第21話

「あの若造があああああっ!」


 フレデリックが、執務室で一人吠えていた。

 両手に突き立てられたナイフは机まで深く貫通しており、自力で引き抜くことができないでいる。


「クソ、クソ! 必ず探し出して殺してやる! 舐め腐った態度を取りおって!」


 まともに体を動かせない状態で、痛みに悶えながら悪態をつく。


 そんな時だった。ふと、部屋の隅に人影を感じたのは。

 フレデリックが視線をそこにやると――


「ああ、失敬。何やら一人で盛り上がっていらしたので、話しかけるタイミングを見失っておりました」


 一人の男が、ソファに腰かけていた。

 額で分けた黒髪は腰のあたりまで伸びていて、一見すると鬱陶しいとすら思えるほどであるが――それに反して、その顔はいたって涼しげであった。色白でどこか無機質、例えるならまさしく人形のような顔立ちだ。

 男が立ち上がると、それなりの長身であることがわかる――一九〇センチはあるだろうか。

 それだけでも個性的であるにも関わらず、一層目を引くのが、彼の身に纏っている衣装である。

 カソックを模した軍服のような白い戦闘衣装にストールを巻きつけ、大仰なケープマントを羽織っている。その首には剣を模したペンダントが下げられていた。


「だ、誰だ貴様!? いつからそこにいた!?」


 男は、机越しにフレデリックの前に立つと、慇懃無礼に一礼した。


「初めまして、領主殿。わたくし、聖王騎士団副総長にして、円卓の議席Ⅱ番に座す、イグナーツ・フォン・マンシュタインと申します。本日は教皇猊下の命により参りました」

「き、騎士団!?」


 フレデリックが、酷く狼狽して後退しようとする。だが、両手をナイフで拘束されているため、距離を取ることができない。

 それを、イグナーツは珍妙な猿を見るようにして鼻で笑った。


「随分とお困りのようで」

「わ、私を殺しに来たのか!? 私は何も知らんぞ! 私は何もやっていない!」


 まるで会話が成立しないことに、イグナーツは微笑しながら肩を竦めた。


「一応、これでも騎士は大陸の平和と秩序の守護者としていますので、そう露骨に怯えられると、いささか心外ではあります。まあ、そう興奮なさらずに。先ほども申し上げた通り、私は教皇猊下の命で赴いたゆえ」


 その言葉を聞いて、フレデリックはハッとして落ち着きを取り戻す。


「きょ、教皇?」

「ええ。随分と心配してあらせられましたよ」


 イグナーツが言うと、フレデリックは不敵に笑い始めた。


「そうか、そうか! さすがは教皇様だ! すべてはお見通しということか!」

「左様でございますか。ああ、先にお伝えすることがあるのですが――教皇様からこちらに派遣した教会魔術師ですが、すでに教会の方で引き取らせていただきましたので、ご承知おきを」

「構わん、構わん! ははは! まさかここまで私のことを気に入ってくださっていたとは恐縮だな! 不始末の証拠をきれいさっぱり、なくしてくれるということか!」

「まあ、そういうことなのでしょうね」


 イグナーツが同意すると、フレデリックはさらに笑いを最高潮にした。

 それを満足そうに見て、イグナーツは再度、一礼する。

 その後で、何やら手早く、卓上で滴るフレデリックの生き血を使って何かの印章を描き始め、すぐに終えた。


「さて、皆まで言わずとも色々と納得いただけたようで、私としても手間が省けて何よりです」


 そうして、踵を返そうとする。

 だが、そこで、


「お、おおい! すまんが、この手を何とかしてくれないか? 自分じゃあどうにもならなくてな」


 フレデリックが、そう言って自身の両手のナイフへ目を馳せる。

 イグナーツはそこで足を止め、ああ、と言ってフレデリックに近づいた。


「教皇猊下から言伝があったのを忘れておりました」

「いや、それよりも先にこれを――」

「“神は天に知ろしめす。すべて世は事も無し”」

「……は?」


 フレデリックが間抜けな声を出すと、イグナーツもまた、小首を傾げる。


「おや、聖王教の信徒であるにも関わらず、ご理解いただけませんでしたか?」

「……何を言っている?」


 イグナーツはそこで、ふむ、とだけ言い残して、踵を返した。彼はそのまま、執務室を出ようとしている。

 フレデリックが慌てた。


「お、おい! 何をしている!? 早く助けてくれ! 痛くてしょうがないんだ! さっさと――」

「貴方がいなくても、世の中はいつも通り回りますよ、ということです」


 イグナーツがそう言った直後、フレデリックの姿が消えた。ほんの一瞬、光の粒子のような物が飛び散ったかのように見えたが――そこに残ったのは、フレデリックが身に付けていた衣服だけだ。

 イグナーツは懐から出した煙草を咥え、ライターを出すまでもなく、火を点けて軽く吹かす。


「存外に黒騎士はうまく動いてくれたようで、何よりだ」


 そう独り言を呟いて、屋敷を後にした。

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