第145話

 忽然と姿を現したパーシヴァルを前に、シオン、ユリウス、プリシラは咄嗟に陣形を取った。三人はステラを守るような位置取りになって、パーシヴァルと対峙する。それからやや遅れて、エレオノーラもライフルの銃口をパーシヴァルへ向けた。


「暴走機関車を止めてくれて助かったよ。亜人たちもじきにノリーム王国の騎士たちが回収しに来る。これで、ノリーム王国は無事ガリアと同盟を結ぶことになるだろう。グリンシュタットとガリアの戦争が回避できそうで何よりだ」


 シオンたちから放たれる殺気など、露ほども気にしていない様子でパーシヴァルが言った。

 シオンは刀に手をかけたまま、パーシヴァルの一挙一動に目を光らせる。


「アンタ、何が目的だ?」

「今回の件に関しては僕に目的はない。教皇猊下のご意思だよ」

「教皇は何をしようとしている? ガリアと結託しているんじゃないのか?」

「それは教えない。まあ今言えることは、僕ら十字軍とガリアは協力関係にあるものの、それぞれの思惑は違っているってことだけだ。ガリアはログレス王国を陥落させたことを機に大陸の覇権国家となるべく躍起になっているけど、僕らはそれに賛同していない。君らに教えることができるのは、これだけかな。あんまり余計なこと喋ると、猊下に怒られるからね」


 パーシヴァルは口元に冷ややかな笑みを浮かべていた。相手を小馬鹿にしているような、妙な含みを感じさせるような――少なくとも、見ている人間に愉快な感情を与えるものではなかった。


「ところで、グリンシュタットに入るなら、このまま国境警備隊にそう伝えるといいよ。僕の方で手を回しておいたから、事情を話せばすんなりと入れてくれるはずだ。ほんのささやかなお礼ってことで。それを伝えに来たんだ」


 パーシヴァルは踵を返し、片手をひらひらと振る。


「それじゃあ、またね」


 そう言い残した時には、すでにパーシヴァルの姿は跡形もなく消えていた。瞬きをした一瞬の間に、始めからそこにいなかったかのように。

 シオン、ユリウス、プリシラの三人は、ほんの数秒の間、周囲を強く警戒した。だがやがて、息を吐きつつ、徐に臨戦態勢を解いていく。


「何なんだあの野郎……。あいつらにとっちゃ、俺らは目の上のたん瘤だろ」


 ユリウスが煙草を咥える傍らで、シオンが首を横に振った。


「今は真面目に考えるだけ時間の無駄だ。あいつはイグナーツ以上に何を考えているかわからない。見逃してもらえるなら、それに越したことはないだろ。それより、今後のことだが――」


 シオンが話題を変えようとした矢先、不意に、どこからか金切り声が響いた。その発生源は、先ほど機関車から切り離した車両からだった。シオンたちが一斉にそこを見遣ると、エルフの女が一人、ガリア軍が飼いならす犬型の魔物――ヘルハウンドによって髪を噛まれて引きずられているところだった。彼女だけではない。他の亜人たちも、ノリーム王国側から次々と送られてくるヘルハウンド、ガリア兵、王国騎士たちによって、強引に連行されていた。


「ガリアの野郎ども、随分と切り替えが早いな。亡命作戦が失敗した途端、素知らぬ顔で兵士と魔物が王国騎士と一緒になって亜人の回収かよ」


 その手際の良さから、恐らくは予め失敗した時の準備もしていたのだろう。ガリア兵は全員強化人間のようで、人間を凌ぐ膂力を持つはずの亜人の抵抗など意にも介さず、逃げようとする彼らを力づくで引きずりまわしていた。

 亜人たちは、ヘルハウンドやガリア兵から逃れようと、必死になってグリンシュタットの方角に向かって線路上を走る。だが、その後ろから次々と銃弾が放たれ、悲鳴と共に倒れていった。

