった。


「だからどうした。それくらいのことは知っている」

「“写本”に何が書かれているのか、君は知りたくないかい?」

「パーシヴァル、しつこいぞ。それを知ることは禁忌だと――」

「猊下、あの部屋に入ると、延々と何かを独りで呟いているんだ。まるで、誰かに話しかけるかのように」


 まるでその場に居合わせたかのようなパーシヴァルの口ぶりに、ランスロットが思わず目を見開く。


「……まさか貴様、“聖域”に入ったのか?」

「いや、その手前で盗み聞きしただけだよ」


 パーシヴァルはランスロットの反応を見て面白そうに笑い、恍けるように両手を開いてみせた。


「どう、気になった?」


 悪質な同僚の揶揄いに、ランスロットは堪らず舌打ちをして歩みを再開する。


「ガイウス様への不敬もほどほどにしておけ。目に余るようであれば、私がお前を斬り殺す」

「冗談でもそんなことは言わない方がいい。替えの利かない僕がいないと、十字軍の計画は破綻してしまうだろ。それこそ猊下が黙っちゃいない」


 パーシヴァルがくすくすと笑った。対するランスロットは、いよいよ怒りの火を双眸に灯し始める。


「そんな怖い顔をしないでくれ。ちょっと揶揄ってみただけさ」

「話はそれだけか? だったら――」

「不愉快な思いをさせてしまったお詫びに、もうひとつ面白い話を教えてあげるよ」


 突然、ランスロットの言葉を遮って、パーシヴァルがそんなことを言い出した。


「猊下は三人の女性の写真を常に持ち歩いている。それは誰だか知っている?」

「……初耳だ」


 ランスロットが困惑気味に眉を顰めると、パーシヴァルは口元に小さな笑みを浮かべた。


「ハーフエルフの“リディア”、ラグナ・ロイウ総督のイザベラ・アルボーニ、そして――聖女アナスタシアだ」


 パーシヴァルの口から連なった名を聞いて、ランスロットの目が細められる。


「さてこの三人、何の関連があると思う?」

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