第143話

 ユリウスは車の屋根から列車に向かって勢いよく飛んだ。騎士の身体能力を以てして、通常の人間ではありえない跳躍を見せる。高さが頂点に達すると同時に、ユリウスは両手から鋼糸を延ばし、列車の最後尾の車両に絡ませた。そのまま勢いよく腕を引き、強引に自身を車両へと引き寄せる。

 そうやって最後尾の車両の屋根に着地すると、まずは軽く車両の外観を確認した。


「周囲を吹き飛ばすことが目的なら、爆薬は車両の外側に仕掛けていると思ったんだが……見た限り、ねえな。爆薬括りつけたのは先頭の機関車だけか?」


 ホテルで盗聴した限りでは、ガリア大公はこの暴走列車に爆薬を積ませたとのことだが、一見しただけではそんなものは見当たらなかった。脱線現場に大きな被害を与えることが目的であれば、少しでも威力を外部に発散させるために、車両の外側に爆薬を仕掛けていると予想したが――


「まあ、ないならないで、先に車両の切り離しからやっちまうか」


 いかんせん、今は時間がない。国境を越えるまで、これから十五分とかからないだろう。ユリウスはそう割り切って、車両の切り離しに専念することにした。

 まずは、自身が乗る最後尾の車両からと、ユリウスは連結部に向かって走り出す。


 そんな時、ふと、横の道路で並走するプリシラの車から、何やら声が聞こえてきた。見ると、後部座席に座るステラが、窓から顔を出して必死に何かを叫んでいる。列車の走行音と風の音で何を言っているのかさっぱりわからないが、かなり焦っているようだ。


「……なにやってんだ、あいつ?」


 ユリウスが怪訝に眉を顰めると、ステラは車の窓から身を乗り出してさらに慌てた。それから彼女は、進行方向とは逆の方角を何度も指差す。

 ユリウスは彼女が示す先を見て――顔を引きつらせた。


 車と列車の後方から、黒い霧のようなものが迫っているのである。それに加え、耳をすませば、ギャアギャアという喉を潰した鶏の鳴き声のような叫びが聞こえる。

 目を凝らすと、黒い霧の一つひとつが、その鳴き声の通り、黒い鶏であることがわかった。しかし、その大きさは虎やライオンよりも大きく、羽の他に鋭い爪を携えた四肢が生えており、尾は蛇のように細長かった。


「コカトリス!?」


 その醜悪な黒い鶏の大群を目の当たりにし、堪らずユリウスが絶叫した。


 コカトリスはその見た目通り、鶏をベースにした魔物である。しかし、その大きさは人間の成人男性より一回り大きく、通常の鶏と違って飛行能力も高い。その飛行速度は、あっという間にユリウスの乗る最後尾の車両に追いつくほどだ。


「こんな奴らまで野生化してんのかよ! よりによって大群できやがった!」


 しかも今回に限っては、何羽いるかもわからないほどの群れを成してこちらに迫ってきている。コカトリスたちは、橋の下――谷底から、掘り当てた油田のように次々と湧き出てきていた。


「おい、てめぇら! ささみのスライスにされたくなかったらどっかいきやがれ!」


 ついに先頭の一羽がユリウスの乗る車両に追いついた。

 ユリウスが鋼糸を周囲に展開しながら威嚇するが、コカトリスたちはそれを嘲笑うかのようにして奇声を上げる。

 それに腹を立てたユリウスが、直後に、鋼糸によって言葉通りコカトリスたちを切断していった。

 一羽、二羽、三羽と、ユリウスは容赦なくコカトリスたちを切り捨てていくが――いかんせん、数が多すぎる。そうやって地道に相手をしている間に、他のコカトリスたちが、どんどん先の車両へと進んでいった。


 先の車両に到達したコカトリスたちは次々と車両の屋根へ降り、その鋭い嘴で屋根の板を剥がし始めた。先頭の機関車こそ装甲列車の仕様であるが、それ以外は通常の車両であったため、いともたやすく外壁に穴が開いていく。

 そして、コカトリスたちは、開けた穴から車両内部に向かって頭を伸ばし、中にいた亜人たちをついばむのである。亜人たちはなす術もなく、短い悲鳴のうちに、次々と頭部からコカトリスたちに喰われていった。


「クソ鳥どもが! こいつはてめぇらの朝食乗っけたサービスワゴンじゃねえぞ!」


 まるで倒木の中に隠れる虫を食い漁るような光景に、ユリウスがそう悪態をついた。

 ユリウスは近場のコカトリスたちを一掃したあと、急いで先頭車両へ向かって駆け抜けた。亜人たちを捕食するコカトリスたちを駆け抜け様に鋼糸で切り捨てていくが、そうすると、今度は先ほどまで自分のいた車両が入れ替わりに荒らされていく。