 逃げ切ることができないと悟った亜人の中には自ら命を絶とうとする者もいた。そうした亜人は、橋の上から何の躊躇もなく飛び降りていった。

 絶望と悲哀の混ざった断末魔が、谷底で反響する。

 一人目を皮切りに、他の亜人たちも続いていった。


「嫌だ! ガリアだけは絶対に嫌だ!」

「頼む、いっそ殺してくれ! あの国にだけは行きたくない! お願いだ!」

「クソっ、こうなったら死んだ方がマシだ!」


 叫びながら、ヘルハウンドやガリア兵に掴まれた部位を引きちぎってまで谷底を選ぶ亜人が大勢いた。まるでそこが救いであるかのように、ぼとぼとと橋の上から亜人たちが落ちていくのである。


「ステラ?」


 ふと、シオンがステラを見ると、彼女は顔面を蒼白にして固まっていた。寒さによるものではない震えに身を強張らせながら、線路上で起こっている凄惨な光景を目の当たりにし、戦慄していた。


「……私は――」


 ステラが、震える唇から弱々しい声を上げた。


「私は、亜人の亡命を阻止したら、彼らがガリアに連れていかれることは知っていました」


 彼女の口から吐き出される白い吐息が、あたかも生気を外に失わせているかのようだった。


「でも、それでも、死ぬよりはマシだと思って……死んでしまったら、どうしようもないからって……」


 ステラの体の震えが徐々に大きくなっていく。それに伴い、息遣いも乱れていった。


「だから、だから、プリシラさんとユリウスさんにお願いして、こうやって機関車を止めたのに……」


 ただならぬ雰囲気を察し、シオンがステラへ近づく。落ち着かせようと、彼女の肩へ手を伸ばすが、


「ステラ、お前の言っていることは――」

「私のやったことは、間違いだったんでしょうか!?」


 ステラが、慟哭するような声を上げて振り返った。正気を失ったような目つきで、慄き、愕然とした表情をシオンたちに見せる。


「“死んだ方がマシな地獄がこの世にはある”――プリシラさんからそれを聞いても、私は亜人を助けた方がいいと思いました! でも、でも……!」


 そこでステラが言葉を詰まらせたとき、また一つ、亜人が谷底へと落ちる叫び声が起こった。


「こんなにも、自ら死を選ぶヒトが多いなんて……!」


 今この瞬間にでも発狂しかねないステラを見て、シオンは慌てた。どうにかして落ち着かせなければと、刺激させないように、ゆっくりと近づく。


「ステラ、よく聞け。今回の件はどうにもならなかった。亜人たちが死んでガリアとグリンシュタットが戦争状態になるか、亜人たちが奴隷になる代わりに戦争を回避するか、その二つしかなかった。俺たちの立場からしてみれば、後者の方が都合よかったからこの選択を取ったんだと、割り切るしかない」

「……どうして、シオンさんはそうやって割り切ることができるんですか?」


 ステラは、シオンにじっと目を合わせてそう訊いてきた。


「理屈ではわかっているんです。でも、割り切ろうと思っても、割り切れない。嫌だ、怖い、自分が許せない。こんな思いをするのは、私が馬鹿だからなんでしょうか……! 私が、無知で非力だからなんでしょうか……!」


 そう言って胸に指を突き立てる手が、強く握りしめられる。ステラの引きつった顔は自ずと笑みを模るようになり、狂気に侵されていった。


「こんな私が、一国の女王になれるんでしょうか!? なって、いいんでしょうか!?」


 ステラはそれに飲まれまいと、喉を引き裂かんばかりの勢いで叫んだ。


「私は本当に、国を建て直すことができるんでしょうか!?」


 そしてようやく、ステラの目から涙が零れ始めた。過呼吸寸前のように息を荒くし、肩を小刻みに上下させる。歯を食いしばり、歯列の隙間から何度も空気を出し入れしていた。


 それから数秒の沈黙の間に、ぱらぱらと小粒の雪が降り始めた。未だに亜人たちの悲鳴が止まない橋の上を無慈悲に鎮めるかの如く、線路と道路が白く染まっていく。


「……今回の件に限っては、何を選んでも悲劇にしかならなかった。それは真理だ。俺たちにできることは少なく、この結果も最良とは程遠いものだ。だが――」


 伏し目がちに、シオンが口を開いた。


「この残酷な真理をいつか覆すことができるのは、他ならないお前だと、俺は思っている」


 シオンに言われて、ステラが下唇を噛み締めた。


「俺たちが初めて出会った時のこと、覚えているか? あの時俺が、エルフたちの惨状を見てどう思ったかを訊いた時、お前は即答した。エルフたちを何とかしてやりたいって。そんなお前だから、俺は今こうして、そしてこれから先も協力するんだ」


