第83話

「よろしかったのですか?」


 ステラを残した部屋の扉を閉めて早々、リリアンがイグナーツに問いかけた。

 唐突な部下の声に、イグナーツは片眉を上げて振り返る。


「何がです?」

「教皇猊下の“真の目的”がまだわかっていないことを、ステラ様にお伝えせずに」


 彼はケープマントを軽く整えたあと、手品のようにどこからともなく煙草を一本取り出した。


「私たちもまだ把握できていないことを不用意に言って、無駄に不安にさせることはしたくありません。確たる情報を得た時に、改めてお話ししますよ」


 それから煙草を咥えながら器用に答え、口の端を吊り上げる。直後、マッチもなく煙草に火が点き、人心地がついたように大きく吹かした。不意に、ああ、と、あることを思い出して声を上げる。


「忘れるところでした。間もなく聖王祭が開催されますが、教皇の演説にはステラ王女にもご出席願うよう話を通しておいてください。十二月二十五日だけはほとんどの騎士が大聖堂広場に出払うので、どうしてもここが手薄になってしまいますからね。外から目につかないVIP席で観覧してもらうのが一番安全でしょう」


 聖王祭――聖王教の教祖である“始まりの王”が誕生したと言われる、聖王教信者にとっては年に一度の特別な祭日である。当日は、教皇庁本部である大聖堂の広場にて教皇の演説が行われるのだ。大勢の観衆と各国要人を招いた、大陸でも他に類を見ない大掛かりなイベントである。

 それゆえに、会場の警備は騎士団が総出で行うことになり、在籍する騎士の半数以上、及び招集可能な議席持ち全員が一度に集まることになる。当然、その間は騎士団本部が手薄になるのだが――その時の最悪の事態としては、ステラがここに保護されていることをガリア公国が把握しており、彼女を秘密裏に拉致するのではないかということが考えられた。通常であれば、騎士団を敵に回すような行動を起こすとは考えにくいのだが、なにせガリア公国は教皇の後ろ盾を得ている。何をしでかすかわからないという点を考慮すれば、あり得ない話でもなかった。

 であれば、大陸でもっとも防衛力が高まる大聖堂広場に同席してもらった方がより安全というのが、先のイグナーツの計らいである。


「かしこまりました。ステラ様にはその旨、のちほどお伝えしておきます。それとは別に――お忙しいところ大変恐縮ですが、急ぎご報告したいことがございます」

「ん、何ですか?」


 イグナーツが煙草を口から離してリリアンに訊くと、彼女は珍しく表情を少しだけ変えた。人形のような双眸が、僅かに険しく細められる。


「現在、自己都合により休職中のユリウス様とプリシラ様についてです。お二人には週に一度の定期連絡を必須とさせていただいておりますが、先週から音信不通の状態となり、今なお消息が不明の状態です」

「なんと。二人に何かあったんですかね?」


 イグナーツが小さく驚いてみせると、リリアンが懐から一枚の紙を差し出してきた。それは、とある銀行の残高明細だった。


「連絡が取れなくなる数日前に、お二人の口座から大量の現金が引き出されていたことを確認しました。このまま騎士団を脱退する可能性も考慮に入れた方がよろしいかと」


 リリアンの考察に、イグナーツが目つきを鋭くした。ステラとの長話から頭を切り替えるように、再度紫煙を肺一杯に吸い込み、大きく吐き出す。


「……それはよくありませんね。仮に抜けるなら、ちゃんと騎士団の管理下で生活をしてもらわないと」


 騎士が騎士団から抜けるには、かなり厳しい制約があった。それは、脱退後は騎士団が指定する生活圏にて余生を送らなければならないということだ。理由は、その圧倒的な戦闘力が悪用されることと、“騎士の聖痕”が外部に流出するのを防ぐためである。

 もしこの規定を破り、身勝手に騎士団を抜け出すことがあれば、その騎士は追跡対象に指定され、異端審問にて“黒騎士”に認定されることになる。


「捜索隊を結成いたしましょうか?」


 リリアンの伺いに、イグナーツは少しばかり無言になり、煙草を一息吸ったあとで徐に口を動かし始めた。


「悩みますが、時期があまりよくないです。あと一ヶ月もしないで聖王祭が開催されます。ただでさえ緊張が高まっている教皇庁を下手に刺激したくありません。いったんは、聖王祭が終了するまで様子見といきましょう」

「かしこまりました」


 リリアンが深々と一礼するのを見て、イグナーツは早々にこの場を後にした。


 ユリウスとプリシラの二人が消息不明――“黒騎士の一件”以来、あの二人が騎士団から距離を取っていることは把握しており、騎士団としても正式に認可していた。だがそれも、騎士団が二人の現況をリアルタイムに補足できるという条件付きでの話である。


 ――“シオンとの絡み”で、何か独自に動き出そうとしているのではないか。


 余計なことをしでかさなければいいのだが――イグナーツはそんな一抹の不安を残しながら、聖王教総本山――教皇庁本部のある大聖堂へと足を向けた。

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