 圧倒的な数を前に、完全ないたちごっこの状況が出来上がっていた。


 そればかりか、


「やべぇ!」


 一羽のコカトリスが、ユリウスの足に向かって唾液を吐きかけたのである。その唾液はすぐに石のような硬質な物体へと変化し、ユリウスの足と車両の屋根を固定してしまった。

 体液を吐きかけたコカトリスが、愉悦を覚えたように声を上げる。


「鳥頭が、なめんじゃねえぞ!」


 刹那、ユリウスが、屋根の一部を足に付けたまま、力任せに足を上げて車両から引き剥がした。そして跳躍し、石で固定された足を、くだんのコカトリスに叩きつける。蹴り飛ばされたコカトリスは苦悶の断末魔を上げて谷底へと落ちていき、同時に、ユリウスの足に纏わりついていた石も壊れた。


「クソったれが! これじゃあ車両を切り離せねえ!」


 車両へ着地したユリウスが、コカトリスの大群を見上げながら顔を顰めた。







 ユリウスがコカトリスの大群を相手に苦戦している一方で、時を同じく、ステラとプリシラも危機的状況に陥っていた。


「あの鶏みたいなのも魔物なんですか!?」

「奴らはコカトリスです! 恐らくは奴らも野生化した魔物で、人通りが少なくなった橋の下の谷底にいつの間にか住み着いていたのでしょう! それが列車の走行音と振動に刺激され、こうして群れで襲い掛かってきたものと思われます!」


 二人が乗る車にも、コカトリスの大群が襲い掛かろうとしていた。すでに数羽が車の進行方向へと回り込み、こちらに頭を向けている。


「ステラ様、絶対に窓から体を出さないでください! コカトリスに体液をかけられると、その部分が石化してしまいます!」

「りょ、了解です!」


 ステラが後部座席で身を屈めたのと同時に、コカトリスたちが一斉に車へ蹴りを見舞ってきた。鋭い爪は車のボディを悉く貫き、その一部を鈍い音と共に引きちぎっていく。フロントガラスには唾液を吐きかけられ、乾いた傍から薄い石の膜が張り、前方の視界を遮った。


「国境までもうあと十分とないのに!」


 プリシラが歯噛みしながらハンドルを左右に何度も回し、コカトリスたちを振り払おうとする。

 そんな時、ふとステラが進行方向を見遣って、人差し指を伸ばした。


「プリシラさん、あれ!」


 国境付近では、グリンシュタットの警備隊が物々しく展開されていた。どうやら、迫りくる列車とコカトリスの大群を目の当たりにし、迎撃態勢を取っているようである。兵士たちは忙しく動き回り、ステラたちのいる方角に向かって榴弾砲を並べ始めた。


「まずいことになりました。このままでは、我々も彼らの攻撃に巻き込まれてしまいます」


 プリシラが舌打ちをする。

 その直後、車体が上下に大きく揺れた。


「ステラ様は身を守ってください!」


 コカトリスたちが車の屋根に爪を引っかけ、力任せに外装を剥がそうとしているのである。


「どうしよう……このままじゃ……!」


 車内へと突き出た複数の爪を目にし、ステラが小さな悲鳴を上げながら身を竦める。


 そして、ついに屋根が勢いよく剥がされ、コカトリスの頭部が覗いた。鶏頭の双眸がステラを捉えた瞬間、けたたましい歓喜の声が湧き上がる。


 ステラは顔を青ざめさせ、恐怖で身動きが取れなくなった。


「ステラ様!」


 プリシラが自身の槍を手にステラを守ろうとするが、ハンドルを離した瞬間、今度はフロントガラスが割られた。運転席と後部座席、両方からコカトリスが迫る。


 絶体絶命のそんな時だった。

 突如として、ステラたちの乗る車の近くで、大きな爆発が起こる。爆発は激しい炎となり、瞬く間にコカトリスの群れを焼き落としていった。ステラとプリシラを襲おうとしていたコカトリスたちも、その勢いに溜まらず圧され、瞬時に車から距離を取る。


「なんだ、今の爆発は!?」


 爆発と炎は、車の後方から起こっていた。ステラとプリシラが戸惑いの表情のまま、揃って見遣る。


「何かが、こっちに向かって来ている……?」


 幾度となく鳴り響く轟音――その中に混ざって聞こえるのは、徐々に大きくなるエンジン音だ。


 そして、爆炎と、消し炭になったコカトリスたちの中央を斬り裂くように割って出てきたのは――


「シオンさん、エレオノーラさん!?」


 自動二輪車を二人乗りで跨って飛ばす、黒騎士と魔女だった。

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