 今度はステラが俯き、そのすぐ前に、シオンが徐に立つ。


「お前が今感じている痛みは、そんな真っすぐな優しさから生まれたものだ。幾つもの命を奪った俺にはもう持つ資格がないものを、お前は持っている。それは誇りに思うべきだろう。だから、そんな風に自分を卑下するな」

「でも――」

「それに」


 何かを否定しようとしたステラを遮り、シオンは彼女の前に片膝をついた。


「たとえお前がどんな選択を取ったとしても、俺はお前の味方だ。何があってもな」


 シオンがステラの顔を覗き込むと、彼女は酷い泣き面になって咽び泣いた。声を喉奥で押し殺そうとして、小動物の鳴き声のような音が時折起こる。

 シオンは、そんなステラの体を支えるようにして、徐に前に歩ませた。自身のジャケットを彼女の肩に羽織らせ、寄り添って進んでいく。


「……さて、これからどうするよ? このままここにいたら、いつまた面倒なことに巻き込まれるかわからねえぜ」


 ステラを皆の所まで連れてきたところで、ユリウスが煙草を吸いながら訊いてきた。


「まずはステラを休ませてやりたい。俺とエレオノーラも、徹夜の行軍でさすがに疲れた」


 そう答えながら、シオンはステラを車の方へ導き、そのまま彼女を後部座席に座らせた。

 プリシラが車の運転席に向かう。


「では、このままグリンシュタットに行きましょう。ノリーム王国は、これから荒れると思いますので……」


 シオンが頷くと、プリシラは運転席に座り、ユリウスも助手席に座った。

 そうして三人の乗った車にエンジンがかけられる傍らで、シオンは自動二輪車へ跨る。そしてその後ろにエレオノーラが座ると――不意に、プリシラが険しい目つきになった。


「おい、“紅焔の魔女”」

「なに?」


 プリシラがエレオノーラに放った声色は、やけに刺々しく、殺気に満たされていた。空気が異様に張り詰め、助手席のユリウスが若干居心地悪そうに顔を顰める。


「お前も車に乗れ、後部座席にまだ空きがある。シオン様がお疲れだろ」


 プリシラが顔を引きつらせながら言ったが、


「いや、エレオノーラはこのまま俺とバイクで移動する」

「シオン様!?」


 シオンがそれを断った。堪らずプリシラが驚愕に目を丸くし、間抜けな声を上げる。

 それからすぐに、シオンは自動二輪車を発進させた。


「シオン様!?」


 有無を言わさないシオンの行動に、プリシラがわなわなと身を震わせる。彼女は、暫くハンドルを握ったまま固まっていた。


「シオン様……」

「おい、さっさと車を動かせよ、変態ストーカー女」


 うわ言のように呟くプリシラの横で、ユリウスが辟易しながら言った。車が発進したのは、そこからさらにユリウスが怒鳴ってからのことだった。


 先に出発した自動二輪車の後方でそんなやり取りが繰り広げられていた時、不意に、シオンが後ろに乗るエレオノーラを一瞥する。


「まだ、ステラとは会話できる雰囲気じゃないんだろ?」

「……うん」

「あいつも今は精神的に参っている。話したいことは、お互いに落ち着いてから話せばいい」

「うん、ありがと」


 シオンがエレオノーラを自動二輪車に乗せたのは、今はまだステラと一緒にするのは早いと思っての事だった。


 小粒の雪がしんしんと降る中、シオンたちはグリンシュタット共和国との国境へ向けて進んでいく。

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